第19話 収穫祭(翌日)

 背中越しに、ルーが動いたのが分かった。


 ほとんど眠れなかった。

 散らかる考えをまとめようとして、掴めそうになると霧散して、離れていく。それを繰り返していた。

 目を閉じたまま起きる気力はなかった。


 ルーがのそのそとベッドから降りて立ち上がる。なんとなく気配で、彼女の動きが見えた。部屋を出ようとドアのノブに手を掛けている。

 そのまま数秒。

 ドアノブから手を放して布団の中のキトリーを振り返った。

 また、動きが固まる。

 何度も口が開きかけ、また閉じられる。

 幾度目かの勇気が振り絞られ、力のないか細い声で呼ばれる。


「キトリー」


 恐る恐る声を掛けているのが分かった。

 少し震えている。


「起きてる?」

「…うん」


 辛うじて返事を返すが、どんな顔で向かい合えばいいのかわからず下を向いたまま体を起こす。ルーがしゃがみ込み、逸らした顔を真正面から捕らえてくる。


「朝ごはん食べにいこう」

「…うん」


 真っすぐに見つめてくるルーの視線から逃げるように立ち上がる。昨日、彼女の言葉を否定できなかったこと、立ち去っていく彼女の手をつかめなかったこと。そこから動けずにいた。目を合わせないまま、扉に手をかけて外に出る。後をついてくるルーの気配を感じながら、廊下を歩き階段を下りる。


 いつもなら、朝食のにおいに心躍らせるところなのに、何も感じられない。

 他の宿泊客や、食堂の利用者でいっぱいになるテーブルもカウンターもがらりとしている。祭りの期間中は、外で食べるものも多いのだろう。

 カウンターでパンとスープをもらって、テーブルに着いた。

 正面にルーが座る。


「ごめんなさい」


 手持ち無沙汰に持っていたパンを千切ろうとして手が止まった。


「わたしキトリーにすごく酷いこと言った。キトリーの気持ちを踏みにじった。でも、このままは嫌なの。キトリーの意に沿わないことを頼んだのは私だってわかってる。虫のいい話なのもわかってる。でも、嫌なの。キトリーと一緒に旅を続けたい」


 涙があふれてくる。


「昨日、宿に戻って、もしかしたらキトリーは戻ってこないかもしれないって思ったんです。でも、廊下から足音が聞こえた時、本当にうれしかった。でも、何て言って謝ればいいかわからなくて、そっぽ向いて気づかないふりして、考えて、考えて、考えていたら、いつの間にか眠ってて……」

「ルー」


 ようやくルーの顔を正面から見ることができた。涙は溢れていたけども、堪えようとしているのが分かった。口をぎゅっと横に引き結び、彼女の青い目には強い光が宿っている。


 ルーの名前を呼ぶだけで、続きの言葉は出てこない。


 でも、一瞬で理解した。答えを探して町をさまよい、ベッドの中でどれだけ考えても分からなかった答えが、ルーと目を合わせるというたったそれだけのことで、その手に掴めた。


 どうして、こんなにも心がかき乱されるのか。

 直向きな少女にアドバイスをする自分。

 時には命を懸けてまで人助けをしようとする自分。


 どちらも偽りだった。


 アドバイスの言葉は、人の受け売り。

 人助けは、減点を抑えるための偽善的行為。

 それに引き換えルーの持つ純粋で真っすぐ在り方。

 ルーの中で、キトリーの株はうなぎ上りに上昇し、いつも尊敬した眼差しで見られていた。そんな彼女を失望させてしまったことがキトリーを縛り付けていた。彼女の目が怖かった。


 言葉を失っているキトリーに代わり、ルーが言葉を重ねる。


「私はキトリーに理想を押し付けてました。キトリーなら皆を助けてくれるって思いこんでいたんです……でも、自分にできもしないことを求めるなんて酷いですよね」


 そんなことはないと思う。

 すべては自分の責任だ。

 自分を偽ったツケが回ってきただけだ。


 目の前の少女に連れられて再び人の世界に戻ってきたけども、人はそんな簡単には変わらない。世界の理不尽さを嘆き、人の世の不条理に背を向け、すべてを投げ出した時からキトリーの心は空っぽだった。


 投げやりに生きていた。


 森の生活を楽しんでいる振りをして、何も考えていなかった。

 終わりを望んでいた。

 ただ、自分で終わらせる勇気がなかっただけだ。


「私が無茶苦茶なことを言ったのに、キトリーは一言「いいですよ」って言ってくれたとき、本当にうれしかったんです。身分を剥奪されたとたん、周りにいた人は簡単に離れていって、私には何にもなくなったんです。でも、キトリーだけが、私に味方してくれて、私は救われたって思ったんです」


-違う。救われたのは私のほうだ。


 ある日、突然現れたルーは、キトリーにないものを持っていた。夢と希望に満ち溢れていて、生を謳歌していた。たとえ貴族の地位を剥奪されて、どん底にいるはずの時でも、ただ上だけを見ていた。


 絶望の淵に立たされて、諦めたキトリーと、立ち上がったルー。

 真逆であるからこそ、キトリーは惹かれたのだ。

 そんな彼女の隣に並び立つのに相応しくあろうと背伸びした。

 だけど、幻想は砕かれた。


「これからは私も、もっともっと努力する。キトリーばかりに頼らないようにする。誰かを助けたいなら、私が助ければいいんだもん」


-ああ、やっぱりこの子は強い。


 この手をもう一度手に取れるだろうかと自問する。

 ルーが思い描くキトリーで在り続けるのは無理だ。


「キトリーは、昨日「私は聖人じゃない」って言ったけど……ごめんなさい。私がキトリーにそんな風に思わせたんですよね。でも、私が一緒にいたいのは、聖人キトリーじゃなくて、ただのキトリーなんです。だから、だから…」


 何も言わなくても、答えを与えてくれる。ルーは弟の所まで連れてってくれるように願いはしなかった。一緒に旅を続けたいとそう口にした。


 キトリーの頬を涙が伝う。


「私でいいの?」


 それだけ口にするので精一杯だった。


「キトリーがいいんです。」


 ルーの手が伸びて、テーブル越しにキトリーの手を掴む。

 ちぎれかけのパンが手から零れ落ちて転がっていく。


 世界から光と音が戻ってきた。




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