第20話 巨大オタマジャクシⅠ
音を切り裂き、槍を振り下ろす。
返しの刃で、空を薙ぐ。
キトリーは一回転して、鋭く前方を突いた。
流れるような動きで、石突での打撃を叩き込む。
敵はいない。ただの槍術の修練だ。
キトリーは投槍には自信を持っていた。森で生活している中で手に入れた獲物を狩るための技術。森には木の実や野草など食べられるものはほかにもある。だが、それだけで生きていくのは難しい。投槍の技術は生きるために必要な技術として磨きぬかれていた。
だが、槍術は違う。先日のガンダルロウとの一戦。キトリーの放った槍は、一撃で魔物を葬り去った。でも、槍を手放したキトリーに次の手はない。商人の護衛がいなければ、どうなっていたかわからない。そこで、オルドーから槍をもらった後は、こうして修練を繰り返していた。
我流の槍術ではあるが、アルノーとしての格闘技の経験が活きている。格闘技も基礎は型の反復練習なのだ。槍術にしても同じ。キトリーは仮想の敵を思い描き、槍を振るった。はたから見れば、とても我流とは思えないほど、洗練されている。
シュライセの街を離れてから彼女は一層力を入れている。ルーの傍に立てるように。偽りじゃないキトリー自身の力で。
岩に腰かけて、練習を眺めていたルーが立ち上がった。
「ねえ、あれなんだと思います?」
彼女の見る先に視線を送った。遠く霧の中にうごめく黒い影がある。目を凝らしても、何かは分からない。距離がありすぎる。
シュライセの街を出てから三日経過していた。
小さな森を抜け、しばらくは草原地帯を進んでいた。いまいるところは、更に進んだ草木のまばらな不毛地帯。東のほうには大きな湿地帯が広がっている。その所為か、空気がよどんでいるように感じられる。
これから冬へと向かい、朝晩の寒暖差が出てきたこともあって、沼の周囲では霧が発生している。距離があるとはいえ、遠くに霞のかかった場所があるというのは不吉な気配を感じさせるので、あまりいい気がしなかった。その霧の中にうごめく黒い影があった。
とても小さな影。
でも、距離を考えれば、人よりも遥かに大きいのかもしれない。
「魔物かな?」
丸い影が動いている。キトリーにもそれしか分からなかった。
「…近づいてますよね」
影は明らかに少しずつ、少しずつ大きくなっていた。
「逃げよう」
相手が何かは分からない。でも、こういうとき、一瞬の判断の遅れが生死を分けることもある。森で生きてきたキトリーの危機管理の思考。そうして、二人は走り出す。街道から逸れて黒いものの反対側へ。
だが、街道を離れたのは間違いだったのかもしれない。整備された街道とは違い全力で走り抜けることが出来ず、二人の走る速度よりも僅かに速いのか、黒く丸いものはどんどんどんどん姿を大きくする。
顔があった。大きな丸い目に、横にグイっと広がった剥き出しの歯。気持ち悪いくらいに白く、歯並びがいい。そして、短い脚が生えている。全身はぬらぬらとした粘液でおおわれている。
「きもっ!!」
巨大なオタマジャクシ。キトリーはそう思った。カエルになりかけの、足の生えた中途半端な状態。
「急いで」
「ひゃい!」
無茶だと思いながらも、ルーを急かせて、さらに加速する。大きさはアフリカゾウよりも大きい。いくら投槍に自信があっても、一撃で屠れるとは思えない。急所を貫ければあるいは、そんな考えが頭をよぎるが、すでに遅い。キトリーの投槍には”タメ”が必要なのだ。力を引き絞り、集中する。敵に追いつかれてからでは、その力を十分に発揮できない。
-判断を誤った
「キ、キトリー!」
足を縺れさせて、ルーが転んだ。すぐそばへ、ビタンとオタマジャクシが着地する。その途端、体を覆う粘液が飛び散り、ルーの顔にかかった。
「いやぁああああ」
絶叫が轟く。キトリーは引き返して、ルーの手を取ると一目散に走りだした。無駄だと知りつつ、スリングの一撃を入れる。体の大きなオタマジャクシに命中するが、痛痒を感じている様子はない。体は弾力があるのか、ボヨンと小石をはじき返してきた。
巨大オタマジャクシがジャンプした。
キトリーは着地点を予測して、右に左に走り抜ける。逃げ切れる気がしない。現にこうして追いつかれているのだから。
「ど、どうしよう」
「…困ったね」
「キ、キ、キトリー。なんでそんなに冷静なんです」
「冷静さを失ったら終わりだよ。ルーも、ほら、お呪いを唱えて」
手をつないで走りながら、ルーが『エルク・ルシ・クルカ』と唱える。キトリーにも焦りがないわけではない。正直手詰まりだった。
でも、それだけだ。
今はまだ考えが浮かんでいないだけ。そういう風に考える。ただ、ジャンプして落下してくるだけなら、逃げられないわけじゃない。確かに、真っ直ぐ進む速度は巨大オタマジャクシの方が早い。でも、ジャンプした瞬間に、方向展開して横に動けばボディアタックは回避できる。
考える猶予はある。
キトリーは空いているほうの手で、槍を構える。オルドーさんから貰った槍は、一番安価の鉄の槍。刃は当然鉄製で、柄の部分は木製に、鉄板で覆ってある。柄のほうでも、ちょっとした刃物の攻撃を防ぎきれる。だが、その分、少し以前のものに比べれば重くなっていた。片手で構えるには向いていない。でも、振るえないわけでない。
「ルー、ちょっと無茶するよ」
そう言うなり、着地したばかりの巨大オタマジャクシに向かって槍を振り回す。石突に近い根元を握り、安全圏から最大の間合いをもって攻撃する。この攻撃で倒せるなどとは思わない。ただ、切れるかどうかの確認だけ。
キトリーの様子見の攻撃は、体表をすべった。兄弟オタマジャクシの表面はすべすべしている上に、粘液に守られている。角度とタイミングが合わない限りは刺さらないし、切れない。思った以上に厄介だ。
「…駄目ね」
「だ、だから、なんでそんなに冷静なんですか!」
攻撃が意味をなさなかったというのに、いささかも動じないキトリーにルーの叫びがむなしく受け流される。振り返り巨大オタマジャクシを観察する。
頭が体の半分を占めている。頭があるなら脳みそもあるのだろう。キトリーの知る限り、魔物も生き物と構造は変わらない。心臓が魔核である以外は、脳みそもあり血管や神経のようなものもある。生き物であるなら、脳みその一部でも投槍で突くことができれば、倒せるかもしれない。
-でも、本当に?
角度が少しでもずれたら、体の表面をすべって槍はあらぬ方向に飛んでいく。飛び跳ねるタイミングを見極めれば、静止しているのと大差はない。狙いを外すとは思えないが、どうしても失敗の可能性が頭を巡る。
「きゃぁあ」
攻撃の踏ん切りがつかずに、ためらっていると左手が引っ張られた。ルーが派手に転んでいた。巨大オタマジャクシの粘液で足をすべらせたらしい。転倒したルーをめがけて、巨大オタマジャクシがダイブする。
上を見上げ、キトリーは舌打ちする。
-やばい!
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