第18話 収穫祭Ⅲ
「食べたね」
「うぅ。私ももう無理です」
大きくなったお腹をさすって、二人寄りかかるように通りを歩く。
屋台を六軒は梯子している。一か所ずつを少量に抑えても、お腹は限界に達してる。
「ちょっとゆっくり休みたいね。ねえ、どこかでお祭りの催し物とかないの?座りたい」
「うーん。広場のほうにいけば、音楽とか演芸とか何かあると思うけど、今から行って座れるかな」
思案気に首を傾げる。
屋台で手にした食べ物も、結局すべて立ち食いで済ませている。椅子はどこも占有されていた。
「せっかくだから、行ってみようよ」
「そうですね」
街の中心から少し外れた東のほうに、大きな公園があるらしい。ルーの案内で進んでいくと、どんどん祭囃子が大きくなる。街に入ってきたときに方々から好き放題に打ち鳴らされていた様な無秩序な音楽ではなく、スローテンポの耳心地のいい音。
音楽にのせて、歌い手の声も聞こえてくる。
少し低めアルト。
まだ、公園の影すら見えないのに、声ははっきりと聞こえてくる。
……
カナンの大地に 降り注ぐ輝き
立ち上る コグアの群青
彼方より飛来する ミナの種
バムが運ぶ 色彩のざわめき
豊穣の女神に 抱かれて
……
五穀豊穣を願い、感謝する、神への讃美歌に遅れて大きな広場が見えてきた。
中央にイベント用のステージが設けられて、この地の民族衣装なのか、普段町の中では見慣れない鮮やかな衣装を身にまとった女性が堂々たる姿で歌っている。天上にも届こうかというほどの大きな歌声は、マイクや魔道具を使用することなく響かせている。
彼女の歌うステージを中心に、円形に座れるスペースが設けられ、外周には通りで見たのと同じような屋台や、小さなイベント用のブースが立てられていた。輪投げのようなものや、くじ引きらしきもの。さらには金魚すくいのようなものまであった。その中の一つに多くの人々が集まっていた。
「あれ何だろう?」
人の集まる小さな受付ブースのさき、一人の薄汚れた男が10トールほど離れてぽつんと立っている。そこへ、何かが飛来し、べしゃっと音を立てて、男の服に黄色い汚れがついた。男はうぇっとえずいている。
男の反対側に、にやにやとした笑みを張り付けた男女が、手に握る何かを投げる。
「そちらの可愛らしいお嬢さん方。いかがですが、一籠たったの10リュート」
軽薄そうな男が、キトリーたちに気がついて近寄ってくる。彼の持つ籠にはたまごが5~6個入っているように見える。ただのたまごでないことは、すぐに分かった。何しろ、匂いがおかしい。すでに腐っていることが、卵を割らなくてもわかるほどの悪臭が漂っていた。
「なにをしているんですか」
怒気もあらわにルーが、このイベントの興行主らしき男に詰め寄ろうとする。さきほど、薄汚れた男にぶつけられたものの正体に気づいて、嫌な気分になる。ルーの怒りをにやけた笑みで男は受け流す。
「やだなぁ。お客さん。そんなに怒らないでほしいな。あそこの男は卑人ですから、気にしなくて大丈夫ですよ。さあ、どうです。日頃の鬱憤をこの卵に込めてぶつけませんか?」
悪びれる様子のない興行主の物言いにルーは絶句する。彼にはそもそも悪いことをしているという認識もない。言うだけ無駄だと悟ったのか、ルーは文句をいう対象を変更する。
「ちょっと、あなた達も」
卵を投げつけていた男女に、食って掛かる。
「なによ」
楽しい気分を台無しにされたと、嫌な顔をしてルーを睨みつける。ルーの気持ちはよく分かる。自分達が卑人として受けてきた人以下としての扱い。目の前の光景はそれ以上に、悪意に満ちている。人を人と見ていない。腸の煮え返る思いに打ち震えそうになる。だが、
「ルー」
名前を呼び、彼女の行動を阻止する。
ルーは不思議そうな、困ったような顔を向ける。
「なんで止めるんです。キトリーはなんとも思わないんですか」
「思うよ。……思うけど、止めちゃだめだよ」
興行主らに向けられた怒りがそのまま向けられる。犯罪抑止のために保安兵が町中至る所を巡回している。彼らが何も言わないということは、これはどれだけ許しがたく、理不尽に見えても合法なのだろう。
「そっちの嬢ちゃんの言うとおりだ。あの卑人だって、あれでお金をもらってるんだ。お嬢ちゃんが止めたら、あいつだって困るだろうよ」
「で、でも…」
「ルー、いくよ」
なおも食いさがるルーの手を引き、喧騒から引っ張っていく。だが、人の囲いを抜けたとき、無理矢理に放された。
「なんで?」
悲しそうな、寂しそうな顔をしている。
「なんで、助けてあげないんです。あの人だって私たちと同じなのに」
「無理だよ。あの男の人は、分かっててあの役目を引き受けている。彼が言ったように、それでお金がもらえるなら、止めることなんてできないよ」
「でも、お金が必要なら、少ないかもしれないけど、私たちがあげればいいじゃないですか。今なら少し余裕もあるし」
「それで?」
「それでって?」
「彼の今日の稼ぎ分をあげたとして、それでどうなるの?私たちが邪魔をしたせいで、彼は仕事がなくなるかもしれない。そしたら、明日の彼はどうしたらいいの?」
「そ、それは…」
「明日もお金をあげる?」
自分でも嫌な言い方だと思う。ルーを悟らせようとしていたつもりが、徐々に苛立ちが募ってきた。
「それは……で、でも、だからってあんなことを許すんですか?キトリーは私たち卑人があんなふうな扱いを受けてなんとも思わないんですか」
「思うよ」
「じゃあ、なんで!キトリーは、困っている人がいたら、助けなきゃいけないって。今日だって、スリを未然に防いだり、迷子の子供だって、いっぱいいっぱい助けたじゃないですか!」
人込みの中で事件は起きる。お祭とスリ、お祭と迷子は切っても切り離せない関係だといえた。だから、キトリーは可能な範囲で、事件を未然に防いで、泣きわめく子供達に手を差し伸べた。ニースとは違い、巡回中の保安兵がいたので声をかけるだけでよかった。
そんな姿を見ていたルーにとって、人がおもちゃにされている場面で何もしないキトリーが不思議で、理解が出来なかったのだろう。だが、キトリーは彼を助けるのは間違いだと思った。彼が助けを求めているのなら、キトリーは手を差し伸べただろう。
「彼は困ってないから」
「そんなわけないじゃないですか。キトリーには彼が困ってないように見えるって言うんですか。あんなふうに腐った卵を投げられてうれしいはずないじゃないですか。お金をもらえるかもしれないけど、だからって……」
「落ち着いて」
「わかんないよ。だって、キトリーは……キトリーなら助けてくれるって思ったのに!」
「無茶言わないでよ。私は聖人なんかじゃないんだから!」
思わず大きな声が出てしまった。
勝手に持ち上げられて、勝手に失望されて、ルーの気持ちが突き刺さってくる。
初めて見せるキトリーの険しい剣幕に、ルーがたじろいだのが分かった。でも、体の奥底から沸きあがってくる感情を抑えることが出来ない。
「誰も彼も救うなんて出来るわけないでしょ。ルーは私に何を期待しているの?私はルーが思うような立派な人間じゃない。いい人なんかじゃないの!助けたくて助けてるわけじゃない。私が助けるのは、『呪い』だって言ったじゃない。好きで手を差し伸べてるわけじゃないの。ただ、そうするしかないから。でも、彼は違う。彼は今の現状を受け入れている。そんな人まで救えないよ!」
感情に身を任せて、怒鳴り散らした。
周囲の人たちが何事かと二人を見ていた。キトリーもルーも周りの視線を気にするゆとりは無かった。お互いがお互いのことしか見えていない。キトリーの憤慨した様子に、押されていたルーが瞳を潤ませて小さく口にする。
「……じゃあ、私のことも」
寂寥感に襲われたような顔で見られたことに、キトリーは自分の口にしたことの意味を理解した。でも、もう遅い。
「私のことも、仕方なく手を貸してくれてるの?」
「ち、ちが……」
「違わないよね。キトリー、最初の時も言ってたもんね。ほんとうは無視したかったって。いまもそうなんだよね。いやいや付き合ってくれてるんだよね。だったら、もういいよ」
悲しみをにじませて、吐き捨てるように言ってキトリーに背中を向けた。
「まって…」
キトリーの伸ばした手は、むなしく空を切る。
歩き出すルーを追いかけなきゃいけない。そう思うけども、足は動かなかった。地面に縫い付けられているのように、ピクリともしなかった。
しばらく呆然と立ち尽くした後、キトリーは歩き出した。
さっきまでの楽しい空気はどこにもない。
周りの喧騒も、音楽も、人も、食べ物も、何も聞こえないし、何も見えない。
嫌々ながら手を貸しているつもりは全く無かった。
不思議なことに、それは旅を始めた当初からそうだった。
彼女を気に入っている。
一種の一目ぼれのようなものかもしれない。
迷子になった子供、スリの被害に遭いそうになっている町の人、盗賊に襲われそうになっていた商人。キトリーの中で、ルーとの違いははっきりとしている。
でも、それを言葉にできなかった。
自らが口にした『呪い』という言葉が、呪詛返しのように戻ってくる。
ぐしゃぐしゃの頭を整理しようと、ただただ歩き続けた。
答えを出せずに、歩きつかれて宿に戻ると、ルーがベッドの上で丸くなっていた。
同じ宿、同じベッド。
ほかに行く当てもない。
キトリーはベッドの半分のスペースに体を横たえた。
壁に向かっているルーと、背中を向けて目を閉じた。
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