第15話 ルーの決意
「ねえ、キトリー」
ルーが話しかけてくる。
いつもの日課。一日歩き続けた疲れを癒すためのマッサージの時間。二人でベッドの上に腰かけてお互いの足をもみほぐす。特に今日はキトリーは盗賊から商人を救うために奮闘したりして疲れていた。
「どうしたの?」
足の裏のツボを刺激するようにぐりぐりしながら聞き返す。ルーの小さな可愛い足に出来ていたマメや靴擦れはすっかり治っている。
「はぅう。あのね、オルドーさんみたいな人が増えればいいなって思うの」
「えっと…ああいうおじさんがタイプなの」
「ち、ちがうよ」
「あー驚いた。あんな、卑猥な視線をするおじさんがいいのかと・・・」
「び、びっくりしたのはこっちだよ。そうじゃなくて卑人に対する差別の話」
ルーが顔を真っ赤にしてわたわたと訂正する。
ゲンセンの街についたころには日も傾き、町のあちらこちらに街灯が灯り始めていた。仕事を終えて自宅へ向かう人々で通りはごった返していた。夕餉の煙が立ち上り、おいしそうな匂いがそこかしこから漂ってきていた。
結論を言えば、街に入る際の身分証チェックで二人の身分は隠しようがなく、オルドーや護衛の人々にもバレてしまった。何のための一芝居だったのかと思うけれども、彼らの態度はそれでも全く変わることはなかった。ルーからの提案である程度予想できていたのもあるのだろう。
商会はすでに閉まっている時間なのでと、オルドーさんの行きつけの宿に一部屋取ってもらうことになった。支払いも彼がしてくれたので、卑人へ差別会計を避けられたのも幸運だった。
彼の支払いということもあり、宿で一緒に食事をとったものの、酒の進んだオルドーの視線が徐々に卑猥なものに変わっていくのを感じて、二人は早々に切り上げて2階の客室に避難したところだった。
「オルドーさんは、私たちが卑人だってわかっても態度を変えなかったでしょ。3人の護衛の人たちもそう」
「うん」
キトリー自身も彼らの態度には救われた思いがある。
もちろん、助けたという事実がバイアスを掛けている部分はあるだろう。
「私ね、卑人になるまではそんな差別があるって知らなかった。知らなかったんじゃなくて、何も感じてなかったんだと思う。酷い話だよね。自分が卑人になったからってこんなことを言うのは、自分勝手かもしれないけど、いまの現状はよくないと思う」
「変えたい?」
「うん。出来るなら。でも、どうしたらいいんだろう」
「差別を禁止する法律を作るとか?身分制度を変えてしまう?」
「……キトリーはいつも簡単にいうなぁ。それ、かなり大変なことだよ」
「でも、ルーはそれがやりたいんでしょ」
「うん」
目標はわかっていても、そこへ至る道が遠く険しいことは子供でもわかる。マッサージする手もいつの間にか止まっていた。何しろ、ルーの悩みはこの国のシステムに挑もうというのだから。キトリーは力になりたいと思った。でも、それが厄介なことも理解している。
だから、キトリーは自分に出来ることをする。
「っいったー」
叫び声を共に、ルーが足を自分の方へと引き寄せる。キトリーが足のつぼを思い切り押したのだ。
「キトリー!?」
「ふふ。そんな暗い顔しちゃダメだよ。目標があるなら、そこへ向けて進めばいいんだよ。簡単、簡単」
「うぅ。キトリーの意地悪ぅ。そんなに簡単じゃないよ。それくらい私にだってわかるもん」
痛みの残る足をすりすりと摩りながら抗議の声をあげる。
キトリーは古い知識を引っ張り出す。27歳で恋人と別れ、知人や友人が次々と結婚、出産していく中、自分はこの先どうしたらいいのだろうと思い悩んでいた時期があった。経理課の職員として仕事は出来るほうだという自負はあっても、特別な資格もなにもなく、将来の不安を感じていた時に読み漁っていた自己啓発本。
ルーが思い悩んで、沈み込みそうになる分、キトリーは明るくなれるように努めた。伸ばしていた足を戻して、正座スタイルになる。顔の横に人差し指を伸ばした手をびしっと立てた。
「まず一つ。ルーの目標は卑人への差別をなくすこと。これは間違いない?」
「うん。犯罪者が奴隷となるのは仕方ないことだと思う。でも、その家族までひどい扱いを受ける必要はないと思う。それに、奴隷としての刑期を終えても、扱いがあのままじゃ更生することなんてできないと思うから」
ルーもキトリーに合わせて正座になる。この世界では普通とは言えない座り方だけど、何となく空気に飲まれたらしい。ベッドの上とはいえ、後で足がしびれることだろう。
「そうだね。じゃあ、それを変えるにはどうしたらいいと思う?」
「それがわからないの」
「ごめんごめん。聞き方を変えるね。世の中の仕組みを変えられるのは誰?」
「・・・国王様、それと貴族議会」
ルーが首をかしげて考えるしぐさをする。
「王様になるのは無理だとして、貴族ってなれるものなの?基本は世襲制だよね」
「もちろん……でも、方法はあるかな。国に多大な貢献してそれが認められたら叙爵される。私の高祖父は『ラガルドの大戦』での活躍が認められて男爵の地位を得たの」
「つまり、方法はあるのね。よかった。もちろん簡単じゃないのはわかってるけど、方法があるってことは可能性があるってことだもんね」
キトリーはわざと簡単なことのように話を進める。それがどれほど険しい道のりだからといって、キトリーが「そんなの無理だよ」と言ってしまえば、そこでお終いだ。ルーを応援すると決めた以上は、可能性を否定しない。
「でも、卑人の私たちがいきなり叙爵ってわけにはいかないよね」
「まずは平民にならないとね」
「でも、どうやったら平民になれるの」
「詳しくは分からないけど、仕事について何年か問題を起こさなければ成れるらしい。それに、雇い主や周囲の証言なんかが必要だって聞いたことがある」
想像するだけで、生半可な道のりではないことがわかる。問題を起こすつもりがなくても、キトリーのように濡れ衣で解雇されることもある。ましてや卑人を安くこき使える雇い主からしたら、平民に格上げして正規の給料を払わずにいようと、証言を拒否する可能性もあるかもしれない。でも、ここで大事なのは、平民へ至る道はあるということ。
「じゃあ、弟さんを見つけたら、まずは仕事を見つけよう」
大きすぎる目標は、そこへ至る道を見つけるのは簡単ではない。だから、達成可能な小さな目標まで落とし込むのが重要だ。達成感があると次への目標へのモチベーションを生み出すことが出来る。10年後の目標、1年後の目標、1ヵ月後の目標、明日の目標。小さな目標にして少しずつ達成感を味わう。
「うん。がんばる。簡単じゃないのは分かってる。でも、やるしかないんだよね。ううん。私がやりたいの」
キトリーの懸念もなんのそのルーは前向きに思考する。キトリーはルーのほっぺをつまんだ。
「いひゃい」
娘が急に成長をしたようで、ちょっと寂しい気持ちになった。
「ルーは本当にいい子だね」
「ふふふ。でも、やること一杯だ。まずは弟を見つけて、おばさまのところに行く。それから、仕事を見つける。何年か立派に勤め上げて、平民にしてもらう。それから、立派な功績をあげて叙爵する。男爵だと発言力も低いから、陞爵しないといけないかもしれない。そして、差別のない社会を作る」
指折り数えていきながら、ルーの顔が再び沈んでいく。
「はぅうう。こんなことできるのかな?」
「出来るかな、じゃなくてやるんでしょ。ルーが出来るって信じなかったら、誰が信じるの」
「でも」
「でも、じゃないよ。少なく私は信じてる」
我ながら無責任だなと思うけども、それでやる気が出せるならいいかもしれない。そんな軽い気持ちでキトリーは言葉を紡ぐ。
「キトリーありがとう。そうだよね。私が信じないとだめだよね」
「うん。大丈夫。ルーならできるよ」
ルーの鼻先に指を添えて、うまくいくようにおまじないを唱える。
「エリク・ルシ・クルカ」
ルーを抱き寄せていい子いい子する。
「ふふふ。ありがとう。あー、もう、やっぱりキトリーってお母さんみたい。大好き」
「ちょっと、誰がお母さんよ。せめてお姉さんにして」
「ふふ。じゃあお姉ちゃん。ありがとう」
「うーん?でも、ルーの方がお姉さんぽいな。特にここは!」
むぎゅむぎゅっとルーの胸をわしづかみにする。手のひらからはみ出るほどに大きく、柔らかい感触が返ってくる。
「きゃぁっ、な、な、な、な、な」
胸を押さえて後ろに後ずさる。
「キトリー!?」
「いやぁ。ルーのおっぱいは大きいなあと思って」
「もうぉ」
恥ずかしそうにして、真っ赤なほっぺを膨らませるのもかわいらしい。
「王都に行くにしても、服もどうにかしないとね。オルドーさんだけじゃないもの。ルーのこと見てるのって」
安物の服はサイズがあってないせいで、ルーの豊満な胸がどうしても強調されてしまう。
「そ、そ、そんなことないよ。みんなキトリーのことも…」
「ちょっと。なんで最後尻すぼみになるの?」
「だ、だって、キトリーの服…ちょっと…ダサい」
「え?」
ルーが言いにくそうにハッキリといった。
キトリーは着ている服を見て、そんなに変かなと首をかしげる。確かに、年頃の女の子が街の中でするようなカジュアルな格好で、槍を担いでいるのは変だろう。その認識はあった。あったけど。
-それだけじゃなかった?
「もしかして、宿場町で言葉を濁してたのって…」
「う、うん」
「そんなにダメだった?ルーの服とデザイン的にはあんまり変わらないでしょ。もちろん体形は違うよ。ルーみたいに胸ないし。でも、そんなに」
「これが同じデザインって言ってる時点でダメだよ。全然違うじゃない。襟の形も、ボタンも、袖の部分は…ないけど、でもさ、仕方ないよね、キトリーは森で暮らしてたし」
「ちょ、いや。うそっ」
愕然とする。
加古川美玖は特別美人だったわけではない。平均的な見た目だったと思う。だからこそ、ファッションやヘアスタイル、メイク、ネイル等々、気を使っていた方だ。ネイルアートに自ら手を出すほど、拘っていたほうだった。センスを褒められることもあった。それが通用していない事実に腰が抜けそうになる。
-異世界で美的感覚が違う?
「私が選んであげる。ね、そうしよ」
「う、うん。お願いね」
釈然としないものを感じながらも、キトリーは肯くしかなかった。
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