第13話 盗賊と商人
「・・・ブブ・エローラ」
ルーの唱えた呪文に従って、薪に火が点る。
森を突っ切る街道のそばの小さなスペースで、昼ご飯の準備をしていた。キトリーは先ほど仕留めたばかりのアビという小動物を捌いている。
木の上をねぐらとして森のあちこちに生息域を広げるアビは人の手のひらほどの体に不釣り合いなほど丸々とした大きなしっぽを持っている。目つきが鋭いけれども、基本的には温厚な性格で木の実を主食としている。
切り開いた肉を尖らせた枝に突き刺して火のそばに置く。パチパチと薪の爆ぜる音に耳を傾けながら、肉に火が通る時をじっと待つ。かごから取り出した小さなトニの容器から塩を一振り、胡椒を一粒潰してまぶす。
ガラガラと音を立てて街道を獣車が通り抜ける。護衛を三人ほど連れた商人の一行らしい。幌もないような剥き出しの荷車に商品が積み上げられている。街道を歩いていると時折人とすれ違ったり、獣車に追い抜かれたりする。そんな彼らは横目でキトリー達を見て、微かに驚いたような顔をする。
成人して間もないと思われる女の子の二人連れ、しかも街中で着るような普通の恰好をしていれば目を引くというもの。
少ない路銀で購入した追加の服もワンピースばかり。戦闘を考えるとパンツスタイルの方がいいと思うが、金銭的余裕がないうちはとあきらめている。
それでも、靴だけは中古とは言え長旅に耐えられるものを用意した。一人500リュートも使うことになったけども、しっかりした革製のブーツを履いている。それもあって、二人ともかなり歪なファッションといえる。
「そろそろいいかな」
香ばしい匂いのする肉に、ナイフの刃先を入れて中の肉の状態を見る。直火での調理は意外と難しい。火に近づけすぎれば、すぐに丸焦げになるので、表面だけが焼けて中は生ということもある。
わずかにピンク色の部分が残っていて、ちょっと生っぽい感触がある。
キトリーは肉をひっくり返して、火にあたる面を変える。
ニースの街を出てから、すでに4日が経過していた。
大きな町と違って、小さな宿場町では身分証を求められることもなかったため、通常料金での宿泊が可能だった。それでも、路銀は全然足りていない。
ニースから北に延びる街道は森を突き抜ける形になっていたので、いくらか獣や魔獣との戦闘も覚悟していたのだけど、討伐隊のおかげか、ほとんど出会うこともなかった。
そこで、キトリーは賭けに出た。ルーの使い道のない特技に頼ってみたのだ。名づけて『ルロウ族ホイホイ』。これが思った以上の効果を発揮した。ルーの遠吠えに呼ばれてルロウ族が高い確率で現れたのだ。マライシンの森と違い、青い毛並みのコーダルロウと呼ばれる獣で、強さ的にはハバルロウと変わらない。それらをキトリーはあっさりと仕留めた。
おかげで8枚ほど毛皮が手に入っている。キトリーの心情的に、毛皮のためだけに殺しをするのは憚られたので、肉は宿場町の食堂に卸してきた。森に住んでいたときには食べていたので、大丈夫だろうと持っていったら、わずかばかりのお金と引き換えに引き取ってくれた。メジャーな肉ではないが、食用にもなるらしい。
毛皮に関しては、宿場町では買い取ってくれるところが見つからなかったため、そのまま持ってきている。町で売れば激しくピンハネされることが分かっていても、無いよりはましだからだ。
「今度こそいいんじゃない?」
ごはんを前に待てと言われた犬のように、涎をたらしてキトリーに懇願する。同じように火の通り具合を確認して、一本の串をルーに手渡す。ぱくりと大きくアビの肉にかじりつく。
「んーーーー。おいしいです」
嬌声を上げるルーに続いて、キトリーも口にする。じゅわっと肉汁が広がり、うまみに酔いしれる。アビの体はほどんど食べるところがない。でも、その分大きなしっぽに肉がついている。硬い木の実を尻尾で叩き割るために、締まりがあり噛み応えもある。別に筋張っているわけでもないので、食いちぎれないわけではない。
そのちょうどいい硬さが肉を食べている実感を与えてくれる。木の実しか食さないから肉に臭みもなく、あっさりとしていて、塩と胡椒だけでも十分においしい。
「はぅうう。アビがこんなに美味しいだなんて」
「落ち着いて食べなさい」
肉汁がはねてルーのほほを汚していたので、指で拭ってあげる。どうしても保護欲をそそられてしまう幼さのある少女を見てキトリーはほほ笑んだ。ルーも無邪気な笑みを見せる。
-妹がいればこんな感じなのかな。
美玖のころは一人っ子だったし、アルノーの時は上に二人の兄がいて末っ子だったので、弟や妹がいるという感覚がわからなかった。キトリーは手製のバッグからいくつかの木の実を取り出してルーに渡す。いくらおいしくても肉だけだとちょっと飽きてしまう。
クルミのように固い外殻を手近な石で叩き割って、中の実を口に放り込む。味はほとんどないけども、カリカリとした触感が良く、口の中がリセットされる。
-パンでもあればいいのだけど。
「キトリーお願い」
木の実と格闘していたルーが、降参してキトリーに差し出てくる。それを割って中身を取り出してあげる。なんでも人任せにはせず一旦は挑戦しようとする。ルーの向上心や前向きな姿勢をキトリーは微笑ましく思っている。
昼食を終え一休みしたところで、次の街に向けて歩き出した。
「キトリー、あそこにシクライがいっぱいいますよ」
「あれは無理だよ」
くすりと笑う。
森は終わりを迎え、なだらかな斜面に草原が広がっている。遠くの方でシクライが草を食んでいるのが見える。さすがにこれだけ視界の広がっているところで、気づかれずに接近する自信はないので狩りは見送ることにする。
街道は獣車がすれ違えるくらいの幅が確保され、むき出しの地面とはいえ奇麗に整地されている。雨に穿たれて穴が開くこともあるけども、そういう穴は討伐部隊が街道を通るときにチェックされ、修繕するように報告が入る。
「気持ちいいね」
草原を撫でる柔らかい風を東から西に向かって吹いている。風はだいぶ冷たくなってきている。昼食を食べて少し火照った体にちょうどよかった。風もこれからどんどん冷たくなっていく。本格的な冬を迎えれば、北からの風が吹くようになり、この辺一体も雪で覆われることになる。
ダダン王国の王都はここよりだいぶ北に位置するが、ダダン王国では北に行くほど寒さが和らぐ。キトリーはダダン王国を含むジスパー大陸は南半球にあるのだろうと勝手に思っている。
「キトリー!」
ルーが前方の人だかりを見つけて声を上げる。
左手に森を見ながら坂道を下っていると、その先で獣車を20人ほどの男女が取り囲んでいた。森ですれ違った商人のグルゥ車のようだ。
3人の護衛では20人の山賊の対処はまず無理だ。
-神様に嫌われてるのかな?
心の中で溜息をもらす。
勤勉な山賊などいない。キトリーの両親も時々町の外に出稼ぎに出かけていたけども、せいぜい月に1度か2度。山賊行為は一人ではできないので、仲間を集めて、情報を集めて、実行に移す。
毎日、街道沿いで獲物を待つようなことはない。つまり、そんなに頻繁に遭遇するものでもないのだ。ニースの街のスリ師にしても、キトリーがトラブルを呼び寄せているのだろうかと、そんなことを想像する。
そして厄介なことに、気が付いた以上、勝ち目が薄くても無視はできない。
「困ったね」
3人の護衛は商人を守ろうと陣形を組んでいるようだけど、多勢に無勢だ。四方八方から攻められたらどうしようもない。もちろん何人かは道連れに出来る。でも、最終的には負けることは目に見えている。
通常、商人が雇う護衛は魔物や野獣対策でしかない。賊は集団で襲ってくるため、それに対抗できるだけの人員を用意したり、腕利きを雇えるのは大きな商会くらいである。
遭遇する頻度も少ないことから、高いお金を払う商人はいない。魔物と違って話が通じるため、抵抗しなければ命を取られることもないのも理由の一つだろう。もちろん、商品を失えば、個人経営であればたちまちに破産してしまうのだが。
キトリーは背負っていたコーダルロウの毛皮をそっと地面に下ろした。
「どうするの?」
キトリーの行動の意味が分からず、ルーが質問する。彼女の腕なら、接近するまでに3人はスリングで倒せる。そこから更に近づいたところで、追加で二人か三人は倒せるかもしれない。でも、それが限界だ。3人の護衛が加勢してくれれば、まだ勝算はあるかもしれない。でも、貴族や王族を守護する騎士と違い、金で雇われるだけの護衛に命がけの戦闘は期待できない。
-わたしだって死にたいわけじゃないってのに。
ため息をついて、ルーに向き直った。
失敗すれば、ルーが独りになってしまう。それが気がかりだ。弟の下へ連れて行くと約束したけども、無事に切り抜けられるとは思えない。
「ルーはここにいて。わたしに何かあっても一人で王都まで行こうなんて考えちゃだめよ。時間がかかっても、働いてお金作って安全な方法で進むことを考えて」
「ちょ、ちょっと待って。キトリー、まさか助けに行くつもりなの?」
「行きたくはないけどね。見てみぬ振りはできないから」
「だからって…」
予想外の凶行に走ろうとするキトリーを止めようとする。街中でのスリの撃退とはわけが違う。ルーが襲われたときも、盗賊に立ち向かっていった。でも、相手の数が違う。
「キトリーが助けなくても、たぶん命は取られないよ」
「分かってる。商品やお金を諦めれば大丈夫でしょうね。でも、あの荷台を見れば分かるでしょ。そんなにお金のある商人じゃないと思う。商品取られたら、どうなるか分かるでしょ」
「でも!」
「ごめんね。約束守れないかもしれないね」
「そ、そんなこと言わないでよぉ」
キトリーの決意の固さにルーは言葉を失う。
ニースの町で、改めてルーを守ろうと気持ちを固めたはずだった。その思いがあったから、あんな恥ずかしい行動にも出れたのだ。でも、目の前の罪を見過ごさないというのは、ルーと出会う遥か以前、それこそアルノーの頃に魂に刻んだことなのだ。盟約や誓約や契約でもない、ただの自分自身との約束。
だが、何十年と続けてきた生き方を突然変えることはできるはずもない。
それは自分自身を否定することになるのだから。
「…わたしも戦う」
「ルー、馬鹿なこと言わないで」
「馬鹿なことじゃないよ。確かに、キトリーみたいな戦う力ないけど、でも……」
パシン-。
ルーの頬を打った。
「気持ちはうれしいけど、目的を忘れないで。弟さんを探してるんでしょ。通りすがりの連中のために、ルーが危険を冒す必要はない」
「通りすがりの連中じゃないよ。私はキトリーのために戦いたいの。キトリーがどうしても助けなきゃいけないっていうなら。そうするしかないもの。ねぇ、キトリー。本当に必要なことなの。私にもあれは許されない卑劣な犯罪だって思う。でも、商品を奪われても、命まで奪われるわけじゃない。なのに、キトリーは命を賭けるの」
「・・・そうだね。必要ないことかもしれない。でも・・・見過ごせない」
キトリーの気持ちを変えることができなくてルーは項垂れた。
小さく『エルク・ルシ・クルカ』『エルク・ルシ・クルカ』と何度も呪文を唱える。何かひらめきますようにと。
自己犠牲というものが正しいとはキトリーも思っていない。でも、キトリーは選択肢がないと思っている。今世はどれだけ頑張ったところで、天国へ行けるだけの善行は積めない。そういう意味では、今世をどうなってもいいと諦めている。
次の人生が、マシな世界であるように願う。
いまと同じような理不尽のまかり通る世界であるならば救いはない。だからこそ、少しでも減点を減らして次の人生にかけるしかない。それが、彼女の諦めの原動力だ。
諦めの中を生きていても、命を投げ出すつもりは微塵もない。だからキトリーはしっかりと準備を行う。スリングに石を装填し、次なる玉も器用に右手に収める。左手には短槍を。
着々と準備を進めるキトリーを見ていたルーが縋るように尋ねる。
「ねえ、キトリー。本当に行くの」
「ごめん」
「キトリーが行ったら、遠吠えする」
「え?」
「本気だから。そしたら、ルロウ族がやってきて、わたしは死ぬかもしれない」
「だから、助けてと?ルー、自分が言ってる事分かってるの?」
「分かってるよ。だって、そうでもしなきゃ、キトリーは…」
ルーが泣くのを堪えているのがよくわかる。
卑怯な言い方だと思う。
自分が良ければそれでいい。ほかの人よりも自分を優先してほしい。言葉だけを取ればそうなる。でも、ルーはただ、キトリーを止めたい一心で口にしている。それが分かるからキトリーも言葉を失っていた。
ルーは本当にやるだろう。
短い付き合いでも、それくらいは理解している。両方を助けるのは無理だ。それなら、ルーを優先すべきか。商人も護衛も命の危険はない。
逡巡する。
正解がわからない。
キトリーが音が聞こえるほど強く奥歯を噛みしめた。
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