第12話 人助けの代償

 ニース市は東西南北に門があり、それぞれを一本の太い大通りが走り、町の中央で交差している。そこには大きな時計塔がある。区画整理もわかりやすく、碁盤の目状に広がっている。それもそのはず、ニース市は比較的歴史の浅い町である。


 ダダン王国にとって重要な拠点でもないため、外敵の侵入を阻むような作りになっていない。迷路のように入り組んだ作りをしている王都などと比べると、初めて訪れる旅人にもわかりやすい。


 朝食を終えた二人は大通りを真っすぐ北門へ向かっていた。大通りには昼間にはなかった露店があちらこちらに顔を出ている。朝食を売る屋台に、野菜やくだものといった食材を売るお店があり、まだ早朝だというのに、レストランや食堂の経営者や、これから仕事に向かう人々で通りでにぎわっていた。


 貴族街で暮らしていたルーには、何でもない朝の風景が珍しいのか、キョロキョロと周囲を見渡している。キトリーはそんな彼女を微笑ましく見ながら、まるで保護者のようだと独り言ちる。


 ルーの視線を追いかけるように街の人々に目を向けたとき、一人の女性のところで警鐘が鳴った。左腕に買い物用のカゴをひっかけ、果物を吟味するように手に取って、鼻先に寄せる。その日の食事を想像しながら買い物をしている主婦らしき女性。


 特におかしな様子はなかった。

 ただ、キトリーには分かる。

 幼いころからすぐそばで感じていた種類の気配。


 周囲へと紛れこませている気配の中に、不穏なものを感じる。

 あの女性は、これからスリを働く。

 そういう目線で見ると、彼女が狙っている人物もすぐわかる。すぐ隣の露店で朝食用、あるいは昼食用にサンドウィッチのようなもの注文している男性がターゲットだ。


「ルー、ごめん。保安兵を連れてきてもらえる?」

「どうしたの?」

「これから犯罪が起きるから」

「えっ?」


 状況が読めないルーを置き去りに、キトリーは歩き出す。

 待っている時間はない。

 サンドウィッチを手にした男性が、露店を離れる。そこへ八百屋の前の女性が近づいていく。買い物を終えたばかりなので、どこに財布を戻したのかまるわかりだ。服装を見れば、経済レベルも推し量れるというもの。


 横切る一瞬で財布を抜き取ったのがキトリーには分かった。硬貨は重さがあるので、同程度のものと入れ替える。キトリーが両親から教わった技術と同じ手法。


 キトリーは足早に女性に近づくと、その場から離れようとする彼女の手首をつかんでひねり上げる。


「痛っ」


 女性が悲鳴を上げ、周囲が何事かと目を向ける。


「あの男性から盗んだものを返しなさい」


 騒ぎに気がついた男性は慌てて、懐をまさぐり財布がすり替わっていることに気づく。驚愕に目が開かれる。


「な、何のことよ。私は知らないわ」


 必死になってそういうと、キトリーはひねり上げる力を強くする。痛みにその場に崩れるように膝をつく。その拍子に、抱えていたカゴを落としてしまい、中から男性のものと思われる財布が転がり出る。


「俺の!」


 被害男性が叫び、


「ち、ちがう。私は知らない。この女よ。この女が入れたんだわ」


 言葉をつっかえながら、犯行を否定する。誰の目にも明らかな言い逃れに周囲の目は冷たい。


「お前ら、往来で何をしている」


 騒ぎを聞きつけてきた保安局の兵士が二人、キトリーたちのもとへと姿を現す。ルーが連れてきたわけではなさそうだ。ルーは先ほどの場所で、事の成り行きをオロオロとしながら見ていた。


「痛い!こ、この女が突然暴力を振るってきたの!」


 言ったもん勝ちとばかりに、キトリーの先に口を開き被害者のふりをする。しかし、そこに財布を擦られた男が口を挟む。


「違いますよ。この女が…」

「貴様!」


 男の言葉をさえぎって兵士がキトリーに詰め寄る。


「騒ぎを起こすなと言っただろうが!」


 怒鳴り声を上げると、女性の腕をひねり上げるキトリーに手にした棒で強かに打ち付けた。その様子に周囲から悲鳴が上がる。何が起きたのかが分からず、加害女性すら唖然となった。


「やはり卑人は卑人だな。往来でいきなり暴行を働くとは!」


 昨日の門兵だと気が付いた時には、さらなる一撃が振り下ろされるところだった。加減されることのない全力の一撃にキトリーは膝をつく。抵抗は容易い。でも、保安兵を相手に立ち回りを演じるのは、卑人という身分を差し置いても、賢い選択とは言えない。


 ゆえに、甘んじて保安兵が振り下ろす棒を受けていた。


「待ってください!」


 ルーが駆け寄ってくる。

 周囲の人間が味方に付くとは思えない。

 『卑人』

 そう聞いた瞬間に、目の前で起きた事件の意味が彼らの中で変わったのだ。


「た、助かった。怖かったわ」


 チャンスとばかりに、女スリ師はもう一人の保安兵に泣きつく。

 加害者から被害者へ堂々と転身する。

 信じられない事態に、ルーは青い目を大きくしながら真実を叫ぶ。


「キトリーは何もしてません。この女がスリをしたから、取り押さえただけです」

「はん。言い訳をするな。こちらの女性がスリをしたお前らに声を掛けたから逆上して暴力を振るった。そういうことだろう」


 完全なる決めつけに二の句が継げなくなる。

 助けを求めて、ルーは被害者の男に目を向ける。

 軽蔑と無関心。

 窃盗から救われたことなど、無かったことのように関りを避けようとする。卑人なら助ける必要もないとその目が物語っていた。


 助ける術がわからず途方に暮れたルーが縋るような思いで暴行を受けているキトリーを見る。


-王都までつれて行けなくてごめんね


 キトリーはもう諦めていた。卑人と平民のどちらの意見が聞き入れられるか、それは経験で分かっていた。だからこそ、現行犯で捕まえた。

 だが、意味はなかったらしい。

 下手をしたら、こうなる可能性もわかっていたけども、キトリーには目の前の犯罪を見過ごすことができなかった。見て見ぬ振りも悪行だと知っているから。


 だから、捕まったことは仕方がない。このまま犯罪奴隷として強制労働が課せられるのも運命なのだろう。でも、ルーのことが心残りだった。


 彼女には助けが必要だから。


 ルーはキトリーの唇が「ごめんね」と動くのを見て、耐え難い怒りと己の不甲斐なさに心が揺さぶられていた。頭が爆発しそうになるのを感じたルーは自分にだけ聞こえる声で呪文を唱える。


「エルク・ルシ・クルカ」


 高ぶっている感情が収まってくる。

 どうしたらいい。

 どうしたらキトリーを助けられる。

 キトリーが言っていたことを懸命に思い出す。

 あの保安兵は話を聞く気がない。

 周りの人も同じだ。

 話を聞かせるにはどうすればいい。

 驚かせればいい。

 キトリーはそう言っていた。

 でも、どうすればいいの?

 何も思いつかない。

 何も思いつかない自分にいら立ちが募る。

 また、感情にふりまわされていっていることに今度は気が付かない。



 暴行の痛みに耐えながら、ルーを見るとおまじないの言葉を口にするのが見えた。日の今日で、感情のコントールを物にしようとしている。キトリーのために、冷静さを取り戻し一生懸命に思考を走らせているのが分かった。


 一度は諦めようとした心が、ルーの前向きさに再び奮い立つのを感じた。なぜ、そこまで彼女に肩入れするのか自分でもわからない。数日の付き合いで、彼女に人としての魅力を感じているのは事実だ。でも、それ以上の感情があふれている。


 ルーが再び冷静さを失ったのが分かった。無理もないと思う。諦めることを止めた瞬間から、現状を打破するために動き始めた。周囲に目を向ける。キトリーの周りには、人の輪ができている。傍観を決め込む人々をつぶさに観察する。


 買い物中の主婦に出勤前の男性、八百屋の主人、子供たち。共通するのはキトリーへ向けられる軽蔑のまなざし。その中に一つ、異質な光を見つける。


 天啓が降りてきた。


 分の悪い賭けだと思う。でも、最悪よりも下はない。


―あとは、それが私にできるかどうかだけね。


 しかし、オロオロとするルーを見た時、迷いのある心が定まった。キトリーは振り下ろされる棒をつかんで立ち上がと、騒ぎ出す兵士を一瞥し、野次馬の集団へ向かって歩き出す。 


「貴様!」


 保安兵がキトリーの突然の行動を良しとせず追いかける。彼を倒すことは造作もない。でも、ここで暴力は振るえない。だから、キトリーは保安兵を振り返ると、着ているワンピースを脱ぎ捨てた。


「な、な、な、な、な」


 いきなりの凶行に保安兵が後ずさる。


「キ、キトリー!」


 ルーからも悲鳴が上がる。素っ裸になったキトリーの肩や背中には真っ赤な痕が痛ましくついている。周囲が唖然として固まっている隙に、キトリーは取り囲む無関心の第三者たちの一人に詰め寄った。


 道を開ける野次馬と違い、呆然としながらも逃げようと背中を向ける男。キトリーは男の腕をつかみ取ると、保安官に向かって投げ飛ばした。地面にたたきつけられる男から、次々に財布が零れ落ちる。


 一つや二つではない。


 それを見た周囲の視線が慌てて自分のポケットを探り叫んだ。


「それ、私の財布じゃない?」


 疑問形のつぶやき。でも、それは確信へと変わる。


「こっちは俺のだ!」

「これは僕の!」

「私のもあるわ!」


 次々に上がる声に、ようやく保安兵も気づく。

 状況は一変していた。

 キトリーの動きは良くも悪くも注目を集めていた。女スリ師がしたような言い訳の通じる状況ではない。何しろキトリーは裸なのだ。その身のどこかに財布を隠していたはずがなく、男が犯人であることは誰の目にも明らかなのだ


 両親の教えに従えば、スリの基本は陽動と実動。一人でもできるが、それぞれの役割を担う仲間で事を起こすこともある。母親がキトリーを囮に使ったように、人々が何かに気を取られた隙に仕事を行う。女スリ師は一人だった。でも、だからと言って仲間がいないとは言い切れない。もしも、仲間がいるのなら、この場を離れるのも一つだが、これだけ耳目を集めている状況で、もう一仕事と考える可能性もあった。


 キトリーは苦笑いを浮かべる。

 予想は的中した。

 この状況を作り出してしまったのが両親の教育のたまものなら、この状況から抜け出す道を作ったのも両親の教育のおかげ。


 あとは運任せ。


「あのさ・・・」


 財布を盗られた被害者の一人が、一歩前へ進み出る。戸惑いながらも最初の事件について語り始める。一人が話すと、次々と目撃者が現れる。たとえ正しいことでも、一人で行動を起こす勇気を持つものは少ない。ましてや卑人のために動くものはいない。


 でも、うら若い女性が往来で裸になり、全力で身の潔白を証明しようとした。そのうえ、体は真っ赤に腫れあがっている。それを目の当たりにして何も感じないほど、非人間的ではいられない。卑人はすくなくとも”まだ”犯罪者ではない。


 ルーがキトリーの服を拾って慌てて駆け寄ってくる。


「ま、前を隠してください」


 ルーのほうが恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、服を押し付ける。キトリーは服を受け取り袖を通す。


「それで、まだ取り調べは必要ですか」


 保安兵に向かって質問する。

 キトリーに暴行を働いた兵士は忌々しそうに唾を地面に吐き捨てた。


「運がよかったな。だが、次も上手くいくと思うなよ」


 自分の非を一切認めることなく、捕まえた女スリ師とその仲間らしき男を立たせて、その場を立ち去ろうとする。ルーがその背中に向かって文句を言いたそうにしているのを止めさせた。


 言いたいことは五万とあるが、意味がない。


 犯人が連れ去れていくと、周囲の人たちも興味を失ったのか、人の輪がなくなり雑踏の中に消えていく。何事もなかったように日常が戻ってくる。


「みんな冷たいですね。キトリーのおかげで財布が戻ってきたのに、だれも何も言わないなんて」

「……そんなもんだよ」

「キトリーは、それでいいの?」


 納得できないといった表情でルーが聞き返す。


「ん。いいんじゃない?」

「うぅ。私は納得いかないです。だって、だって、あんまりじゃないですか」

「仕方ないよ。卑人なんだし」

「だからって納得できないですよぉ。私は嫌です。卑人だからって、ああいう風な態度をとるのも、そんな風に諦めてしまうのも」


 ルーの憤りはよくわかる。

 でも、キトリーは気にしない。

 とっくにすべてを諦めているから。


「ふふ。そんなことより、参考になったかな?驚かせると人は話を聞いてくれるでしょ」

「キ、キトリー!?二度とやっちゃだめですよ。殿方の前で素肌をさらすなんて!それに、キトリーは何も話してないじゃないですか。参考になんてなりませんよ!」


 一度は落ち着いていたのに再び真っ赤になった顔をぷくっと膨らませてキトリーに詰め寄る。キトリーを想い、怒り、立腹し、憤慨し、心配して、心を寄り添わせようとする。それが何よりもうれしかった。


 すべてを諦めたといっても、人前で裸になることが恥ずかしくないわけではなかった。でも、自分のために戦おうとしてくれるルーを見た時に、自然と周囲の視線がどうでもよくなった。


 この子のためなら、乗り越えられる。


 その感覚が不思議と心地よかった。


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