第10話 卑人

 翌日、宿場の街を朝早くに出た二人は、夕暮れ前に大きな街にたどり着いていた。


 ルーの足は完治したわけではないので、痛そうに歯を食いしばって歩いていた。キトリーは彼女の覚悟に水を差したくはなかったので、休憩を増やしたり、薬や包帯を交換する程度で、決して歩くのをやめようとは言わなかった。


 魔物に遭遇するなどの危険はなかった。


 ダダン王国では街道の安全を守るための討伐部隊が編成されて、定期的に巡回をしている。そのため、魔物や野獣に襲われるという被害はかなり軽減されている。魔物は普通ドルマの濃い場所を住処に選ぶため、街道沿いに顔を出すことは少ない。


 というよりも、人々は不浄のエネルギーの少ない場所に住む土地を求め、街道を切り開いているとも言える。もちろん、街道は草原地帯だけでなく森の中を横切ることもあるので、エサを求める肉食の獣や、時には魔物に遭遇することも決してゼロではない。


 マライバからニースへの道は森を通ることもない安全なルートだっただけだ。


 街に着いた二人は外門の前の列に並んでいた。


 不浄のエネルギーの少ない場所に街や村が生まれるといっても、危険がないわけではない。農村や小さな宿場町以外の大きな街では、人々は安全を求めて外壁を設けている。


 旅をしているものは様々だ。

 冒険者や商人。田舎から出稼ぎに来る人などが街に入るために簡単な審査を受ける。


「身分証を」


 ダダン王国の兵士であることが一目でわかる風の精霊の紋章が刻印された鎧に身を包んだ男が右手を出してくる。


 キトリーは森の生活に不要な身分証を奇跡的に捨てていなかった。洞窟の中を必死になって探し回ってようやく見つけたものであるが、無ければ大変なことになっていた。小成人の時にすべての住人に発行される身分証は一生涯、本人について回る。


 紛失した場合の再発行は当然可能である。しかし、身分証の再発行はかなり面倒な上に、本人の身元を保証する信用のおける第三者がいなければ、再発行自体できない。その瞬間、街への入場が不可能になるのだ。


「はい」


 二人分の身分証を差し出す。黒い金属プレートに白字で文字が刻まれている。出身地と生まれた年、名前が載っているがキトリーには読めない。さらに、宝石が一つ埋め込まれている。黒く輝きのない宝石。


 それを見た門兵が、汚らわしいものを見るような目つきに変わる。


「はっ、卑人か。この街に何しに来た?」


 高圧的な態度で、舐めるように視線を動かす。ルーがびくりと体を竦ませると、キトリーはそっと手を握った。


「特に何も。王都へ行く途中に寄っただけです」

「卑人風情が、王都でなにするんだか。はっ」


 ダダン王国の身分制度は簡単にいえば、王族、貴族、平民、卑人、奴隷となる。卑人はキトリーやルーのように親が犯罪者の場合。もしくは犯罪奴隷が刑期を全うした後の身分に相当する。そのため、よくて犯罪者予備軍、悪ければ犯罪者と同格だと思われる。


「まあ、貴様らのような輩が何を考えているかなんてわからんからな。それでここには何日滞在する。あまり長居するなよ」

「安心してください。明日には出ていきますから」


 卑人としての扱いなら、8歳のころから受けているのでキトリーには幾分余裕がある。業腹だが受け流せないわけではない。


「そうか。いい心がけだ。それからこの石を持ってろ。明日、町を出る時に門兵に返せばいい。これがあれば貴様らがどこにいようとわかるからな。変な気は起こすなよ」


 こぶし大の紫色の宝玉を一つずつ渡される。これも魔道具の一種なのだろうかとキトリーは思う。元の街にいたときに渡されたことはないので、旅人だから警戒されているのかもしれない。


 話は終わりとばかりに、キトリーはルーの手を引いてさっさと街中に入る。不愉快な時間は忘れるに限る。


「ルー。大丈夫?」

「…ごめんなさい」


 少し町中に入ったところで、ルーが立ち止まったので声を掛けると、謝罪の言葉が返ってきた。理由が分からず眉根を寄せる。


「キトリーが森にいたのは、ああいう人を避ける意味もあったのね。それなのに、私のせいで……」


 そういうことか、と独り言ちる。


「違うよ。前にも言ったでしょ。森は空気が奇麗だし、食べ物も新鮮でおいしい。ルーも一緒に見たじゃない。夜の輝きを。それが理由だよ。あんな視線気にしたこともない」

「ふふっ。キトリーは強いなぁ。・・・ありがと」

「とりあえず宿。それとも、毛皮を売りに行く?」

「まだ明るいし、毛皮を売りに行きましょう。たしか・・・」


 マライバで手にした商会の支店の情報を元に町を歩く。服装こそただの貧しい若い女性という感じだけど、そのうちの一人は刃先を隠していても明らかに槍とわかるものを持ち、大量の毛皮を背負っている。周囲の視線を一手に集めていた。


 目立つのはルーの可愛さもそれに一役買っているのではないかとキトリーは思う。

 大商会らしく大通りに面したところに支店は構えていた。リニッジ商会と大きな看板を出しているが、支店ゆえかそれほど大きくはない。店頭には商会の扱う商品が並べられており、通常の店舗のようにも見える。ただ、通常の支払い窓口とは別の窓口があり、様々な商材を抱えた商人風の人が数人並んでいた。


 店に並んでいる商品も、大工道具や調理道具から服飾品まで多岐にわたっている。何を専門としているのか用として知れない。そのためか、並んでいる商人も持ち込んでいるものがそれぞれ違っていた。


 ほどなくしてキトリー達の順番が回ってきたので、カウンターに毛皮を載せる。今回も交渉はルーにお任せしている。


「買い取りをお願いします」


 外門での出来事は吹っ切れたようだ。今度はペースに飲まれないぞと、肩に力が入りすぎているのが若干気になるくらいだけど、キトリーは安心してみていた。なんとなく保護者な気分になってしまうのは、ルーの幼さか、キトリーの人生経験ゆえか。


 買い取りの従業員は、宿場町の人のように癖のあるタイプではなかった。サラリーマンのようにただ与えられた役割をこなす。淡々とした雰囲気の20代半ばくらいの若い男性だ。


「エイプルが11枚、ハバルロウが6枚、シクライを13枚、アビが20枚にショルイドヴァが2枚・・・エイプルとシクライは1枚150リュート、ハバルロウは1枚200、アビはサービスして1枚5リュート、ショルイドヴァは、悪くないな。これなら1枚300出してもいい・・・うん、全部で5500リュートでお買取りしましょう」


 従業員らしき男は謎の計算機を使って計算しながら早口でまくし立てる。9つに区切られた正方形の中にそれぞれ9個ずつ玉が入っている。仕組みがよくわからないが、これで計算が出来るのだろう。


 それぞれの買取り価格を丁寧に提示されるとは思っていなかったキトリーは慌てて計算する。伊達に経理課に勤めていたわけではない。子供のころからやっていたそろばん2段の助けもあって、この程度の暗算なら問題ない。長く使っていなかった技術だけど、忘れていないらしい。


 計算は合っている。

 一生懸命暗算しようとしているルーに耳元で伝えてあげる。

 ふと、ハバルロウが1枚200だとしたら、アライバでは失敗したのかもしれない。もちろん、未処理だったのもあるから、なんとも言えないけども。


「そうね。もう一声、6000でいかがかしら」


 革の修理屋のおじさんの予想よりも高い値がついていたけども、ルーは少しだけ上乗せを試みる。


「お客さん、可愛らしいから、これでもサービスしてるんですよ。こちらの毛皮、今年のものじゃありませんよね。これも、これも、これも、2年から、3年ものですか。処理は問題ないようですが、保存状態があまりよくはなかったようですね。触ってみると明らかに違います。普通なら値段はつかないアビも量があるんで1枚5リュートつけさせていただいてます。・・・そうですね、一度お預かりして、ひとつずつ査定するという方法もございます。ただ、あまりお勧めできませんね。状態の良いものは値段が上がるかもしれませんが、下がるものもあるかと思います。さらに、お時間いただきますので、その分の料金を差し引くことになりますから」


「で、では5600リュートではいかがですか」


 相手の言いなりになりたくないという気持ちが出すぎている。声が上ずってるのは、「可愛い」と言われたからだろう。顔がほんのり上気しているルーと違い、言った本人は平然としている。感情が読みにくい。若くても商人ということなのだろう。


「ふむ。そうですね。いま、この場で決断するのでしたら5400リュートにしましょう」

「え、え、え?なんで、値段が下がるんですの?」

「時は金なりと申します。決断を誤れば、商機を逃すというものです」

「ちょ、ちょっと、まって」


 平然とする応じる従業員に、ルーは焦って周りをきょろきょろとして、キトリーを振り返った。


「ど、どうしましょう」

「任せるよ。最初にそう言ったでしょ」


 キトリーの愛のムチに、ますますルーが落ち着かなくなるのが分かった。

 目が泳いでいる。


-かわいいなぁ。


「深呼吸」


 息をスーハ―する仕草をして、落ち着くように促す。それを見て、ゆっくり呼吸をする。はーーーっと息を吐き切り、空気を吸う。


「わかりました。それでお願いします」


 従業員へ向き直り、取引成立の握手をしようと右手を差し出す。


「それじゃあ、5300リュートですね」

「は?」

「時は金なりと先ほども申したはずですが?」


 決断するのに時間を掛けたから値段を下げたのは当然とばかりに顔色一つ変えずに言う。


「そ、そんな!」


 慌てふためくルーを歯牙にもかけず、


「冗談です」


 にこりともせずに従業員が言う。ルーが右手をワナワナと震わせている。


「最初に提示した5500で構いません。お客様があまりにも可愛らしいので、すこし揶揄いが過ぎましたね。失礼しました。それでは、身分証をお願いします」


 あまりの衝撃にルーの思考は停止していた。


「ところで、5時の鐘が成れば仕事上がりなのですが、夕食をご一緒にいかがですか」

「な、な、な、な、な、な」


 言葉にならない。従業員も、デートに誘っているとは思えないほど表情が変わらない。本気か冗談かすら横で見ているキトリーにもわからなかった。


「いかがです?近くにエイプルを使ったおいしいレストランがあるんですよ。この時期は脂の乗り具合もちょうどいいですからね。寒くなると脂肪が増えすぎてて、胃にもたれるんです。そう思いませんか?」


 置いてきぼりのルーを無視して、次々に言葉を重ねる。デートへの誘いはどうやら本気らしい。が、表情も声も業務用のままだ。


「それで、身分証は?」


 ついでとばかりに仕事を進めようとする。

 その言葉でようやく我に返り、ルーが身分証を見せる。

 瞬間。

 無表情からさらに表情が消えた。


「卑人ですか。残念ですが、先ほどの買取価格は平民向けのものですので、価格は4分の1になります。そうですね・・1375リュート。それでよろしければ、こちらにサインを・・・サインが無理ならこちらで代筆しますよ」


 ルーだけでなく、彼の言葉にはキトリーも愕然とした。卑人に対する差別には慣れたつもりでいたが、この仕打ちは想定外だった。宿場町では、身分証など求められなかったが、あれは正規の取引ではないということかもしれない。


 街での取引にはルールがある。


 周囲の人を見ても、二人に蔑んだ視線を投げるものはあっても、理不尽な取引に同情や怒りの感情を抱いているような人は見受けられなかった。それが当然のことだと思っているのだ。


「念のためにいいますが、卑人の買取価格が4分の1になるのは、どこへ行っても一緒ですよ」


 親切のつもりの発言が二人に追い打ちをかける。客に対する言葉遣いを捨てなかった分、門兵よりマシかもしれない。でも、それは何の慰めにもならない。どこへ行こうと卑人に対する扱いは変わらない。


 それが事実として重くのしかかる。


「それで、構いません」


 ルーがきっぱりと言い切った。

 キトリーが肩に手をのせる。任せると言った以上、止めはしない。だから、彼女の決断を後押しする意味を込めて。


「では、こちらにサインを」


 ルーが名前を記し、代金を受け取る。先ほどのナンパのような真似もなかったことになったらしい。それ以上、何も言わずに毛皮を運ぶように別の従業員を呼ぶと、興味を失ったとばかりに次の商人のほうに目を向ける。


 リニッジ商会を出た二人は、見た目が身軽になった反面、ほかの何かを背負わされたかのように重い足取りで通りを歩きだした。


 紅い空に照らされて染まる建物の白い壁。時間を告げる鐘の低い響きが体を震わせる。

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