第9話 古着屋

 キトリーが子供のころは常に古着だった。家が貧しいというのもあるが、新品の既製品を着るのは中間層以上の人たちだけだ。中間層の人々は古くなった服を古着屋に売り払う。下級層の人々は、古着を擦り切れるまで着続ける。そして、擦り切れたら当て布をして、まだ着続ける。それでもダメになれば雑巾にして、ボロボロになるまで使い潰す。


 キトリーの家は後者だった。盗賊家業に中間層の生活ができるわけもないのだ。いいときもあれば悪いときもある。


 古着屋には大きなテーブルが4つあり、セール品のように雑に服が積みあげられている。テーブルごとに値段が違うらしく、立札がかけてある。壁際には下着のような小物もいくつかのカゴに適当に置いてあった。


 反対側の壁には、ハンガーにかかった色とりどりの服があった。テーブルの上の服とはランクが違う。縫製も生地もデザインも。こんな小さな宿場町には不釣り合いすぎておそらくもう何年も売れていないのではないかと思う。


 どちらにしても、それらの服は必要ないので、テーブルの上から服を探すしかない。


「ルー。この立て札は値段なの?」


 キトリーは読み書きができないのでルーに尋ねる。


「うん。こっちのテーブルが全部50リュート、こっちは30リュートで、あっちが100と200ね」


 交渉の必要がないのは結構だが、思ったよりも高い。古着一着で宿一泊分に近いというのは想定外だ。


-宿が安いのかな?


 仕方なしに1着30リュートのテーブルを物色する。状態は悪いけども、服としての機能は辛うじて残っている。


 破れている部分や、擦り切れている部分もあるけども着れないことはない。だが、ルーの顔色は優れない。覚悟を決めたとはいえ、一週間前までは貴族の令嬢だった彼女は頭と心のバランスが一致していないのだ。


「ルー。とりあえず我慢できる?たぶん、次の街で毛皮を売れば何とかなると思う」

「ふふ。大丈夫よ。それに、これを見て、シンプルだけどかわいいと思わない?」


 浅葱色のワンピースを体に当ててみる。


「うん。似合ってる」


 彼女が来ているような繊細な刺繍も何もない、単色のワンピース。胸元に何かの汁でできたシミがあり、裾もほつれている。30リュートと思えば妥当なのかもしれない。


 旅装としてワンピースは不適切かもしれないが、いざとなれば走ることもできるし、上下が分かれてないので、買い物が一着で済むというのも都合がいい。それを見習ってキトリーも一着服を選んだ。


 同じようなデザインの若草色のワンピースだ。左腕が途中からちぎれているほかは、目立つ損傷はない。生地も薄いので、半袖かノースリーブに仕立て直せばいいのにと思う。夏が終わり秋の始まり、肌寒くなってきたが、いまの季節ならまだ問題は無い。


「どうかな?」

「悪くはないと思うけど・・・」


 ルーが言葉を濁らせる。キトリーの場合は、売り物の毛皮や短槍を持っているのでどんな服を来たところで浮いてしまう。特にワンピースのような服であればなおさらだ。


「まあ、とりあえずだからね」


 ここから先はルーの出番とばかりに、選んだ服を手渡す。


「すみません」


 二人が店に入った時から、声もかけずにずっと胡乱な目をしていた女店主に話しかける。くたびれた雰囲気で30代か40代か、年齢がわからりにくい。眠たそうに瞼が半分下がっている。


「こっちの服を欲しいんですけど、その前に私の着ている服、買い取っていただけます?」

「30」


 間髪を入れずに値段が返ってくる。


「30!?」


 おうむ返しに値段を言って絶句する。

 30リュートの服とは、生地、縫製、デザイン、その他もろもろ雲泥の差があるのにも関わらず随分な査定である。もちろん、売値と買値では天と地ほどの差があるのは重々承知だが。それにしても強気な値段設定だ。おそらく、30リュートの服を漁るキトリー達を30リュート程度と認識したのだろう。


「ちょ、ちょっと、お待ちになってくださる?この服、シントラの街で仕立てられた一級品ですのよ。30リュートだなんて冗談にしても笑えませんわ」


 さっきまでと打って変わってお嬢様っぽい言葉を使用する。この服を着ている人も一般人ではないというアピールだろう。


「で?」


 些かも態度を変えない店主。

 最初の時点でペースが完全にあちら側にある。


「そちらの壁に掛けられている服と比べても、私の着ているものの方が遥かに上等ですのよ。それを30だなんて価値のわからない方ですこと」


「で?」


 店主はぶれない。

 挑発するような物言いに、ルーのこめかみがピクピクとしている。


「・・・わかりましたわ。この服200リュートで売ってあげてもよろしくてよ」


 普段のルーからは想像できない上からの物言い。それが貴族らしさなのかもしれない。でも、これは完全に悪手だ。

 店主は片眉を上げる。

 驚いた様子も、策に乗ってきたルーを侮蔑するわけでもない。淡々としている。


「それじゃあ、150、いや200でいいわ」

「ルー。やっぱりやめておこう」


 キトリーとしては口を出さないつもりだったけど、手持ちの少ない今、少しでも高く売りたい。袖を引っ張って無理矢理交渉を終了させる。


「で、でも・・・」


 不服そうな顔をしているが、キトリーはルーの抗議を無視する。不満げなのは女店主も同じだからだ。二着のワンピースと手ぬぐいを3枚ほど見繕って会計を済ませて店を足早に出ていく。


「たぶん。ルーの服はもっと高く売れる」

「そうなの?なんでそんなことがわかるの」

「あの女店主は最初に30リュートって金額を提示したの。それに対して、ルーは6倍以上の値段をつけた。でも、それをあっさりと飲んだのよ。変だと思わない?」

「それは・・そうね」

「ね、横で見てると丸わかりなんだけど、ルーは完全にあの人のペースに乗せられてた。だから、そんな単純なことにも気づかなかった」

「そっか。ありがとう。キトリーがいなかったら私はまた失敗してた。キトリーは本当にすごいなぁ」

「そんなことないよ。横で見てたからわかったけど、私も交渉事なんて経験ないから」


 革製品の修理工房でのやり取りは偶々うまくいっただけだと思っている。もちろん、ルーよりは人生経験は豊富だし、美玖のころにテレビドラマや映画を見て学んだこともある。でも、それらを実践できるほどキトリーは有能ではない。ただ、横で見ていれば何が起きているか理解できる程度には、冷静なのだと思う。


「とりあえず、宿に向かおうか」


 二人が選んだのは、客引きが一番安い値段を提示した『木馬亭』という小さな宿だ。値段は一晩100リュート。二人と言ったはずなのに、案内されたのはベッドが一つだった。ダブルサイズだったので、特に問題はないだろうと二人で決めた。


 二日間一緒に寝ていたので今更だと思うし、節約はした方がいい。うれしいことに、料金には朝食と夕食の二食がついてた。まだ、夕飯には早かったので、宿の部屋で一休みしている。宿屋の主人にもらったお湯を使って、体を拭ってから、買ったばかりの古着に袖を通す。


 想像通り生地が薄くて肌寒い。片腕がないのはバランスが悪いので、もう片方をナイフで落としてノースリーブにしている。動けば体はあったまるから大丈夫だろう。最悪売り物の毛皮もある。


「ルー、足をみせて」


 ベッドの上に二人で向かい合い、ルーの足を手に取った。ルーの足にできていた水ぶくれがつぶれていた。マライバへの道中、足を引きずるようになった時に一応の処置はしていたけども、痛みがなくなったわけではないと思う。

 それでも弱音一つ吐かずに歩き続けたルーをほめる。


「がんばったね」

「えへへ」


 照れくさそうににこにこする。足もお湯を使ってしっかりと汚れを落とすと、キトリーはカゴの中の薬草を手に取った。人の掌のような形をしたグリニスの葉っぱを数枚。赤い小さなイシバミの実を一粒。ヘルメットアンツの容器の中で、叩いて叩いて叩いて潰す。


 そこに油を数滴たらして、ねっとりとしてきたところで患部に塗布する。古着屋で手に入れたタオルを切り裂いて、包帯代わりに傷口を保護する。


「ありがとう。こういう薬の知識も森で教わったの」

「うん。怪我をした獣が赤い実をかじったり、患部をこの葉っぱにこすりつけたりしてたのを見てね。赤い実は痛み止めになるし、葉っぱの方は化膿止めになるみたい」

「ふふ、キトリーはお医者様みたいね」

「すごいでしょ」


 前世では医者だったけど、そのころの知識なんて役には立たない。あくまでもこれらは実学だ。包帯を巻き終わったところで、ルーの足裏、足首、ふくらはぎとマッサージする。足の裏のツボを刺激するように少し強めに押して、足首は筋が伸びるように柔らかくほぐす。ふくらはぎは筋肉が張っている感じはない。それでも今日一日歩き続けて疲れは溜まっているのは間違いないので、リンパの流れを良くするように優しくもみほぐす。


「うぅ。はぁ。気持ちぃ」


 気持ちよさそうに声を上げる。


「キトリーも足を出して」


 素直に足を出してお互いにモミモミ、モミモミ。肌も白くて、すべすべで柔らかいルーの足を揉んでいると、自分の足と比較してちょっと恥ずかしくなる。


-男みたいだ。


 決してそんなことはないけども、そういう風に感じてしまう。森で暮らしていたキトリーの肌の露出は多く、全体的に日焼けしている。毎日のように森を駆けていれば、当然のことながら引き締まった体が出来てくる。ルーから見るとスレンダーなキトリーが羨ましいのだが、それは本人にはわからない。


 夕食の時間まで他愛のない会話をしながらゆっくりとした時間を過ごす。慣れたとはいえ、森の中では最低限の緊張感を常に持っていたキトリーは、久しぶりに心休まる状況で寛ぎを感じていた。

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