第8話 毛皮の売却

 森を出たのは二日後のことだった。


 売り物にする予定の毛皮のブラッシングと洗浄、日干しを行いきれいに整えた。毛皮だけでなく毛をはぎ取って鞣した皮もある。それらをクルクルと巻いて動物の種類ごとに革ひもでまとめた。とはいえ、3年分の獣の皮はかなりの量がある。キトリーの姿が見えないほど背中に担がれている。


 森でその日暮らしをするキトリーはバッグというものを持たない。採集用にカゴはあるが、旅の装いとしては使い勝手が悪い。


 着の身着のままでやってきたルーも持っていないので、急ごしらえで食料品を入れるバッグを製作した。動物の皮を継ぎはぎで縫い合わせて作った雑な代物だ。そこに、キトリーが作っていた保存食を入れている。


 王都までの道のりを思うと心もとない量ではあるので、基本的には現地調達を考えている。ただ、狩猟や採集のノウハウのあるキトリーでも、見知らぬ土地ではその力を充分に発揮することはできない。


 革の布を胸と腰に巻き付けただけの野性味あふれるキトリーと、多少の綻びはあるものの高級な生地のワンピース姿の令嬢然とした二人が並んで歩くさまは実に異様だ。


 キトリーは格好もそうだが、短槍を手に大量の毛皮を背負っている。さらに、継ぎはぎだらけの革の袋というのも含めて未開の地の住人が、森の奥で手に入らない貴重な調味料や薬を求めて街に出てきたという雰囲気である。


 何も持たないのは悪いというのでルーには、森で採集に使っている蔓で作ったカゴを持たせている。調味料と薬草、水筒などの小物を入れているだけなので、それほど重くはないはずだ。


 ベースとなるカゴは蔦で作ったものだが、使いながら色々と手を加えていったので、ワンピース姿のルーが手にしていても違和感ないほどに可愛い細工が施されている。


 歩いて半日過ぎたころ、ようやく小さな町が見えてきた。マライバという小さな宿場町だ。大きな街から街というのは、距離があるため、獣車の旅にしても徒歩の旅にしても、こうした宿場町を経由しながら少しずつ進むことになる。逆に言えば、休みが必要な距離ごとに、宿場町は作られている。


 まだ日が陰るには早く、頑張れば次の村か町までは歩ける時間。

 ただ、横を歩くルーを見て、キトリーはここまでかなと考える。旅慣れない彼女にいきなり長時間の移動は無理だ。


「今日はここまでにしようか」

「え、ええ。ごめんなさい。足が痛くて・・・」

「気にしない。気にしない。慣れてないのもあるけど、その靴じゃあ王都までなんて無理よ。服もそうだけど、靴も買わないとね」


 ルーの履いている靴は、小さな花がいくつかあしらわれたパンプスのような靴だ。ハイヒールでなかったのは幸いだが、それでも長時間歩くことを目的としていないお洒落重視の靴だ。


 手持ちの現金で買えるのなら、ここで靴も用意したいと思う。

 町の中に入ると、宿場町ということもあり、あちこちで宿の客引きの声が聞こえる。ただ、キトリーとルーを見ると、その声は明後日のほうに向けられる。

 災いの種。

 できれば近づきたくないという気持ちが、あからさまな態度となって表れている。


「すみません」


 相手が来ないならこちらから行くしかない。キトリーは奇異の目で見られていることを無視して手近な客引きに声をかける。


「二人部屋で一泊いくらです?」

「あーすみませんね。うちはもう満室なんですよ」


 先ほどまで呼び込みの声を上げていたというのに、二人を見て堂々と嘯く。


「ちょっと、あなた!」

「ルー。落ち着いて」


 掴みかかろうとする勢いのルーを抑えて、キトリーは話を続ける。


「そうですか。残念ですが、次回の参考に値段だけでも聞いていいですか?」

「・・・」


 値踏みするように二人を下から上まで見ると、たっぷり溜めて答える。


「200リュート」


 残金だと3日で破産する。定価という概念はないのかもしれない。こちらの見た目で値段を決めている。そんな風にも思えた。


「ありがとう」


 心にもない礼を口にすると、次々と客引きに声をかけて宿の相場を確認する。100~400リュート。それがこの宿場町での宿の値段だった。

 宿屋の外観はいずれも木造の二階建て。一階で食堂を営んでいるスタイルが多いらしい。建物の作りはどこも大体同じだった。


 貴族や大商人など、お金に余裕のある人々はマライバを抜けて次の街まで行くのだろう。ここで足を止めるとは思えない。


 宿の相場を把握したところで、今度は革製品を扱うお店に向かう。


 小さな宿場町とは言え、雑多な業種が軒を連ねている。当然のことながら食料品店もあるし、服屋も小物を扱うお店もある。旅人がほんのわずかな時間を過ごすだけの場所とはいえ、その町で暮らす人もいるのだから、日用品の類は一通り扱っている。


 旅の途中で壊れたものを修理するための工房も数多く並んでいた。

 そのうちの一軒を、キトリーとルーは訪ねてみた。

 軒先に動物の皮がぶら下がっていたので、革製品を扱うお店とにらんでのこと。


「なんでえ。変わった組み合わせだな」


 頭に手ぬぐいを巻いた50過ぎのずんぐりとした男が椅子に座り、革のバッグの修理をしていた。何度も使っているうちに、革がすり減り穴が開いたのだろう。お金があるものは新しいものを買うのだろうが、そうでなければ修理して使う。そういうものなのだろう。


 彼の近くには、修理前のカバンや靴などの革製品がお客様からの預かり品とは思えないほど雑に積み上げられていた。


「こちらで毛皮の買い取りはしてますか」

「ものによるな・・・見せてみろ・・・・エイプル、ハバルロウにシクライ、ゲントウと、アビ、ショルイドヴァか。ぜんぶ嬢ちゃんが狩ったのか」


「ええ」

「処理も自分で?」

「ハバルロウは予定外に手に入ったから未処理だけど」

「ああ、そこは問題じゃねぇ。まだ昨日の今日ってとこだろ。それなら問題ねえな。それからこっちの革は引き取れるが、毛皮はうちじゃあ扱ってないからな、安くてもいいってんなら買い取りは出来るぜ」

「なら、こっちの未処理のハバルロウと、この辺の革でいくらです」


 毛を剥いである方の革は全体からするとそんなに量はない。全体的には毛皮付きがほとんどだ。単純に寝床に使えるという点もあるけど、毛をむしってまで革製品を作る理由がなかったからだ。


「大きさも質も悪くはねぇ。ただ、こっちもそれなりに在庫があるからな。全部で500ってところか」


-どうしようか。


 逡巡する。本音を言えば、宿屋の相場を調べた時のように、いろんなお店で相場を調べるのが正しい。ただ、キトリーは直感で思う。目の前の工房主は正直者だと。


「600でよければ、譲ります」

「はん。悪かねぇ」


 椅子の下をまさぐり大銀貨をきっちり12枚指先の間隔で拾い上げる。


「キトリー、いいの?」


 いままで黙っていたルーが小声で尋ねる。これらの革はキトリーのものなのでルーが口を挟むことではない。でも、宿の相場を調べた時のような慎重さがないと思ったのだろう。


「大丈夫だから安心して・・・おじさん。安くてもいいなら毛皮も買い取れるって言ったけど、だれか買い取りしてくれる人を知ってるの?」

「そりゃあ、嬢ちゃんみたいに売りに来る人を待ってるわけじゃあねぇからな。定期的に来る商人がいらぁな。何だい。紹介してほしいのか」

「そんなところかな。それと、大体のところの相場がわかるなら教えてほしいんだけど」

「んあ?嬢ちゃん、相場わからずに売ったのか。はん。とんでもねぇ素人じゃねぇか。目つきも鋭いし、堂々としてっけど・・・わかんねぇもんだな。だが、安心しな。ぼったくっちゃいねぇよ。そうだな・・・」


 ぺろりと唇の濡らすと、工房主が親切に毛皮の相場について教えてくれる。時期的にもこれから冬に向かっていくので、価格は上昇傾向にあるらしい。彼の取引の相手は王都に大きな商会を構えているらしいが、隣街のニースにも支店があるらしいから、そこで売るのが一番という話だ。


 商人なので全幅の信用は出来ないが、王都に商会を構えて50年以上問題なくやってきている以上、周囲の評判が下がることはしないだろうと言っていた。


「ねえ、なんで売ったの」


 工房を出て、服屋へと向かう道すがらルーがそんなことを聞いてくる。


「信用できそうだって思っただけよ。本当だったら、扱いの無い毛皮も安値で買い取ってもいいのに、それをしなかった点は信用できる。それに、毛皮に比べてそんなに量はなかったから、損しても売れたほうがいいなって思ったの。うまく儲けさせることが出来たなら、多少は彼の口も滑りやすくなるでしょ。結局いい話も聞けたし、悪くないと思う。それにね。ニースはそこそこ大きい街みたいだから、私たちの服も揃えておきたいから」

「キトリーって何者?」

「え?」

「だって、だって、13歳で街をでて、それからずっと森で暮らしてたのに、なんでそんなにいろんなことがわかるの?」


 キトリーは思わず立ち止まった。


「・・・気持ち悪い?」

「ううん。そんなことないよ。ただ、キトリーはすごいなって。私なんて、父が商会をやってたから、商売についても少し学んでる。でも、あんなふうにやり取りなんて出来ないもの」


-私も初めてなんだけど。


 美玖としてOLをやっていたころ、友達とタイに旅行に行ったことがあった。その時は露店の雑貨屋で、ちょっとした駆け引きを楽しんだものだ。でも、それとこれとは違う。だから、ただの年の甲かなと思う。直接的な経験がなくても、長い人生が生かされているのかも。


「正直言うとね。初めてキトリーと会った時、お父様に一つの商談を任されたの。お父様はちょっとした経験を積ませたかっただけで、もちろん重要な取引でもなんでもなかったんだけど。全然うまくいかなかった。覚えてる?あの時、私、家に帰るのがすごく嫌で、それで・・・」

「何とか私に恩返しできないかとしつこく迫ったと」

「しつこくって・・・ちょっと、しつこかったかしら?」

「ちょっとだけ」

「うぅ。だって、悔しかったんだもん。で、でも。あれから、いっぱい勉強したの。だけど・・・」

「よし、じゃあ、服の売買はルーに任せちゃおう。ルーの服を売って、二人分の旅装を整える。予算はそんなにないから、交渉は任せた。失敗したら今日も野宿かな」

「うぅ。キトリーは優しいけど、優しくないよぉ」


 可愛い悲鳴を上げるルーの髪をくしゃくしゃにする。少し先に古着屋らしきお店が見えてきた。

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