第7話 召喚獣
「で?」
思わず言ってから、速攻で後悔する。
-地雷踏んだかも
時すでに遅し、ルーラルの目から滝のごとく滂沱する。
「ひぐっ、みんな、似てるっていうし。だって、私なんて…ひぐっ…ほかに…ひぐっ…なにも…ひぐっ…でぎばぐで…」
-やってしまった
情緒不安定なことがわかっていたのに、ついうっかり対応を間違ってしまう。キトリーは反省する。
「泣かない。泣かない」
ルーラルの頭に手を載せて、ポフポフする。それでも、泣き止まないので抱きしめて、いい子いい子、とばかりに頭を撫でてやる。ようやく涙が止まって、ウルウルした瞳で上目づかいに見上げてくる。
-かわいいなぁ
小動物のようなかわいらしさがそこにある。
「今日はもう、寝ようか。ルーラルもいっぱい歩いて疲れてるみたいだし」
「…うん。キトリーあのね。ルーって呼んでくれる?」
「ルー?」
「うん。昔、お母様にはそう呼ばれていたの。キトリーすごく包容力あるから、こうしてるとホッとするし、抱きしめられるとお母さまみたいだなって」
「えーと…私たち同い年だよね」
もちろん、実際にはおばあちゃんくらいなのは事実だけど。と心の中で付け加える。
「そ、それは、そうなんだけど……」
「せめてお姉ちゃ……ルーラル!」
何かが接近する気配をつかんで、キトリーが叫ぶ。
「だから、ルーって呼んでよ」
「そんなこと言ってる場合じゃない。洞窟に隠れて。何か来る」
ルーラルの抗議を抑え込んで、その身を引きはがすと焚火の横に置いていた短槍を手にする。森の中では何が起こるかわからないので、武器は常に手元に置いている。
音のする方に首を巡らせて、姿勢を低くする。
枝を折る音。
草を踏む音。
音を聞き分ける。敵は3体、速度は早い。おそらく肉食の四足獣。この辺にいるとすればハバルロウだろうかと、キトリーは思う。
-まさか彼女の物まねに呼ばれた?
洞窟の中で身を竦ませるルーラルに視線を向けて、突飛な想像をする頭をふるう。接近する音から距離と速度を図り、タイミングを見計らう。構えていた槍を左手に持ち替えて、ナイフを手にすると、何も見えない森に向かって、ナイフを素早く放った。
ギャンと悲鳴が聞こえ、何かが倒れる音がする。
足音に追いつくように闇の中から赤い影が2つ現れる。星と焚火の僅かな明かりの中でもハッキリとわかるほどに毛並みは燃えるように赤い。赤いルロウ族のため、ハバルロウという。見た目は中型犬程度の狼によく似た獣だ。
明るい場所では目が猫のように細くなるのが特徴で、つまりは夜目が利く。とはいえ、落ち着いて対処すればキトリーにとっては大した問題ではない。迫ってくるハバルロウに向かって、足元の火のついた薪を蹴り上げる。視界を奪ってできた隙に、短槍で一突き頭を刺し貫く。手製の槍は深々と刺さり、容易には抜けそうにない。その隙をついて、残った一体がキトリーに飛びかかってきた。ハバルロウに刺さった槍をあっさりと手放すと、素早くその場から横に飛んで躱した。
素早く身を翻して、徒手空拳で対峙する。
ちらりと周囲を確認して、武器に使えそうなものを探す。刺さったままの短槍、火のついた薪、焚火を囲っていた骨で作った三脚。大きな石から小さな石まで。使えそうな得物はない。
-素手でいいかな?
隙を伺うように左右に動く赤狼に、キトリーから仕掛けた。
一瞬で間合いを詰めると、頭部を狙った中段の回し蹴りを放つ。ハバルロウは後ろに飛ぶことで回避した。それが運命を決定づける。
キトリーに向かって飛びかかっていれば、攻撃を中断して避ける必要があったが、それが必要なくなった。伸ばした足を巻き込むように体に寄せると、そのまま真っ直ぐに蹴りを放つ。
ギリギリつま先が鼻っ柱にヒットする。痛みに怯んだところに、キトリーは追い打ちをかける。回転を加えた蹴りが頭部を強打し、十分な力でもってハバルロウの息の根を止めた。
右の太ももを軽くなでると、周囲へ意識を向けて、ほかの敵がいないことを確認する。
アルノーのころに学んだ格闘技の技術と、キトリーとしての森での生活で作り上げたオリジナルの戦闘術であるが、知らないうちに彼女を鍛え上げていた。だが、こんなにも簡単に獣を素手で倒せるのは、それだけが理由ではないと思っている。
魔法すら存在するこの世界の法則は、美玖やアルノーとして生きた世界とは異なり肉体の強度に違いがある。ルーラルとは違い女性として上背のあるキトリーだが、決して筋骨隆々というわけでなく、鍛え上げられてはいても女性らしい繊細な体つきをしている。
「もう大丈夫よ」
軽快な足取りで洞窟戻ると、ルーラルの安全を確認してホッと胸をなでおろす。岩陰から飛び出してくると、そのままの勢いでキトリーの胸にダイブする。
「さすがキトリーです。でもでも、武器もなしにハバルロウと対峙するなんて、心配で心臓が飛び出そうになりました」
「大げさだな。大丈夫だよ。あの程度は大したことはないから……そんなことより」
「いひゃい?」
ルーラルの頬をつまんで、引っ張る。
「あれ、二度とやらないでね」
「えぇええええ。わたひですは。へもへも、いままへ、ほんなほほおきたほほないへふよ。(ええ、私ですか、でも、いままで、そんなこと起きたことないですよ)」
「とにかく禁止。確かにハバルロウはこの辺にいるけど、たまたま遭遇する以外で襲われることなんてないよ。明らかにこっちに向かってきていたし、ルーラルの遠吠えに惹かれたとしか思えない」
「うぅ。わかっはよ。へも。ルーラルへなふルーってほんで」
「いいけど、ルーなんて、シュロみたいじゃない?」
シュロとは猫そっくりの動物で、町の至る所に野良がいる。町を離れた唯一の後悔はシュロに触れられないことくらいだ。シュロを撫でていると嫌なこともすべて忘れられる。
「ええ、そんな。シュロみたいだなんて、照れます」
「なんでよ」
「だって、シュロってかわいらしいじゃないですか」
「いや、まあ、そうだけど…まあ、いいか。じゃあ、私はハバルロウを処理してくるから、そこにある毛皮つかって、ルーラルの寝床…じゃなくてルーの寝床を作ってて」
ルーと呼ばれたことに満面の笑みを見せると、周囲をきょろきょろとして寝る場所を探し始める。野宿の経験などあるはずもない。でも、ここに来るまでに覚悟はしていたのだろう。動揺することなく、事実を受け入れて動き出す彼女をみてキトリーは安心する。
泣いてばかりいる彼女だけど、置かれている状況はちゃんと理解している。
-芯の強い子だ。
ハバルロウの処理は最低限なものにする。
売るために皮をはぎ取り、心臓を潰す。それだけだ。
光が乏しくても、作業には慣れているので日中にするのとそれほどわらない。サクサクと3頭とも処理を済ませて、手を洗い洞窟へと戻る。
……何も変わってなかった。
「ルー?」
「よ、用意しようと思ったのよ。思ったけど、一緒に寝たいなって…私、野宿するの初めてだし…森はちょっと怖いし、ダメかな?」
言い訳をしどろもどろにしながら、得意の上目遣い攻撃にキトリーは為すすべがない。
「……その上目遣いも禁止ね」
「な、なんで?」
「だって、可愛すぎる!」
「キトリー?」
「一緒に寝るから、上目遣いは禁止ね」
「そんなこと言っても、キトリー背ぇ高いから」
「とにかく、ダメ」
「うえぇえ。わかったよ。もう」
と、今度はぶくっとほっぺを丸く膨らませる。
-リスみたいでかわいい。
「よし。それから、路銀の足しに、このナイフ売ってもいい?」
「ええええ。キトリーひどいよ。なんでそういうこと言うの。それはただのナイフじゃないんだよ」
必死になって訴える。
ぷんぷんと怒っている様子もなんだか可愛らしい。
「でも、もしもお金が足りなかっ・・」
「だから、そういう問題じゃないの!キトリーはわかってない。そのナイフはお金じゃないの。キトリーと私とを結びつける絆なの」
ルーラルの剣幕に押されてキトリーは謝る。
「わかった。ごめん」
ただ、本心はいざとなればと思っている。手持ちの中では一番の値打ち品なのは間違いない。毛皮にどの程度の価値があるのか不明だし、旅はかなり長くなる。お金に換えられない価値のものもあるとは思う。でも、お金で買えるものもあるのも事実だ。
キトリーはいつからこんな風に合理的に物事を考えるようになったのだろうと思う。
「うん。わかってくれたならいいの。お金のことは私も心配だよ。だから、私もね、キトリーがハバルロウの処理している間、少し考えたの。キトリーは、魔物もいっぱい狩ってるでしょ。いろいろと魔物の素材を見せてもらったけど、魔核はないの?」
「魔核?」
「魔核は魔核だよ。魔物の心臓」
「それは知ってるけど、魔核って売れるの?」
「売れるよ。値段まではわかんないけど、魔核は魔道具を作るための核になるから。大きさも濃度も関係なく買い取りはしてくれる」
「…そうなんだ。ごめん。使い道ないから全部捨ててた」
魔物を狩った時に、黒いごつごつとした石のようなものはあった。しかし、割ることも削ることもできず、加工に向かなかったのでその場に置いてきた。
「そっか。森の中では使い道がないものね。ふふっ、でも、たまには私の知識も役に立つでしょ」
「うん。エライエライ」
そういって、ルーラルの頭をなでなでする。キトリーは徐々に彼女の扱いを心得てきた。小学生くらいと思って接しよう。たぶん、それが正解だ。
「じゃあ、今度こそ寝ようか」
「うん」
二人は洞窟の中、毛皮を敷いているところで体を横にする。何枚も毛皮を重ねているので、岩肌の上とは思えないくらい柔らかく温かい。
体の上には別の毛皮をかけて毛布とする。
ルーラルがキトリーの腕を取り、体を寄せてくる。前々から気づいていたけども、ルーラルは胸が大きい。押し当てられる柔らかな感触。人の体温は本当にあったかい。
「星がすごいね」
ルーラルに言われて夜空を見上げる。
洞窟の中といっても、雨の入り込まない程度、光の届くところを寝床にしているのでそれはよく見える。焚火の火はほとんど消えて、わずかな赤い光が地面に見える程度。わざわざ消さなくても山火事の心配はない。
「町から見る星空とは全然違う。これがキトリーがいつも見てる空なのね」
「すごいでしょ」
「うん。精霊の輝きの中にいるみたい」
「精霊の輝き」
「キトリーも見たでしょ。魔法を使ったときに光り輝いていた精霊たち」
精霊魔法は精霊にマナを与える代わりに奇跡を起こしてもらう。精霊にマナを渡すとキラキラと光り輝く。
「星はなぜあんなに風に輝けるのでしょうか。マナが満ちた星なのでしょうか」
「ルー」
「なあに」
空からキトリーへと視線を移す。
「おしゃべりもいいけど、疲れたでしょ。今日はもう寝よう」
「…うん。おやすみ」
随分と久しぶりの言葉だ。
「おやすみ」
お互いのぬくもりを感じながら目を閉じる。
夜の森の声。
蟲のざわめきや、葉擦れの音。
キトリーには日常だけど、ルーラルには少し怖いのかもしれない。一緒に寝るなんて甘えん坊だと思ったけど、眠るには心を落ち着けることも必要なのだ。キトリーの体温がそれを与えてくれればいいと思う。
安心させるように、キトリーの腕をつかむその手にそっと右手を添える。
呼吸は深くゆっくりと流れ、徐々に意識が薄れていく。
-おやすみ
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