第6話 ルーラルの事情
彼女の張りつめた表情、覚悟を決めた力強い目。彼女は言葉の意味を理解している。キトリーに助けを求めるということがどういうことなのか。人助けを『呪い』と表現するキトリーが断らない、否、断れないこともわかっている。瞳の奥に宿る揺るぐことのない意志を感じて
「いいですよ」
そういって、ルーラルを抱き寄せる。張りつめた感情が瓦解して、胸の中で泣きじゃくる彼女の頭をそっとなでる。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。こんなこと頼みたくなかった。キトリーとは友達になれるってそう思ったから、だから・・・」
「大丈夫」
両腕に込める力をぎゅっと強くしてルーラルを抱きしめる。手を差し伸べることに躊躇いはなかった。打算も下心も諦めもなく、ただ助けてあげようと思った。友達になれると思ったというルーラルと同じようにキトリーも感じていたから。人付き合いを避けて森にこもって暮らしている彼女のもとへ突然現れた少女は、キトリーの作った壁を越えて土足でずかずかと上がり込んできた。
でも、それが嫌じゃなかった。
一度きりの偶然。
二度目はないと思っていた。約束はしたけども、貴族の娘と森の住民とでは二度目の邂逅は期待できなかった。期待し、信じている自分にも驚いたし、再びルーラルの笑顔を見たときに、心を鷲掴みにされたような気持になった。
魅了されていた。
あるはずのない3度目の再会を想像した。
森の中からひょっこり顔を出すんじゃないかと、頭の隅で想像した。時間ならたっぷりとあったから。でもそれは、ただの妄想に終わるはずだった。
だけど…。
「落ち着きました?」
鼻をすする音が小さくなって、大きく上下していた胸の動きが緩やかに変わった。
「はい」
そっと、キトリーの胸から体を起こす。
「説明しないといけませんね」
岩の椅子に座りなおして、大きく息を吐く。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を両手で拭って向き直る。
でも、言葉はすぐには出てこない。
「魚を焼いてもいいですか?」
言葉を探して押し黙るルーラルの気持ちをほぐそうと、キトリーは立ち上がる。シチューを二人で分けたので、少しばかりお腹も空いている。干物の魚を二匹とると、枝を通して火にかける。
「弟を探すのを手伝ってほしいの」
「…行方不明?」
「ええ、いや、そうじゃなくて…ごめんなさい。順番に話さないと分からないですね」
「大丈夫ですよ。落ち着いてゆっくり話してくだされば」
「…ふぅ。キトリー、敬語はもういりません」
「ですが」
「前もお願いしたけど、今回は本当に敬語はいらないの。私はもう貴族でもなんでもありませんから」
何でもないように言うルーラルの肩にそっと手を乗せる。驚きはあったけど、予想できなかったわけではない。護衛もなしに森の奥まで来たという事実。以前はつけていたピアスがなくなっていたこと。彼女の追い詰められた表情。
「…父が犯罪に手を染めてしまったのです」
そういって、ぽつりぽつりと事情を話し始める。
男爵家というものは貴族の末席に身を置くものの、国からの給金ではいささか不足があった。生活するのには十分な額。ただし、貴族という人種は見栄を張らねばならない。ゆえに、多くの男爵家は副業を持っている。ルーラルの父、エディンバラ男爵もそのうちの一人として、小さいながらも商社を営んでいた。
商社の経営に問題があったわけではない。今の家を維持するの十分な収入は得られていた。ただ、息子が王都の貴族学院に行くようになり、支出が多くなってきた。
将来を見据えれば、いずれは娘を嫁に出し、息子にどこかの令嬢を迎え入れなくてはならない。そうなったときのためにも、収入を増やしたかった。
欲を掻いたわけではなかったのだろう。ただ、いろんなことが重なったのだ。禁忌の取引に手を出し犯罪者へとその身を落とした。当然のことながら爵位は剥奪され、全財産は没収された。犯罪者の子がどういう扱いになるかはキトリーもよく知っている。仕事が見つからず、挙句の果てに犯罪者の道に進むより他なくなる。
そういう悪循環のシステムがこの世界のルールなのだ。
ルーラルが住む家も何もかも失くしたのと同様に、王都の貴族学院に通う弟もまたすべてを失っている。王都へ弟を迎えに行き、スウォンジー子爵家に嫁いだ叔母のいるキンバリー市までの護衛がキトリーへの依頼内容だった。
「うん。大体わかった」
話を聞き終えたキトリーは敬語をやめて相槌を打った。
ルーラルが洞窟に来たときは、赤く染まっていた空もすっかり夜のとばりに覆われている。焚火の明かりに照らされる彼女の表情は重い。
パチパチと薪の爆ぜる音が森に吸い込まれていく。
「いろいろと、確認しないといけないことあるけど、とりあえず魚、食べようか」
話が始まる前に火にかけた川魚の干物はちょうどいい感じに仕上がっている。
「ありがとう」
ルーラルは手渡された魚をじっと見つめる。油で表面がテカテカとしておいしそうな色と、香りを漂わせている。疲労もあり、空腹も感じている。ごくりとつばを飲み込むけど、そこで止まったままだった。落ち着きを取り戻したルーラルは、お皿に乗っていない魚に直接かぶりつくという行為をはしたないと思っているのかもしれない。
「もう、貴族じゃないんでしょ」
キトリーがお手本とばかりに魚にかじりつく。塩気もちょうどいい。干した魚はうまみが凝縮されて、釣り上げたばかりの魚を焼くのとは違った味わいがある。どちらがいいということはない。甲乙つけがたく良い。
「うーん。おいしい」
わざとらしく声を出して、笑顔を見せると、ルーラルもつられて小さく魚の身にかじりつく。
「おいしぃ」
思わず漏れ出たというような、小さなつぶやき声。
「ね。。初めてあった時に言ったでしょ。森でとれたものをそのまま食べられるのってすごく贅沢だと思わない?さっき食べたシチューに入ってたキノコも今日のとれたてだよ」
「ええ。とってもおいしかった。ごめんね。あれって、キトリーの晩御飯だったんだよね」
「気にしなくていいよ、もともと魚も焼こうかって迷ってたから」
「ふふっ。キトリーはやさしいなあ」
「そんなことないよ」
キトリーは改めて目の前に座る少女を見つめる。
緊張のほぐれたルーラルは、一凛の花のように可憐な美少女だ。深いブルーの瞳はぱっちりとして大きい。肌も透き通るように白い。魚を食べる口元は小さくかわいらしい。泥で薄汚れていても、その可愛さは輝いている。背はキトリーよりも小さく、よくよく上目づかいで見上げてくるので、年の離れた妹のように感じてしまう。
実際には同じ年でも、キトリーは過去の経験をすべて足せば、おばあちゃんと言ってもいいくらいである。ただ、精神は肉体とともに成長するので、老成しているということもない。知識がある分、同年代より若干大人びているくらいだとキトリーは思っている。
「それで、王都までどれくらいかかるの」
「一月くらいかな。いつもはグルゥの獣車だけど、徒歩でもそんなに変わらないと思う」
「乗合の獣車は無いの?」
「あるけど月に一度しか出てないし、お金もかかるから」
「そっか、お金か…ルーラルはお金どれくらい持ってる?着の身着のままで放り出されたっていっても、多少はあるんでしょ」
「えっと…ごめんね。貴族って基本的にお金使わないから、あんまりないの。一応持ってるけど…670リュートだけ」
小さな巾着袋の中を確認する。
ルーラルが説明するには、貴族はいつも利用するお店が決まっているため、その場で支払わず後から請求が来る形を取っている。そのため、家にお金はあっても、現金を持ち歩くことはない。
貨幣は銅貨、銀貨、金貨などがあり、それぞれに大小の硬貨がある。大小の違いは、それぞれの貨幣に共通して、小硬貨が5枚で大硬貨1枚に相当する。単純に重さが基準になるので、大銅貨は小銅貨5枚分の大きさがある。ちなみに貨幣単位はリュートといい、銅貨一枚が1リュート、銀貨一枚が10リュート、金貨1枚が1000リュートとなっている。
「で、それってどのくらいの価値があるの」
「うん?」
不思議そうな顔をする。
「例えば、宿代っていくらくらいするものなの」
「…わかんない」
「じゃあ、食事代は?パンとスープでいくらなの?」
「…わかんない」
「えっと…服はどう?さすがに、ずっとそれを着ているわけにはいかないよね」
「…わかんないよ、もう!…ううぅ」
大きな瞳から大粒の涙がこぼれおちる。
-えっ泣くの!?
「だって、だって、ひっく。一人でお買い物なんてしたことないんですもの。そんなにイジメないでよぉ。そ、それなら、ひっく。キトリーはどうなんですの」
泣かせてしまった。想定外の出来事に、わたわたと慌てふためいてしまう。
「そ、それは、ごめん。私もわからないから聞いただけで…」
キトリーがお金を手にしたのは、神の家を出た後の2か月間だけ。ただしそれも、住み込みの見習い家政婦レベルで、2か月働いてたったの20リュート。夕方に売れ残りのカチカチになったパンを一つ、1リュートで買って、20日間それだけで飢えを凌いでいた。
「ごめんね。とりあえず、街に行ってから判断するしかないか…。もう一つ、確認してもいい?」
「…うぅ。いいですよ。私にわかることなんて何にもないですけど」
完全にネガティブモードに入っているらしい。
「ルーラルの家は商社だったんだよね。どんな商材を扱ってたかわかる?」
「…それくらいなら。それほど手広くやっていたわけではないですから、近隣の農村の収穫物がメインで、麦と葡萄酒、それから羊毛や毛皮くらいです」
泣きだしたと同時に、言葉遣いに敬語が戻ってきている。
「いま座っている毛皮なんだけど、町に持っていったら売れるかな。今持ってるお金だけで十分かどうかわからないから、もしも売れるものがあれば売りたいんだけど。そういうのってわかる?」
「たぶん、売れると思います」
敷物にしている毛皮を触って、その感触を確かめる。キトリーが狩った獲物の毛皮は肉にした後は、すべて取っている。もちろん、いまキトリーが身に着けているものもそうだが、寝床に敷いたり、毛布代わりに使ったり、寒い時期にはコートとしても使っている。自力で鞣したりしたものだが、3年分の毛皮はそれなりの量がある。
「よかった。それじゃあ、ほかにも売れそうなものってあるかな。こっちに来てくれる?」
たいまつに火をつけて洞窟の中に案内する。
寝床として使っているところには毛皮が幾重にも折り重なっている。食材を保存するためのヘルメットアンツの容器、包丁代わりの紫紺のカマキリの腕、そのほかにも狩った魔物や獣の一部を素材として溜め込んでいる。
きちんと整理しておいてあるので、動物の死骸というグロテスクさはどこにもない。ただの加工前の材料という感じである。
「ごめん。毛皮は売れると思う。でも、それ以外はちょっと。よくわからなくて、あの、その、役立たずだよね。私。一人じゃ何にもできなくて、キトリーに何でも頼ってて…」
あ、やばい、また鬱鬱モードのスイッチを入れてしまった。そんな後悔がキトリーを襲う。
「やや、気にしないで。私もわかんないんだから。ルーラルと一緒だよ」
「そ、そうかな。あ、そうだ。で、でも、でもね。私だってできることあるんだよ。ふっふーん。実は。
魔法が使えます!」
「え、すごい!」
沈痛な面持ちから一変してどや顔で仁王立ちになるルーラルに素で驚く。この世界がもといた世界と異なりファンタジーのような世界という認識はあったけども、魔法をこの目で見たことはなかった。
「何ができるの」
「火が出せます!」
「おおおー。ちょっとやってみて」
神の家に身を寄せていた時、『奇跡』が行われているらしいことは知っていたが、神聖な儀式の場に顔を出すことは出来ず、間近で見たことはなかった。魔法なるものに興味がないわけじゃない。
「ふっふっふ」
火のついていない薪に向かって手を向ける。
「エル・カス・ゴ・シクルス
エンプ・ニーチアライマ・ホン
エンプ・ホロイ・シクルス・デデ
イック・フロイント・ヘルナ・キシリ
ウヴァ・トリト・エンプ・ショール
イニ・ケリャク・トズク・
エンプ・ソタ・マナ・ショール」
彼女の掌の先でキラキラとした輝きが踊りだす。冬場のダイヤモンドダストのようでありながら、反射で輝くのではなく、それぞれが光を生み出している。
聞いた事のない言葉で紡がれる呪文の詠唱は続く。
「……」
というか長い。
あくびが出るほど長い。
ただ、呪文の詠唱と共に、きらめきは輝きは徐々にその力を増していく。
「…ブブ・エローラ!」
キラメキが一つにまとまり、輝きが増す。そして、彼女の最後の言葉をきっかけに大きな炎に変化する。
薪に火が付いた。
「えーと…?」
「どうですか、すごいでしょ。ふふん」
胸をそらせて、どや顔で決めるルーラルには悪いが火打石でやった方が早い。でも、ここは褒めねばなるまい。
「す、すごいね。ほかには何ができるの?」
「これだけです」
「えっと、うん。すごいね。火打石がないときとか、雨の日とかすごい便利かも」
「…キトリー!」
わざとらしすぎたのか、ルーラルの目つきが怖い。
「だって、しょうがないじゃないですか。教わった魔法はこれだけなんですよ。だ、だから、教えてもらえばきっと、ほかにもできるようになるし…」
徐々にしりすぼみになる声。
「魔法ってどこかで勉強するものなの?」
「ううん。魔法屋さんに行けば買えますけど、私だと買えなくて…だから、その、結局これしかなくて…あの…」
また、瞳がウルウルし始める。
「で、でも、そうだ。ほかにも、こんなことできるんですよ。
『をおおぉおおーん。をおおぉおおーん。』
ね、うまいでしょ」
と、オオカミの遠吠えをまねた。
似てる。
が、それがどうした。
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