第2話 不本意な人助け

 ナイフを腰に仕舞い。スリングに小石を一つ。左手に握れるだけの小石を拾い上げ、悲鳴の聞こえた方へと小走りに近づいていく。


 声がよりはっきりと聞こえ始めたあたりから、キトリーは速度を落としエイプルを仕留めたときのように森と一体になろうとする。


 木々の間から見えるのは、獣車が一台。二頭の草食の獣グルゥに引かれた頑強そうな作りをした小さな車。装飾は少ないが、作りからおそらく貴族のものと分かる。下級の貴族-男爵あたりの乗り物だろう。


 獣車の周囲には軽装の鎧に身を包んだ護衛騎士が3人。彼らを取り囲むように15人の盗賊が取り囲んでいる。騎士の剣一本で、盗賊全員の武器がそろえられそうなほど装備の差は歴然。しかし、多勢に無勢である。馬車の陰で見えにくいが倒れている人影が二つ見える。おそらく奇襲でもって、二人の護衛を無力化したのだろう。生死は不明。


 5対15では人数の差はあれど、練度からいえばギリギリ拮抗するレベルともいえる。だが、3対15になると、状況は一変する。騎士1人で3人の相手をするのと5人を相手にするのでは話が違ってくる。それも、あくまでも単純計算だ。


 キトリーは状況をするどく分析する。


 このまま手をこまねいていてもジリ貧になる。なら、動くなら早い方がいい。瞬時に判断をすると、右手のスリングを振り回し初撃を放つ。命中の是非を確認するより早く、二撃目の弾をセットしながら走り出す。


 一人目の盗賊の頭がはじかれ、盗賊、騎士の双方に混乱が生じる。その瞬間、二人目の盗賊の頭に投石が飛来する。混乱からの回復が早いのは、訓練を積んだ騎士の方。攻撃が自分たちに味方していると判断し、目の前の盗賊を切り伏せる。


 森から飛び出したキトリーが3発目の投石を行い。左手でナイフを抜き取り、いまだ前後不覚の盗賊の足元に滑り込むようにして、腱を切り裂いた。


 騎士の働きもあり、残り8人。遅れをとった盗賊だが、状況を理解した後の動きは素早い。やられた仲間など無視して蜘蛛の子を散らすように四方に駆け出した。あえて追いかけていく必要はない。


 騎士の目がキトリーを捉える。森の中で生活する彼女の姿は、未開の地の蛮族のように映る。助けられた事実は有れども、どのような対処をするのが正解か判断に迷っているようだ。にらみ合いではないが、凍り付いたような時間が流れる。


 馬車の扉が開く。周りが静かになったことで戦闘の終了を察知したのだろう。


「助かったみたいね」


 安心感をにじませて出てきたのは、キトリーと同じくらいの年頃の女の子。ブロンドの髪の毛は束ねて右の側頭部でくるくると纏められて、白い花が差してある。ドレスも白を基調としたものに、花柄の刺繍が施されている。耳につけたピアスにも花が象られている。いずれもこの春に咲く花だということがキトリーにはわかった。本人も花のような愛らしさがある。


 少女の装飾品はそれくらいで、ネックレスも指輪もしていない。馬車の装飾から推測した通り、上級の貴族ではないらしい。


 悲鳴の主の無事を確認すると、キトリーは踵を返して森に入った。


「ちょ、ちょっと。あなた!」


 声が追いかけてくるが、いささかも気にしない。


 自分のすべきことはすでに終えている。人とかかわりを持つつもりはない。出来ることなら、先ほどの悲鳴も無視したかった。でも、できない。聞こえてしまった以上は、見て見ぬふりすることも罪なのだから。


 背後の声よりも血抜きの途中で投げ出したエイプルの方が気になる。ほかの獣に奪われていないか。あるいは魔獣化していないか。死体や死骸は放っておくと、体内にドルマと呼ばれる不浄なエネルギーを取り込んで魔物と化す。それを防ぐには心臓を取り出し破壊する必要がある。


 ドルマは心臓に取り込まれ、結晶化して魔核となる。そうすると、再び動き出すのだ。元の野獣とは比較にならない凶暴性を秘めた魔物へと変異する。生物ではない。心臓の代わりとなった魔核から血管を通して、ドルマが巡回することで動く。鼓動もなく、呼吸も必要とせず、生きていないのだから食事の必要もない。しかし、生者への渇望からか、生き物に襲い掛かりその肉をむさぼろうとする。


 森の奥ならともかく、ここらではドルマも薄いため、短時間で魔物化することは考えられないが、それでも放っておいていいはずもない。


 エイプルは離れたときのままだった。


 血は十分に抜けきったように思う。腰のナイフを抜き、胸骨の下に突き刺し、皮を切り裂く。切れ味が悪くノコギリのように前後させて少しずつ開いていく。そろそろ変え時かとキトリーは思った。森の中には、生活に役立つ魔物が複数いる。


 彼女が使う紫紺のナイフも、そういった魔物の体の一部だ。包丁カマキリとなずけた魔物は、小成人前の子供と同じくらいの体格をした、カマキリのような虫を素体とする魔蟲だ。腕の先についたカマは鋭利で、そのまま包丁として、ナイフとして使っている。ヘルメットアンツと違って群れては行動しないけども、一体倒せば二本は手に入る。大体どの辺にいるかは脳内の地図に書き込まれているので、近いうちにでも狩に行こうかと思う。


 切り開いた腹部から、内臓をきれいに取り出し地面に埋める。もちろん、心臓だけは石で叩き潰すことを忘れない。足の先につけた蔓を引っ張ってその重量を確かめる。このままでは引きずっていくのも難しそうだと思う。やっぱり、解体する必要がありそうだ、切れ味の落ちたナイフを見つめて嘆息する。やれやれ。


「ねぇ、ちょっと。あなた」


 先ほどの令嬢がキトリーに声をかける。森の中を歩く音やキトリーを呼びかける彼女の声も随分と前から聞こえていたけども、完全に無視していた。言葉は交わしていないので、耳が聞こえない。もしくは言葉が通じないと思ってくれればいい。そんな思いでいたけども、さすがに真正面に回り込まれては無視できない。


-今日はついていると思ったのに。


 いいことがあれば、悪いこともある。


「・・・なにか」


 不機嫌を隠す素振りも見せずに応じる。真っ白だった令嬢の服は泥を跳ね、木々に引っかかれて見るも無残な状態にある。ぬかるんだ地面に足を滑らせたのだろう。足元だけでなく、上半身まで泥にまみれているのは残念である。


 なぜ、護衛の騎士は彼女の愚行を止めなかったのだろうかと不思議に思う。雇い主の命令には逆らえないのかもしれないが、それにしてもとキトリーは思った。


「せめてお礼くらい言わせていただけないかしら。助けていただいたのに、恩返しの一つもしなかったら罰が当たるじゃない」


-めんどくさい女だ


 それがキトリーが令嬢に対して初めに抱いた感想だった。


「こんな泥だらけの恰好ではわからないかもしれないけど、これでもテリオン市のエディンバラ男爵家の娘です。名前をルーラル・ニーナ・フェン・エディンバラと申します。せめてお名前だけでもお聞かせいただけませんか」


 やっぱり貴族、しかも男爵家の令嬢だったなと思う。その一方で不可思議に思う部分もある。お礼を言うためだけに、誰かを使うのでもなく足場の悪い道を自ら抜けてくるなど、彼女の行動は下級とはいえ貴族令嬢として逸脱している。


 隣に立つ護衛の表情を見れば、諦めのような表情がうかがい知れた。このような突飛な行動をとるのは初めてではないのかもしれない。


 一方、わざわざここまで足を運んできた令嬢の誠実な人柄に好感を抱く。こちらも礼をつくべきだろうとは思うが、できればほかの貴族と同じように、自分のような蛮族のような輩は無視してくれればよかったのにと思わずにはいられない。


「私はキトリー。礼はいらない。あなたが無事ならそれで十分です」


 久しぶりに話す言葉はたどたどしく拙い。キトリーが人との関りを絶ったのは13歳の時だ。言葉を発するのは実に3年ぶりだった。彼女の礼節を欠いた振る舞いに、護衛の騎士が色めき立つ。それをルーラルが手で制する。


「見返りも求めずにただ我々に手を差し伸べてくれたと。ふふっ、キトリーはとても心根のまっすぐな方なのですね。そのように申されてしまうと、何かお礼を差し上げようとするのは無粋ですわね。では、まずは、感謝の言葉を」


 そういって彼女は、キトリーへと向き直り優雅なしぐさで汚れたスカートのつまんで軽く膝を曲げた。


「マライシンの森に住まうキトリー殿、ダダン王国の家臣ーエディンバラ男爵が長女、ルーラル・ニーナ・フェン・エディンバラの命が危機に瀕していた際、危険を顧みることなく、正義の心をもって窮地よりお救いいただいたこと、心より感謝申し上げます」


 お礼の言葉とともに両の手を大きく開くと、呆然とするキトリーをぎゅっと抱きしめた。感謝を示す礼儀作法かどうかキトリーにはわからない。それでも、平民以下であるキトリーに対して、それを当たり前のように行う彼女にキトリーは驚いた。身元の不確かな森に暮らす野蛮な女。それも獣の解体中ということもあり、薄汚れている上に手にはナイフを握っている。ともすれば軽率ともとれる行動であるが、それはキトリーへ信を置いたことに他ならない。


 抱きしめ返すべきかもわからず呆然としていると、そっとルーラルはキトリーから離れた。人に抱きしめられるのはいつぶりだろうかと思う。


 温かい。


 ルーラルの突飛な行動だけでなく、彼女の心に沸き起こる忘れさられた感情に自失する。


「何か困っていることはありませんか。なんでもいいんですのよ」


 ほんの少し前には、お礼を無理やり受け取らせることを無粋と表現しておきながら、あっさりと掌を返す。


「さきほどの言葉だけで十分です」

「で、でも、なにかありますよね。一つくらい」


 青色の大きな瞳をうるうるとさせると、キトリーの手をとり上目使いに見上げてくる。男の子であれば一発で虜になってしまいそうな愛らしさがある。が、キトリーはワイルドに生きていても女だ。


「いえ、とくに・・・」

「そ、そんなこと言わずに。本当になんでもいいんですよ。遠慮しないで。こんな泥だらけで、信用ないかもしれませんけど、男爵家の娘なのは本当ですから、信じてください」


 瞳の上にたまっていた涙があふれてくる。なぜ彼女がここまでお礼を受け取らせようとするのかがキトリーには理解ができない。でも、涙ながらに訴えてくるルーラルを無視するのは、まるで彼女が泣かせているようで居たたまれなくなる。


「そ、それじゃあ。一つ」


 そういうと、涙にぬれる頬を緩ませて満面の笑みを見せる。


「なんですの。何でもおっしゃってください」

「これを運んでもらえますか」


 どうやって洞窟までもっていくか悩んでいたエイプルの巨体を指さす。彼女の護衛騎士と協力すればなんとかなるかもしれないと、目を向ける。


「本当に欲のない方なのですね。でも、分かりました。それではお手伝いいたしましょう」


 そういうとルーラルは騎士に命令をするわけでもなくエイプルの足に括りつけられた蔓を手に取って引っ張った。


「あっ」


 エイプルはみじんも動かない。

 が、思い切り引っ張ったせいで、力の反動がそのままルーラルに帰ってきた。つまり、彼女は引っ張ったのとは反対側、エイプルの死骸に向かってダイブした。


「お嬢様!」


 慌てて騎士が助け起こすと、彼女の顔や体にはべっとりと血と臓物の破片がついていた。助けてあげたいところだが、キトリーの手も臓物にまみれているし、汚れを落とすのに十分な量の水は手元にない。


 「ご、ごめんなさい」

 「うわーん。もう、いやですわー」


 彼女は子供の様な泣き声を上げる。泥まみれはともかく、臓物の匂いは慣れてないものには吐き気を催す類のものだし、純粋に気持ち悪い。そもそも、泥まみれになることすら貴族の令嬢である彼女には不本意なもの。


「可能ならそちらの騎士様に運んでもらえるようにお願いできますか」


 ここで、彼女の礼をしたいという気持ちを踏みにじるわけにもいかず妥協案をキトリーは提示してみた。もともと、ルーラル自身が運んでくれるとは思ってもなかったのだ。


「うぅ、うう。そうですわね。わたくしでは荷物を運ぶ簡単なこともできませんし、ガイセル、これを運んで差し上げて」


 悔しそうに顔をゆがめて、騎士に指示を出す。ガイセルは若干の躊躇いみせた。騎士とは人々を守るための存在であり、決して荷役ではない。森に入ろうとする主のために、護衛としてついてくるのは仕事の範疇である。しかし、これは違う。


「わかっています。無理なお願いをしていることは・・・ですが」


 彼の陰った表情をみて、ルーラルは口にする。彼女も初めから理解していた。だからこそ、彼女自身の手で手伝いを買って出たのだ。不甲斐ない自分を悔しく思い、領分外のことをさせようと強権を発動させるようなやり方にも、嫌気がさす。だから、彼女は「おねがいします」と、主従の関係を無視して頭を下げた。


 いい子だなとキトリーは思う。平民以下の彼女に貴族の在り方などわからない。でも、これが貴族の普通だとは思えない。驚嘆する騎士の表情を見ればわかる。


「・・・かしこまりました」


 ガイセルと呼ばれた騎士は、ルーラルがピクリとも動かせなかったエイプルを易々と担ぎ上げた。その様子にキトリーも唖然とする。


「して、どちらに?」


 ガイセルの言葉に慌てて、進むべき方向を指し示す。男と女、身長、筋肉量を差し引いても一人で持ち上げるとは思いもしなかった。


 歩き出してすぐ、皆がついてきているのを確認しようと後ろを振り返ったキトリーはガイセルが背負ったエイプルを後ろから支えるように手を添えているルーラルを見てほほ笑んだ。たぶん、何の助けにもなっていない。ガイセルはうっかり手を滑らせることのないようにしっかりとエイプルの足を握りしめる。


歩きながら前を先導するキトリーにルーラルが声をかける。


「助けていただいた理由をうかがってもよろしいかしら」

「理由ですか?」

「ええ、貴族の家に生まれた私のもとには、いろいろな人々がやってきます。私の家のために尽くそうとする方も数多くいらっしゃいます。でも、皆さん、何かしら見返りを求めています。それが悪いことだとは思いません。人は一人では生きられません。何かを得るために、何かを与える。極端に言えば、買い物の際にお金を払うようなものだと思います。無償で商品を売る商人はいません。だから、キトリーの行動が不思議でならないのです」

「私にも下心があるはずだと」

「逆です。キトリーが本心から何も求めてないということがわかるから逆にわからなくなっているのです。まるで物語に出てくる聖人ミラージのよう」

「…私はそんなに立派なものではないです」

「でも」


「ただ、気づいてしまったから」


「どういう意味でしょうか」


「盗賊行為はいうまでもなく悪行です。でも、目の前で行われている盗賊行為をみて素通りすることもまた悪行なのです」

「…かもしれません。でも、多くの人は関わり合いになることを、自分もまた被害者になることをおそれて、素通りするのではないですか。一体誰がそれを責められましょうか。一つ間違えば命を落としかねない行為です。あの状況は多勢に無勢でした。キトリー一人増えたところで、その状況を覆すのは困難なほど。それでもキトリーは私たちを助けに来てくれた」


「…言葉だけを見れば、確かに聖人のようですね。でも、私にとってこれはただの呪いです」

「呪いですか?」


 予想外の言葉にルーラルは眉をひそめた。


「ええ。悲鳴が聞こえた時、私は舌打ちしました。出来ることなら無視したかった。でも、できない。だから呪いなんです」


 衝撃的な発言にルーラルの目が大きくなり、「貴様!」と騎士が声を荒げる。


「ガイセル」


 ルーラルが騎士の名を強く呼び、それを制する。


「…正直なのですね」

「…」

「ますますキトリーが分からなくなってきましたわ。人助けが呪いですか。面白い方…ふふ。そうですわね、もう一つお伺いしても?」

「どうぞ、洞窟まではまだかかりますから」


 徐々に言葉も滑らかに出るようになってきたし、久しぶりの人との会話も悪くはない。まだ、エイプルを発見した場所にもたどり着いていないし、置いたままになっているカゴも気になる。


「森に住まわれている理由をお聞きしても?悪事を見過ごせないキトリーが町に住んだら、とても大変そうですけれども、それだけが理由ではないでしょうから」

「…大した理由ではないですよ」


 特に隠すような理由ではない。それでも、彼女にとってはプライベートな部分の話だ。知り合ったばかりの人と話す内容でもないからとすぐには言葉にできなかった。また、どこから話せばいいのやら。


「ええ、ただの好奇心ですけれども、私には森の生活というのがどんなものか想像もつきません。でも、森には魔物もいて危険ではないですか。お店があるわけではないから、食事も一苦労ではないかと。動物を狩るのは簡単なことではないと思います。私にはわかりませんが、他にも危険なことは多いでしょう。それでも、森の生活を選ぶにはどんな魅力があるのかなとそう思ったの」


「ふふふ」

「なにか変でしたか?」

「いえ、ちょっと意外だっただけです」


 キトリーが笑い声をあげる理由がわからず不思議そうな顔をする。この子は本当に真っ直ぐな人間なのだ。遠慮なくプライベートな部分に踏み込もうとした彼女を、心の中で無神経だと思ってしまった自分を恥じた。


「…そうですね。森の生活は一言でいえば、自然とともにあることです。晴れている日は、採集や狩りをして、雨の日は洞窟の中でカゴを編んだり、皮を鞣したりして過ごします。森の中ではいろいろなものが取れます。果物や野菜、木の実など。もちろん動物も。それらは町の市場でも手に入ると思います。でも、。知っていますか?市場の果物と、森の中の果物は同じものであっても味が全然違うんですよ」

「そんなにですか」

「そんなにです。食べ物だけではないです。同じ場所で暮らしていても、森の顔は毎日違うのです。春に咲き誇る花々、夏の夜に聞こえてくる虫たちのかわいい歌声、鮮やかな色どりを見せる秋の樹々、静寂を奏でる冬の雪。町の中にいては決して知ることのできないものだと私は思います」


「…ずるいですわ」


 目をキラキラと輝かせてルーラルが口をとがらせる。


「それほどの魅力を独占してしまうなんてキトリーは贅沢です。新鮮でおいしいものを食べて、誰も知らない奇麗な景色をみて過ごすなんて。羨ましすぎます」


 羨望のまなざしをする彼女に、さすがに言い過ぎたかと反省する。魅力を聞かれたから答えたけれども、彼女が最初に言ったように危険なことは多いし、不便なこともたくさんある。むしろ、不便なことのほうが多い。


「もちろん、いいことばかりではないですよ」


 と、付け加えたところで空想を広げる彼女の耳に届かない。ルーラルの頭の中はすでに森の魅力でいっぱいになっていた。


「私は花が大・大・大好きなのですが、この森にもマクシュリスの花や、ミミエデンの花もあるのでしょうか。この時期ならきっと美しい花をつけていると思うのです。マクシュリスの花は橙色の大きな鳥の羽のような形の花弁が特徴で香りもとてもいいのです。エーフのような柑橘類の香りとほのかに甘い匂いもするのです。ミミエデンは小さな白い花を咲かせるのですが、とてもかわいらしくて見ているだけで、幸せな気持ちが胸いっぱいに広がるのです」


 ルーラルは止まることなくしゃべり続ける。好奇心が止まらない。お屋敷の庭に咲くお花の話をしたかと思えば、キトリーの住む森のことをあれこれと質問してみたり、初めて会ったばかりとは思えないほどに、彼女との会話は弾み、人付き合いを敬遠していたキトリーも時間を忘れておしゃべりにのめりこんだ。楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、途中に置いてきたカゴを回収して、洞窟の近くの川まで戻ってきた。


「ありがとうございます。ここで十分です」


 いくらガイセルの怪力があっても、獲物を抱えたまま川を飛び越えるのは無理だろうし、ましてや投げ飛ばすのも無茶というものだ。ガイセルも疲労困憊という顔をしている。思ったよりも遠かったのだろう。


「せっかくですから、洞窟の近くまで運びますよ。…ガイセルがですけど」

「いえ、ここで解体します。水が近くにある方がいいですし」

「そ、それでは解体をお手伝いいたします」

「さすがにそれは」

「手伝いたいのです。わたくしは結局なにも恩返しが出来ていませんし。だめですか」


 ルーラルが再び例の上目遣いでキトリーを見上げる。

 衣装が薄汚れているのが残念だが、それでも彼女の可憐さはいささかも損なわれていない。男子ならイチコロだろう。


「だめです」

「うぅ。ひどいです。私とキトリーの仲じゃないですか」

「…知り合ったばかりですよね」

「で、でも、いっぱいお話ししましたし」


 私が見返りを求めていないことは理解してくれたはずなのに、それでもなお必死になって手伝いをしようとするルーラルが不思議でならなかった。視線をずらしてガイセルの方を見た。護衛を務める騎士ならその理由を知らないかなと見たのだが彼も何も知らないようで困惑顔をしている。


「どうしてもダメなんですか」

「どうしても」

「うぅ、そりゃあ、解体なんてやったことありませんけど、教えてくれればきっと私にだってできますよ」


 簡単にあきらめないその心は美点だと思う。彼女に対してキトリーは好感を抱いているし、無碍にするのは悪いなと思う。たぶん、きちんとした理由を説明しなければ諦めないのだろう。だったら、理由を作るまでのこと。


「ナイフの切れ味が悪いんです。切れない刃物での作業はケガをする危険がとても大きいのです」

「…そうですか」


 悲しそうに顔をうつ向かせる。理由を聞けば納得するしかないと分かったのだろう。


「じゃあ、これで…ってそれですわ!」


 突然、にぱっと太陽のような笑顔になって彼女がキトリーの手を取った。


「困っていることがあるではありませんか」

「?」

「ナイフです。お礼にナイフをプレゼントしましょう。ガイセル、ナイフはありませんか」

「お嬢様、お言葉ですが我々騎士の武具は王国への忠誠に対して陛下より下賜されたものです。譲渡するわけには参りません」

「そうでしたわね。それなら、ナイフを見繕ってまたお伺いすることにしましょう。キトリーもそれでいいかしら」


 ルーラルの提案にどうしようかとキトリーは思案する。わざわざ、そこまでしてもらわなくてもと思う。礼は十分に尽くされたと感じている。でも、わずかな時間の付き合いでも彼女の諦めの悪さも理解していた。


「…ありがとう」


 破顔一笑。ただでさえ明るいルーラルの顔がより一層輝きを増した。


「よかった。うぅ、本当によかったですわ。それでは、さっそくナイフを探さなければなりませんわね。街に戻るのは、少々、いや、かなり億劫だったのですが、キトリーのお蔭で街への道のりが楽しくなりました」


 目の前のエイプルを解体するためのナイフを買って戻ってくるのではないかと思うほど、ルーラルは駆け出していきそうな素振りを見せる。もちろん、その必要はないとキトリーは答えるし、事実そんなにすぐには無理だろう。でも、うれしそうな彼女を見ていると、キトリーにも自然と笑みがこぼれる。


-ああ、やっぱり今日はついている。

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