49話「NEW WORLD ~エロム・ヴァウル~(前編)」



 濁黒の獣。巨人の形をした仮面の怪物はついに姿を現した。

 この世に【L】という力を生み出し、すべての人間を暴走へと導いた張本人。


『ふふふふッ! フハハハハハハハッ!!』


 獣は傲慢に笑い、不敵に蔑み、弱者を弄ぶ。


 人間の心に遠慮なく土足で踏み込み、荒らした挙句に人形のように弄んだ者の正体は予想をはるかに超える歪さだった。人の形こそしているが、人間の本能をそのまま反映したような姿は獣のような化け物にしか見えない。


『貴様たちは世界を否定した! この素晴らしき未来に終止符を打とうとした! それもまた、お前達人間が抱える欲望であり野心であり夢なのだろう! 実に残念だ、お前たちほど、他に捻じ曲げられることのない欲深い怪物などいないというのに!』


 この怪物の目的は何なのか。


 人間で遊びたいのか。人間を馬鹿にしたいのか。

 それとは逆に、本人が言っている事の通りなのか。人間を導き、新しい世界を築き上げる。


 ……そして、神にでもなろうというのだろうか。


『世界の意思に反するのなら、お前達は全人類の敵であると知れ!』


 背中には触手の生えた黒い翼。そして蜘蛛のように多脚。狐のように靡く尻尾は実に数百。仮面の下には“礎の魂を飲み込む口”が控えている。


 叛逆者。この世界の癌となる人の魂はこの怪物に駆除されてきた。選ばれなかった者達がこの怪物に“食われてきた”。

そしてエネルギーとされた。その体を維持させるために、この世界の王としてあり続けるために……己が傲慢を、他人の命で満たし続けてきたのだ。



「これが王の真の姿だというのか……人の上に立つ者が、こんな……」

 あまりに醜い姿を前にして牧瀬は戦慄する。

「こんな、人間以上の我欲にまみれた化け物に……俺達はッ……!!」

 視認もしたくない、そもそも視界にも入れたくない。

 虫唾が走るほどのバケモノを前に、牧瀬は銃を乱射する。


 今までに散っていた者達。そして、人生を壊された者達。

 その結末を目にしてきたからこそ、怒りを隠せずにいる。


『貴様たちの傲慢を最後まで見届けてやろう!』


 ありったけの弾丸を放つも、それは全てのみ込まれていく。

 スライムやプールに向かって弾丸を放り投げているのと変わらない。着弾と同時に動きは止まり、すべての弾丸は体内に飲み込まれて肥しとなるだけである。



『僕は“人間の願望の体現者”だ! 全ての人間を愛している! 僕の愛で、この世界で実らず眠ってしまった万物を呼び覚ましてやろうじゃないか!』


 夢、欲望、野心。

 人間の願望全てを叶える。やはりこの怪物は、己の神とのたまっていた。


 “陽の輪を覚ますもの”。

 黒の怪物は己をそう語る。



「人間以上の化け物、というよりも……」

 次々と迫りくる魔の手を回避しながら、アスリィも怪物に反吐を吹く。

「まるで“人間と変わらない”わ。人間が壊れ切った先の末路……一人や二人、万人が隅で抱えている黒い部分だけが凝縮され、そのまま膨れあがった厄災だわ!!」

 どれだけ【L】の力に頼ろうが、触手を引き裂くことは叶わない。

 何せ、目の前にいる化け物は【L】を生み出した張本人だ。全ての【L】を支配する神ともいえる存在に、一世界の人間でしかない存在の【L】程度で止められるはずがない。


「プラグマ! 絶対に捕まらないで! こんな化け物の餌になるのだけは許さないわ!」

「そんなこと言ったってさぁ~~~!?」


 その攻撃はおよそ百近くだ。四方八方から襲い掛かってくる。

 触れた途端にこの世界の礎へ。地獄行きの片道切符を強制的に握らされ、永遠に地獄のツアーを味わうことになる。そう考えれば、嫌でも体が動いてしまうし、是が非でも体に鞭を入れたくもなる。


「無理ゲーだってこんなのッ!? いつか捕まるんだけどぉ~~!?」


 反撃の隙間すら与えない。そもそも、反撃をしたところで何の成果も得られない。

 【L】の力をもってすればスタミナも運動神経も抜群に上がる。だが、こうも回避ばかりを続けていたら、いつかは限界が来る。


 創造主がこの世界に具現出来るのは、あくまで裁定の日のみ。この日の夜から、朝日が顔を出すその瞬間までとタイムリミットこそあるものの……そんな時間まで逃げ回るだなんて、あまりに現実的じゃない。


 自慢の武器も通用しない。このままでは一瞬でデリートされて、丸呑みされて終了である。


「負けるわけには……いかないッ……!」


 戦闘が始まってから実に数十分近くが立とうとしている。全員の体力にはまだ余裕があるにしても、攻撃手段は失われつつある一方だ。


「お前だけは生かしておけないッ! お前という化け物を知ってしまった以上……この世界を託そうとは思えない!」


『人間風情が私を選別するか!? ここまでの傲慢、実に魅入られる!!』


 瑠果に対して、執拗以上の攻撃を行う。

 当然だ。彼にとってエネルギーは“意思”だ。先進攻撃さえも難なく突破するようになったこの叛逆者達の意思エネルギーはきっと一口食べるだけでも膨大な食事となる。



『さぁ、もう間もなく、世界から脅威が消え去る! 新世界がようやく始まるぞ!』


 牧瀬、アスリィ、プラグマ、瑠果。

 意志こそ折れないものの、この化け物をどうすることも出来ない絶望が襲い始めていた。次第にやってくる体力の限界に対しても、絶望は平然と手招きをしてくる。諦めるという“誰でもできるゴール地点”の誘惑だけが。


「始まりはしない……これ以上、続けさせたくはない!」


「自己満足だけな男が言う事は、迷惑極まりないし、聞きたくもない!」


「傲慢を傲慢で黙らせる。やっぱりアンタ、神なんて偉いやつなんかじゃないよ! 小さすぎるんだッ!」


「全てを見通した気になるな……お前は、分かっていないッ!」



 人間という生き物を理解したつもりでいる。

 人間の上に立ったつもりでいる。

 人間の世界を掌握したつもりでいる。


 ここまでの傲慢。

 人間らしさを見せる無粋な怪物に対し反抗するのは、やはり人間の傲慢だ。


『人間、人間、人間……あぁ、君達の夢も今、叶うのだ』


 陶酔しきったこの化け物に話が通じるとはもともと思っていない。


『幸せになりたい。その夢、きっと叶うぞ。この世界は、君たちの願いで最高の幸せを掴むのだ』


 最早、自己投影。

 都合の良い解釈にまで持っていくほどの乱れっぷりを、披露し始めた。



「……威扇」

 一人、少女は問う。

「あの化け物を、神に君臨しようとするアレを……止められますか?」

 これだけ絶望的な状況を見せつけられた。希望も何もない。

 アルスは諦めているわけではない。だが、前衛で戦い続けている四人は次第に“あきらめというゴール”に足を着けようとしている。こんなにもわかりやすい絶望を見せられて、よくこんな時間まで折れなかったのが不思議なくらいだ。


 勝てるのか。アレを倒せるのか。

 アルスはただ、望みの見えぬゴールへと辿り着くことが出来るのかを、聞いた。




「やるに決まってるだろ」

 威扇は答えた。

「奴は絶対に殺す。だから、完遂する。だが、それ以上に」

 槍を片手に、黒い獣を見上げる。


「俺は、明日を見てみたい。こうして生きている事に、確かな意味があるのなら、それを知りたい。意地でもな」


 人間ではなく、世界と契約した。

 世界に選ばれて、人間として生き続ける道を歩み続けてきた。いや、正確には無理やり歩まされていたというべきだろうが。


 その全てに、ここまで生きた全てに。


 “意味がある”のなら。それを知りたい。

 “世界の意思に生かされた意味”。その答えを掴みたい。



【お兄ちゃん。頑張って生きよう。きっと、良い事あるから】


 世界がそれを望むなら____



 “この戦い、負けるはずがない”。



「……んで、俺はとりあえずどうすればいい?」

「彼の元へ放り投げてください」

「槍をか?」


 武器を捨てろ、とでも言いたのか。



「いいえ、“私”をです」


 しかし、アルスの答えは……向こうの標的である本人を捧げろという意味であった。


「おいおい。お前の幼馴染は心臓として、あの怪物に呑み込まれているんだろ? そんなとこに放り投げたら、お前はそのまま養分にされてジ・エンドだろうが」


「愛蘭の肉体に、少しでも触れられればそれでいいんです。お願いします」


 随分と、無理難題ばかり押し付けるお姫様である。

 最初に出会った時からも、絶体絶命の状態からのスタートだった。そこから行く先行く先で嫌な目にばかりあって、気を休めるタイミングなんてありもしなかった。場所によっては、思い出したくもないトラウマと再会する羽目にもなった。


 ……だが、もう慣れた。

 その依頼を完遂させる。彼女が彼に触れるだけでいい、それで終わりならば。



 ___楽な仕事じゃないか。



「……行くぞ」

 また、アルスを手荷物のように担ぎ上げる。

「おい、世界。無理やり契約させられた身ではあるけどよ。ここまで働かせたんだ……一つくらい、約束させてくれよ」

 走り出す。我欲の権化に向かって。

 触手による網羅も回避し続ける。いや、当たるはずがない。


「“俺の願望を叶えろ”」

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