09話「ICE PLACE ~傷だらけの距離~ 」


 朝五時の森は妙に凍てついて、薄暗い。

 濃霧が余計に暗黒を彩る。水蒸気の幻影は肌に纏わりつく。


「冷え込むな……宮丸。大丈夫か」

「私は平気。それよりも、心配なのはアルス様とそのボディガードなのだけど」


 刑事とリーダーの二人の視線が、威扇へと向けられる。


「俺は何ともねぇよ」

 日本の朝は冷えていると耳にはしたが、ここ以上に冷え込んだ場所には何度も足を踏み込んだことがある。

 紛争地域、サバンナ、そして雪原の目立つ山岳地帯……これでも、ここ二年で世界各地を転々としてきたようだ。


「私も大丈夫……へっくち」

「お前は大丈夫じゃないな。ほらよ」


 アルスは平気と口にはしていたが、体は正直者である。

 歯をカスタネットのように鳴らしているのも何度も聞こえていた。威扇は変装用に頂戴してきた隠れ蓑のコートの袖を、アルスの細い腕へと通していく。


「ありがとうございます」

「……体調管理くらいはしっかりしてくれよ。お前自身の不注意も、俺の仕事の失敗に繋がるんだ。ご理解いただけて?」


 一言だけ、釘を刺しておいた。


「気を付けます」

「よろしい」


 クライアントであるアルスから返答は来た。

 これくらいの注意はしておかないと、威扇も不安であるようだった。


「ハクトウ、ニワウメ、大丈夫?」

 仄村は化け猫の少年少女二人に問う。

 二人とも寒そうだ。頬を赤くし、息も真っ白。平気だと首を縦に振ろうとしているようだが、強がっていることがすぐにでもわかってしまう。


「はい」

 仄村は、用意していた上着を二人に被せる。

「これで、あったかい」

「「……うん!」」

 ハクトウとニワウメは嬉しそうに、仄村へ微笑んでいた。



「おい、あまり足を止めんじゃねぇぜ。仕事が遅くなる」

「ああ。すぐに追いつくから、先に行ってて」


 子供二人は一同と比べると少し歩くスピードが遅い。仄村は二人の手を引き、少しずつだが三人に追いつこうとしていた。


「アイツはいつもあんな感じか?」

「ああ」


 ペット。あの二人は捨て子なのだろうか。それを拾ったのだろうか。

 関係性は分からないが、仄村たちはまるで家族兄弟のように微笑み合っていた。


「……」


 家族のような、光景。

 威扇はいつもと違う、何処か寂し気な表情を浮かべたような気がした。


「……こんな死地。実家が恋しくなったか?」


 牧瀬は小馬鹿にするように問いてくる。


「心配しなくとも。この程度じゃ音はあげねぇよ」


 家族のようにじゃれ合う三人を背に、殺し屋は笑う。




「“気味が悪い”って思っただけさ」


 本音を一つだけ漏らして。

 あまりに気持ちの悪い光景を目の当たりにしたと、たった一言だけ。


「……仲良く、か」

 暗雲しか見えない今日の山道。

 牧瀬はただ、二言目には嫌味か否定だけの殺し屋の態度には呆れる事しか出来なかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 数分後、一同はトンネルへ到着した。


「全員、ここに並んでくれ」


 トンネルに入る前、瑠果は一度、整列を促した。

 前もって話を聞いていた一同はトンネルを前に整列する。荷物も武器も手に持っていない、無防備の状態で。


「___永夜、亜精より、清めを与え給え。」


 瑠果はトンネルを背に、整列した一同の前でおまじないと思われる言葉を口にする。

 直後、再び胸ポケットからお札を取り出した……前と同じように、呟き終えたと同時に燃え散ってしまったが。


 ……悪霊退散、の儀式であろうか。


 お祓い。一種の本業なのか、瑠果は手早く儀式を終わらせる。


「全員、この札を持ち歩いておけ。森から離れるまでは絶対に手放すな」


 次に渡されたのは“五芒星”の描かれた札、だった。

 パワーアイテムとやらなのだろうか……一同は専門家から貰ったアイテムをそれぞれ服のポケットにしまうと、一通り終えたところでトンネルの奥へと進んでいく。


「今のが」

「ううん。アレは【L】とは違う」


 儀式、呪術。その力こそが【L】によるものだと予想していた。


「あの人は元より呪術師さ。【L】が生まれる前からずっとね」

 儀式も終えたところで、仄村が背筋を伸ばす運動をしながら答えた。

「……まぁ、【L】が関係していないわけじゃないけどね」

 一歩ずつ、トンネルへと近づいていく。



「普通のトンネル、だがな」


 日本の山奥になら何処にでも見かけるようなトンネルである。黄色の照明に、独特な黒いカビで染まった石造りの壁。何もない殺風景なトンネルを進むごとに、足音がノイズのように中で響き渡る。


「このお札、手放した瞬間どうなるのかね」

「冗談でもやめておいた方がいいですよ」


 仄村はジョークを口にした事へ、軽々しいと警告。


「わかってるよ。専門家があんなにマジになってるならな」


 人間の目に何か見えるわけではない。この殺風景なトンネルの奥に進めば進むほど、その見えない“何か”が沢山潜んでいるのかもしれない。


 得体のしれないトンネルの奥。一同は進んでいく。


「……時刻通り、来ましたね」


 そしてようやく―――

 こんな不気味なトンネルの奥から……“その人物”は現れた。

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