02話「Alone Player ~興奮最中~」


 独り身の殺し屋、とはよく言われている。


 年齢不明、住所も素性も、性別すらも不明と言われる。


 闇夜で輝きを放つ長い黒髪。顔には紅化粧の一本線。

 細身の肉体。男性用の衣服と女性用のチャイナドレスを合わせた、異文化キマイラなファッションである。


「……仕事まで時間がある。もう一度、肩慣らしだ」


 バッグから飛び出した“長槍”は相手に向けられる。


「お姉ちゃん。私が行ってもいい?」

 姉と思われる修道服の少女の耳元、吐息を吹きかけるような掠れた声でパーカーの少女は問いかける。


「コイツ、殺しさえすれば大金を貰えるんだよ? あれだけのお金を貰っちゃえば、しばらくは遊んで暮らせるかもね……私、お姉ちゃんともっと遊びたいし、だから、」

「待ちなさい、“プラグマ”」

 腰を揺らし、子猫のように甘えてくるパーカーの少女・プラグマの要望は軽く受け止められる。彼女の口元にそっと指が添えられた。


「……【植物人間】。コイツは私に預けてくれない?」


 植物人間。

 修道服の少女は彼をそう呼んだ。


「吐き気も恐怖も一瞬で覚えたのは……この人が“初めて”だわ」


 発情期にも似た興奮を見せるプラグマは彼女に恭順する。

 ヒビ割れ苔むし...雑草もそこかしこに生える廃ビルの屋上。そんな荒れ果てた地面に構う事なく素肌の両手両足を着けていく少女。修道服の彼女もまた、それに合わせて姿勢を低く下げていく。


「いい?」

「……そんな危ない仕事、お姉ちゃんばかりは荷が重いんじゃない?」

「ええ。この人はきっと強敵だわ。“独り身”でこんなに長く生き残ってるのだから」


 宥める距離。修道服の少女はより、プラグマに顔を近づける。


「だから……少しだけ、『貴方を頂戴』?」

「……勿論だよ、お姉ちゃん」


 分け与える。


 パーカーの少女は、姉と慕っている女性に愛を与える。


 それはスキンシップと取るか、愛情表現と取るか。

 そっと、少女二人は口で交わった。


 ここからでも、その風景は見える。実に、愛に塗れている。

 互いの言葉が塞がる。ただ、体で伝えるだけの行為は、欲望の一端であると同時……この“状況を打破するためには絶対に必要なこと”。


 その行動。この世界では……“真理”。

 元より、愛し合う者同士にとっては当然の行為。


 その行為___


 ___“異性”同士、そして“血を交えた家族”。

 ___二人の会話通りの関係ならば。

 

 ___紛れもない“異常”な光景。


あまりに歪で、あまりにも外の世界を見ていなさ過ぎで。

 自分達だけの世界に逃避したような無責任さすらも垣間見えて。


「……何度見ても思う」

 



 “気持ち悪い”。




 本音を漏らすこともなく、飲み込んだ。


「……ありがとう」


 そっと、修道服の少女は立ち上がり、子猫のように座ったままのプラグマに微笑みかける。


「これなら、どうにかなるわ」

 そして、気のせいではないのだろう。

 行為を犯した後の修道服の少女の様子が……明らかに変わったのは。


 隙が消えた。やけに体が張り詰めた。

 彼女のオーラ。プレッシャー___歪みが、大きくなった。


「……終わったかよ。“世界への貢献”とやらは」

「ええ、待ってくれていてありがとう」


 修道服の少女は微笑みながら告げる。


「愛する者もいなければ、愛してくれる者もいない……“力に選ばれない”無資格者」


 スカートの中、見えた両脚の素肌に巻かれた数個のホルスターとナイフ。


 両手に二本ずつ。人差し指と中指、人差し指と親指と、不気味な形でナイフをひっかけている。動きづらそうな格好にもかかわらず、大胆に足を開いて、その場で構え始める。


「……ナイフ使う殺し屋なんて珍しいな。今時、蛇の巣穴から撃つだけのスナイパーばかりだというのにさ」


「それ、長い槍持って何食わぬ顔してる貴方が言う事?」


「お前達ほど奇抜な殺し屋なら、一度は名前を聞いたことがあるかもしれないな」


 殺し屋は正体を隠す。そう易々と素顔は晒さない。


「初めまして、【植物人間】」

 しかし、ビジネスライクに彼女は挨拶を交わす。

「殺し屋業界では有名ですので名乗ります。【アスリィ・レベッカ】と申しますわ」

 堂々と、その名を口にしたのだ。


「……わり、聞いたことなかったわ」


 だが、聞いたところで無意味だったようだ。

 本当に知らないのだ。なら正直に言って失礼もクソもあるわけがない。


「では、以後お見知りおきを」

 アスリィ・レベッカは営業スマイルで微笑みかける。


「……今から生き残って、『またね』と言えるかは分かりませんが」


 これまた堂々と宣告する。


「ナイフで、槍に勝てるかよ」

 攻撃のリーチ、そして攻撃力でも勝てるとは思えない。アスリィ・レベッカがどのような行動をするのかに興味がわく。


「綺麗な顔をしているわね、あなた」


 彼女は、その場から一歩も動くことはなかった。

 代わりにアスリィ・レベッカが取った行動は……遠距離攻撃。


 持っていたナイフ四本すべてを、投げつけてきたのだ。


「はっ……そうすりゃ、解決ってわけでもないだろ」


 回避は普通に間に合う。

 避けたナイフ。素通りしたそれは空しく飛んでいくだけだ。


「……?」


 何処かで弾かれた。という割には“独特な音”が聞こえてきた。


「……なにをしでかしたか知らないが」


 だが目を背けない。一瞬たりとも、標的を肉眼から外すことはしなかった。目を離せば何をされるか分からない。少なくとも“この修道服の少女は脅威”と考えている。


 代わりに音だけで、後ろのナイフはどうなったのかを思考する。

 まず、ナイフは間違いなく何かにぶつかった。だが、弾かれて地に落ちる音は聞こえない。


 何かしらの音、は確かに聞こえた。

 これは……“貫く”音だ。


「……んん?」


 感覚、がやってきた。

 何かが空から、降ってくる感覚が。


「んっ、ふっ……“水”?」


 冷たい。非常に冷たい。

 これだけの寒い時期、あり得るとしたら雪である可能性……だが雪の一粒に、こんなにも触覚を覚えるだろうか。


 “水”だ。大量の水だ。

 突然空から雨が降ってくる。


「今日は、そんな日、じゃねぇよな」


 今、この屋上に雨が降っている。


 ……そう、この周辺だけ。

 あの馬鹿みたいな殺し屋達と一緒にいる屋上だけ、ピンポイントに降ってくる。


「あぁ、なるほどな……」

 彼は、その場で何が起きたのかを理解する。

「とんでもないもの、潰したみたいだな」

 後ろでの映像が何となく頭の中で映し出された。


『飛んで行ったナイフ。その先にあったのは、ビルの屋上の“貯水タンク”』

『四本のナイフはそのまま貯水タンクに追突。』


『そして、陥没』『さらに、貫通』『ついには、破壊』


『真後ろにあった貯水タンクは……たった四本のナイフで崩壊。』

『破壊された直後、ビル一面に洪水レベルの大雨が飛び出しましたとさ』


 理解する。

 修道服の殺し屋……面倒な殺し方を選んだものだと。


「いいのかよ」

 濡れていようとも、構わず続けた。視界だけは絶対に、アスリィとプラグマから外す事はしなかった。

「お前等も風邪引く程度じゃすまねぇぜ」

 言ったはずだ。今日は防寒具のフル装備を推奨される極寒日であると。こんな日に裸で外を出歩くものなら自殺行為も甚だしいと。


 これだけの極寒。そんな日に傘もささずに冷水を浴びてしまえば。

 最悪の場合……“凍死”する。


「問題ありませんわ」

 同じように大量の水を浴びているアスリィは涼しげな顔で言ってくる。


「……あの子から、私は貰ったから」


 同様、後ろの方で待っているプラグマも冷水を浴びて悲惨な事になっているが、平気な顔だ。


 この場にいる全員が水浸しだ。一刻も早く、何かしら暖を取らないと、数時間も待つことなく凍死する。


「私の体は、」

 死なば諸共だなんて覚悟を決めているようには見えない。この少女達、実に涼しげな顔のまま。

「こんなにも、暖かい」

 己の胸元に手を伸ばし、アスリィは己の肉体の無事を伝えている。


 ……嘘をついているようには見えない。

 これだけの極寒の中。その体は確かに凍えている気配はない。彼女達からすれば、こんな大雨の中、シャワー程度に思えている。


 そうだ、あのプラグマという少女。ハッキリいってよく分からないイカれたファッションでありながらも、鳥肌一つ見せていない。


 声は震えていなかった。声は掠れていなかった。 

 そして、極寒の水の中であろうとも、その様子は一瞬たりとも変わる気配はない。


 二人は……“正義の力”とやらで、この窮地を乗り切っているようだ。


「……へぇ」


 仲睦まじい事はよろしい事。そんな呑気な事。

 一つくらいは賞賛でも送ってやろうかと考えている顔だ。


「本当、綺麗な顔、ね」

 彼女が繰り返す言葉は、ナンパでも口説きでも何でもない。

「……綺麗なまま、だわ」

 それはアスリィの比喩表現。


 “代り映えのない表情”。

 敵を前にしても、後ろで不意な事が起こっても、そして、極寒の中で地獄のような仕打ち。下手をすれば死ぬのも間近のこの状況の中で。


 姉妹と同様、涼しい顔を浮かべたままである。


「代わりの服の一つでも持ってくればよかったよ」

「……そっちの心配?」


 まるで氷の中にいるような世界で、殺し屋二人はついにぶつかり合う。

 ナイフが、範囲に迫ってくるよりも先に迎撃する。アスリィが一メートル以内に入ることだけは絶対に許さない。


「手元が狂って仕方ない」

 水浸しという状況が実に面倒で仕方なかった。

 次々と頭から溢れる水。そして、手元に絡みつく水が槍を持つ手を滑らせようとする。だが、どうであろうと、槍から手を離す事だけは絶対しなかった。


「こんなに視界が濡れると……殺し損ねそうだ」


 そんな極寒の中。

 

 “厚さ数十センチ、長さ数メートルの鉄骨で殴られているような感覚”。

 一秒間に二発の速さ。シャレにならない押し付けが雪崩れ込むように飛び込んで来ようとも。


「これだけやっても……やはり、あなた奇妙だわ」


 戦いの最中、彼女が交えるのはやはり私情だ。


「“愛する者も愛される者もいない貴方”が、どうして、こんなにもバテないのかしら?」


 ___鼻息程度。呼吸も乱れない。

 ___こんなにも不気味に思えることがあるか。


 アスリィは感じた。

 命の危機を乗り越える真理。それを持つ資格は槍の殺し屋にはないはずなのに、どうして平然と“持っているのか”と。


「さぁな。愛してくれる“物”の大きさの違いじゃねぇの?」


 ただ一言、疑問には疑問で返してやった。


(“愛してくれる”? 今、あの人は愛されていると口にしたのかしら……?)

 槍は何度もナイフの連撃の隙間を抜けて突き入れられる。一瞬でも目を離せば、心臓は軽く一突きで奪われる。


(それ以前に……【モノ】の言い方に生気を感じなかったような。何というか、まるで)


「お姉ちゃん、もうやめておいた方がいいよ」


 大雨の中。

 さっきまで、観戦だけを決めていたプラグマが静かに立ち上がる。


「時間、かけすぎ」

「……騒ぎすぎた、かしらね」

 こんな大雨の中でも、アスリィは聞こえたようだ。


 妹の声と……ビルの真下の“サイレン”の音が。


「またね、を言えたわね」

 瞬時、アスリィはプラグマの元まで戻る。

 殺し屋同士の二人、共通して“面倒な敵”はどうしても存在する。


「次はいつ会えるかな。植物人間さん? ふふっ」

 戻ってきたアスリィの手を両手で握りしめたプラグマが微笑みかける。

「今度は、仕事場で会いましょう」

 アスリィもまた、一礼だけ返して、姉妹共々姿を消していった。


「……俺も、逃げるか」


 撤退。逃げ切れるかは分からないが、逃げ切る事だけを考える。

 姉妹と真逆の方向に、一目散とは言わないが、情けない撤退を選んだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 逃げてから数十分が経過した。

 

 人目を外すなら路地裏なんかも考えたが……あそこほど、疲れた体を癒すのに不快感しか覚えない場所はないだろう。二秒で却下。


「……代わりの服、取りに行くか?」


 平気ではあるが、肌寒い事には変わりはない。【例の力】で凍死する事こそないが、ひとまずは風も吹かないビルボードの裏で姿を隠すことにする。


 暖は取りたいが、ビルの屋上で火を焚くのはまずすぎる。だが、歯をカスタネットのように鳴らし続けるのも嫌であった。


「集合時間が近い。そこらでパッと“頂戴”してくるか」


 体を起きあげる。

 代わりの服くらい幾らでも貰えばいい……“着ている人間なんてそこら中にいるのだから”。


「……待って、くれるかな?」


 だが、その時だった。


「貴方の事、温められますよ」


 服を取りに行く。その行く先、道を塞がれている。


「私でしたら、ね?」


 “背筋が凍るような第一印象”。

 何の予兆もなく出てきた“人物”に対して、思わず冷や汗を流し、静かに驚愕する。


「……おいおい、嘘だろ。いや、間違いない、のか」

 目の前に現れた人物。

 服装、顔、そして髪型。携帯を片手に数度見比べる動作を取り、そこでようやく、彼は驚いた顔を見せた。


「……お前なのかよ、“依頼人”」

 当然だ。彼が引き受けた殺しの仕事の依頼人の人物が……。


 “まだ思春期も迎えていないような、和装の少女となれば”。

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