第3話 妖刀抜かざれば


 楓子は孤児みなしごだった。いつ、どのような経緯でやしろで暮らすようになったのか、楓子自身も知るすべはない。物心ついたころには既に、赤目の社の境内で木の枝を振り回して遊んでいた。やがて社に集う隠れ忍たちの鍛錬に混じって遊ぶようになるのは、ごく自然のなりゆきだった。

 そして、葉太もまた楓子より一年遅れて赤目の社に庇護された孤児みなしごだった。歳の近い二人は姉弟として赤目の社で育てられた。


 楓子の身のこなしはしなやかで軽い、まさしく天授の才だった。赤目の里の忍の乙の組の者ですら、ごく幼い楓子に一撃を加えるのは難を極めた。年を経るごとに刀技体技にいよいよ長けていき、長じて齢十四の時にはいち早く甲の組に上り詰めた。

 葉太も楓子に離されまいと鍛錬を重ね、いつしか二人は甲の組で将来を目される一流の忍とになっていた。

 混乱したこの時代、世を騒然とさせる事件が間を置かずに続く。普段は平和でのどかを絵にかいたような赤目の里も、近傍の地で立て続けに起こる騒乱に少なからず揺らいでいた。赤目の隠れ忍たちは影から、時に正面からこれに立ち向かい、里の平和を守り続けていた。それが赤目の里の日常であり、隠れ忍たちに課された使命でもあった。


 葉太と楓子も十五になると少しずつ実戦に赴くようになっていく。そして、二人は戦の場においても抜群の功績を重ねていったのである。


 楓子が二十一の早春のある日、先代の妖刀使いで楓子と葉太の師だった白山玄水は、配下の隠れ忍の者たちを社に集め、皆に向かって厳かに宣した。


「皆の者、わしはこれより妖刀を楓子に託す。よいな? 楓子、妖刀を持て」


 師は懐から古びた小ぶりの脇差を取り出し、楓子に手渡す。妖刀を託されるということ、それはすなわち赤目の隠れ忍たちの頭領たる立場になることだ。居並ぶ隠れ忍の者たち総勢二十余名、皆日頃の戦の場で楓子の数々の功績を目にしている。加えて楓子は数少ない幻術の使い手。異論のあるものがいようはずがない。


 葉太は姉と慕う楓子が妖刀を託されて、我が事のごとく誇らしく感じた。そして同時に、偉大となりすぎた姉君への一抹の寂寥、自分に託されなかった妖刀への羨望。それらが混じり合う複雑な思いで、玄水師のもとにひざまずく楓子を見つめていた。



 妖刀を楓子に託して程なくして玄水師は亡くなった。

 葉太はその詳しい死因を知らない。いや、その時は、知らなかった。

 弔いにはしきたりのとおり、妖刀使いで頭領となった楓子と先代のころから里守さとのかみをしていた五兵衛と、そして社の神主だけが出向いた。


「楓子 …… 、いや、頭領、師はなぜお亡くなりに」

「葉太、私のことは、今までどおり楓子と呼びなさい」


 葉太の問いには答えず、楓子は無表情にそう告げただけだった。



 それから数年、楓子は赤目の隠れ忍たちを率い、頭領として立派に赤目の里を守っていた。


 しかし、ある時葉太は気が付く。

 どんなに劣勢になっても、楓子は決して妖刀を抜こうとはしない。

 先代妖刀使いの玄水師が妖刀を抜いて放った幻術、秘技宝龍天空斬で二十人もの敵を一度に葬り去っているのを楓子も見たではないか。妖刀使い一人一人違う幻術を持つと言われている。早く楓子の必殺の幻術を見てみたい。

 幻術を使わずとも、妖刀は抜くだけで刀撃に数倍の威力が加わる。妖刀を抜けば一撃でまとめて敵を倒せる場面はいくらでもある。

 しかし楓子は、頑なに妖刀には手をかけず、一人ずつ刀技と体技で倒していた。それで負けることは一度もなかったが、葉太にはそれが歯がゆかった。妖刀を抜いて幻術を使えば、かような雑賊の十人や二十人、いや五十人ぐらいは瞬く間に一掃できるではないか。それが分かっていて、なぜ、楓子は抜かないのだ。楓子は何を出し惜しみしておるのか。

 葉太の小さな不満は、澱のように溜まっていった。


 楓子が二十四の春、野盗の衆が赤目の里を襲撃してきた。葉太と楓子はもちろん、里の忍たちは全力で応戦する。ただのならずものの寄せ集めとは言え五十人近い集団だ。頭数あたまかずは時として最大の武器になる。葉太は斬りかかって来る数人を難なく忍刀で斬り飛ばした。振り返ると、大男の粗暴なだけの長刀を相手にする楓子の背後から、四人の野盗が襲いかかっていた。


「楓子!」


 全力で忍刀を手に駆け寄る葉太。四人のうちの一人が察知して振り返った。葉太の忍刀の逆袈裟斬りがすれ違いざまに音もなく一閃する。男は短く呻くとそのまま倒れ込んだ。


 その時、葉太は見た。

 懐に手を入れて腕をしなやかに大男に向かって振るう楓子。同時に長刀の大男が声をあげてあおむけに倒れこむ。

 楓子は懐に手を入れるやいなや、手裏剣を長刀の大男の急所に打ち込んでいたのだった。その投げの速さ、狙いの詳しさ。いつ投げたのかすら常人には見えない速さだった。

 そして楓子は左身の低い姿勢になり、右ひじを突き出して背後の一人目の脇腹に突き立てる。そこから体を入れ替えて右身になり、前に踏み出して左ひじを二人目の左胸に。最後に両の掌を前に突き出して、正面から三人目のみぞおちに。

 蝶の舞かと見まがうほどの、余りに美しい、そして重い、右の肘激崩、左の肘激崩、そして掌底破しょうていはの流れるような三連撃。敵賊三人はうめき声を上げる間もなく失神して、地に伏せる。束の間、葉太は忍刀を構えたまま見入ってしまっていた。


 雑賊四人など、楓子にかかれば物の数ではない。それは葉太が誰よりも重々承知のことではある。しかし、うつつに戻った葉太は、周囲の危険が去ったことを確かめると、構えを解いて楓子を咎めた。


「楓子! なぜ妖刀を抜かない! なぜ幻術を使わないんだ!」

「 …… かような下賊ども、たとえ五十人いても体技だけで十分倒せます」

「違う! 楓子、それは違う! 敵は一刻でも早く倒さなければ、その分味方に被害が出る。頭領たるもの、里の守りを一番に考えねばならん。倒せる敵は最速で倒すのが忍の役目だ。敵を倒しても時間がかかっていては何にもならんのだ!」

「私は必要であれば妖刀を抜くし、幻術も使う。しかし、今は不要だった。そういうことです。下賊は倒しました。葉太、帰りましょう」


 ◇


 その夜。

 社の離れのいろりで戦装束を解いた楓子に、葉太は真剣な面持ちで詰め寄った。


「楓子。俺が妖刀を、使う。妖刀を、俺に託してほしい」


 楓子はじっと自分の手元を見つめた。ついに、来たるべきものが来てしまった。その想いを胸に、意を決して顔を上げる。もう、逃げられない。もう、ごまかせない。


「葉太、それは、本気で言っているのですね」

「本気だ。赤目の忍の頭領は今までどおり楓子でよい。しかし妖刀は ……、妖刀だけは、俺に持たせてくれ」

「私が妖刀を抜かぬのが不満なのですか」

「不満だ。大いに不満だ。お前が妖刀を抜かないせいで里のものが傷つくことがあってはならんのだ。俺なら、俺が妖刀を持っているなら、どのような場面でも、躊躇なく抜く。それで里の平和を守れるなら!」


 楓子は切れ長の目を少し伏せて、長く押し黙っていた。そして息を一つ吐くと、居住まいを正して葉太に告げた。


「 …… 分かったわ。明日、宵六つの鐘が鳴るころ、丘の老桜の下に来なさい。そこで私と勝負して、私に勝つことができれば、妖刀はあなたが持つがよい」

「かたじけない」


 葉太は妖刀を持つだけにしては、妙な条件を付けるものだと不思議に思いながらも、楓子の話に礼を言って頷いた。


「ただし、葉太、よく聞きなさい。私を、殺す気で来なさい。私も、手加減はしません」


 そして切れ長の瞳に力をこめて、葉太に告げた。


「葉太、私もあなたを殺す気で行きます」


 妖刀を持つことの意味。

 そして、それを抜くことの意味。

 それを、葉太はこの時まだ知らなかった。

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