第2話 赤目の里の隠れ忍

 人里離れた鄙びた山あいの村落、赤目の里。そのほぼ中央には、この小さな村落にはとても似つかわしくない広い境内を持つ神社がある。里の者たちは赤目のやしろと呼んで、常日頃から信仰していた。


 赤目の社の本殿の前には立派な手水舎と神楽舎が参道を挟んで左右に相対している。人気のない本殿の前では、桜の木が誰に見せるともなく節くれだった枝に盛大に花をつけていた。春風に花びらが混じろうかとする陽気の中、うららかな春霞の空に、姿を見せない鶯がさえずる。

 

 ここ赤目の里は、隠れ忍の者たちが住まう山村。その中央に座する赤目の社は、忍の者たちの寄り合いの場であり、修練の場でもあった。


 ◇


 ある春の日の午後、少女と大男が赤目の社の本殿前で忍の鍛錬に精を出していた。そして、それを離れて見守る男が二人。着流しの背の高い壮年の男と小柄な山伏に似た修験装束の老年の男。


 桜の木のそばの玉砂利がずさりと響きを散らす。

 黒装束の筋骨逞しい大男は足元鋭く小石を飛ばして踏み込み、大太刀を振り下ろす。薄紫の忍者装束の少女は、それをこともなげにひらりとかわした。


「はっ!」

「せいっ!」


 少女は大男の体躯から繰り出される大太刀の突きを、柔らかく左に身をずらしていなし、そのまま後ろにのけぞり、後方へ宙返りをしながら飛び跳ねる。軽い身のこなしに薄紫の忍者装束がひらりと揺れて、大男の視界から少女が消える。

 黒装束の大男は空を切った大太刀の切っ先を素早く戻し、構えを取りなおそうと下半身を粘って大地を踏みしめた。しかし、その動きを読んでいたかのように、まさに踏み出さんとする一尺ほど手前の地面に、びしびしと少女の放つ撒菱まきびしが突き刺さる。


 その流れるような回避からの返し手反撃を見て、壮年の男は感嘆の声をあげた。


「ほお、随分と活きのいいくのいちがいるのだな。名をなんという」


 もう一人の修験装束の老年の男が、枯れた声で答える。


「桜子にございます。よわい十五にして小太刀脇差に長けておりますが、どうしても手合いの軽さが気になるところ。しかし技の速さと狙いのくわしさは甲の組でも抜きん出ております」

「ふむ。して、男の方は」

「弥助と申します。ここ赤目の里の甲の組では、一番の腕力かいなぢからを持つ大太刀おおだち使い、齢は十七になります、大師範殿」


 大師範と呼ばれた壮年の男は、若い二人の鍛錬の手合いを腕を組んでじっと見ている。弥助が踏み込み、桜子がいなして反撃を加える。境内の本殿前では一進一退の攻防が続いた。

 当たらない刃撃にしびれを切らした弥助は、ついに大太刀を振りかぶって大きく踏み込んだ。足元でひときわ大きく砂利がすれる。


「はいああ!!」


 桜子はひらりと体をかわすと、後ろ宙返りで間合いを取った。懐に手を入れ素早く平手で小手裏剣を投げつける。さすがの弥助も小さいとは言え手裏剣を正面から食らってはたまらない。一瞬構えを解いて、飛んでくる手裏剣を抜き身で弾いた。その隙を桜子は見逃さない。見る間に間合いを詰め、すいと弥助の懐にもぐり込む。ごく低い姿勢になり、左の半身から渾身の力を込めて右肘を突き出し、矢のように弥助の空いた脇腹に打ち込んだ。


「はああっ、肘激崩ちゅうげきほうっ!! はいっ!!」


 相手の動きに乗じて、自分の体重を乗せた肘鉄を脇腹に打ち込む。赤目の里の忍たちが使う古武術の大技の一つ、肘激崩だった。身の軽い少女であっても、その威力は弥助の動きを止めるに十分、狙いすました一撃に弥助はたまらずうずくまってうめき声を上げた。

 

「うっ ……」


 壮年の男は鮮やかに決まった大技に目を見開く。

 …… あの技は、左身で身体を沈めた態勢から、瞬時に間合いをつめて放つ必殺技、肘激崩! 鍛錬中に楓子から何度食らったか分からない技そのものだ。身のこなしもそっくりそのままではないか …… 。

 壮年の男は自分が脇腹に技を食らった気がしたのか、思わず顔をしかめた。修験装束の老年の男はそんな壮年の男の様子を横目に、鍛錬中の二人に向かって告げる。


「二人ともやめい! そこまで! 桜子の勝ちじゃ。見事な肘激崩じゃった」


 桜子と弥助は動きを止め、互いに一礼して葉太たちの前に膝をつく。修験装束の老年の男は膝をついてかしこまる二人に告げる。


「こちらは大師範葉太殿じゃ。しばらく甲の組の二人には、葉太殿がこの里守さとのかみ五兵衛に代わって、じかに稽古を付けてくださることになった」


 桜子は息も乱さずに立ち上がって「お願い申し上げます」と礼をする。弥助もそれに倣うが、息が上がってしまっていた。


「桜子と言ったな。いい技と動きだ」

「はい、ありがたきお褒めの言葉」


 桜子は少し戸惑った様子で大師範と呼ばれた壮年の男、葉太に頭を下げた。大師範と言えば、国に四つある忍の里の者たちの頂点に立つお方。しかも伝説の妖刀を使いこなし、幻惑の術をも操る当代きっての一流の忍の者。その功名は遠くの諸国にも知れ渡っていると聞く。


「ただし、大太刀の突きをかわすのは左身だけではなく、右身でもできるようにしておくがよい。その方が返し手が一呼吸早い」


 右身ならそのまま手裏剣も投げられる。後方に宙返りして間を稼ぐ必要のない分、返しの一手が早く出せて、その上間合いが近いので当てやすい。歴戦の大師範の的確な教示に、桜子は頭巾を外すのも忘れて恐縮しながら葉太の話を聞いた。


「弥助、力だけで押して行ってもかわされるだけだ。太刀筋は相手の動く先に置いておくよう心掛けよ。むしろ力はいらぬ」

「よし。二人とも、今日はここまでじゃ!」


 五兵衛が声をかけて今日の鍛錬は終了となった。


「ありがとうございました」


 二人は揃って礼をすると、忍の作法どおり、風に消されるかのように素早くその場からいなくなった。吹き抜ける一陣の風にまぎれるかのように去っていった薄紫の忍装束姿。葉太は桜子の後ろ姿を、じっと見つめていた。


「大師範、いかがなされましたか」

「いや、…… 桜子は赤目の里の出身か?」

「いえ、五年ほど前、西の峠道で行き倒れていたのを、社の宮司が不憫に思い連れて来たのでございます。最初は社の小姓をさせておりましたところ、子供同士のちゃんばらで敵うものなしの強さだと噂になりまして。恥ずかしながら、それがしも最初の手合いで脛に一本取られ申した」

「子供だと思って油断した、という訳でもなさそうだな、五兵衛」


 子供の刀は刃渡りの短い分、大人からは信じられない速さで二の太刀が出る。身長の低さで動きが見えにくいこともある。しかし、老練な五兵衛がそれだけで一本取られるはずがない。


「お恥ずかしい限りにございますが、桜子は齢十よわいとおにして肘激崩でそれがしの脛を狙って来たにございまして。さすがのそれがしもかわしきれずに。それは、まるで …… 」

「楓子のようだった、と申すか」

「さよう。あの体捌きはまさしく楓子殿のそれ。桜子はその後、忍の鍛錬に加わり、丙の組、乙の組を瞬く間に抜けて、今では赤目の里、甲の組の筆頭になり申しております。…… 似て、おりますな。楓子殿に。身のこなしも、生い立ちも、そして顔だちも」

「そうか。五兵衛、お主も、そう思うか」

「はい。この里守五兵衛、桜子は妖刀使いと見ております。…… 運命さだめにございましょうな、これも」


 葉太は着流しのたもとに腕を入れて、少しの間、案ずる顔を見せた後、ゆっくりと雪駄をならして五兵衛に背を向けた。


「大師範、いずこへ?」

「先代の墓に供えて来る。五兵衛はもう退いてよいぞ」


 陽が傾き始めて伸びた葉太の影。

 枝桜がそよぐ春風に揺れていた。


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