第9話 リスタートのために
鼓動が早い。つまり、ぼくは生きているということだ。
ただ、視界は暗いままだ。NEW GAMEの文字も出ない。
しかたなくVRゴーグルを外した。
何が起こったのか。それははっきりとわかる。
ぼくは死んだのだ。幾度となく、これまでのゲームプレイで経験してきたとおり。
痛みはほとんどなかった。あの狼に噛みつかれた瞬間、首元にはたしかに衝撃が走ったが、それだけだった。ぼくは即死だったのだろう。まだこのゲームのシステムやUIを確かめきってはいないが、通常のRPG同様にヒットポイントやライフポイントという概念があるのなら、それはあの獣の一噛みで0になってしまったのだろう。
冷蔵庫からジンジャーエールの缶を取り出して、思い切り飲み干す。炭酸にむせてしまったが、とてもうまく感じた。
このゲームは傑作だ。それは間違いない。
『ラプソディ・トゥ・アクト』。これほどのゲームが、名も知られていないなんてことがあり得るのだろうか。たとえぼくがいま体験したまでで区切ったとしても、傑作と断じてよいはずだ。あのボリュームだけでも作るとなれば、AAA級タイトル数本分に近い費用がかかるのではないだろうか。VRゴーグル経由にも関わらず、現実と見紛うほどのビジュアル。あらゆる感覚を刺激するゲームファクター。自由度の高さが伺える世界設計。普段このジャンルに手を出していないぼくが知らないだけで、センサースーツを用いたVRゲームの技術は格段に発展しているのだろうか。そんなはずはない。
いずれにせよ、この世界が一体どこまで続くのか。その先を見てみたいと思うのは、ゲーマーであれば当然の感情だろう。幼いころ、自分の住む町の外へ初めて出ていったときのような、そんな純粋な興奮がぼく自身を満たし始めている。
もう一度起動させてみようと、ファイル操作を繰り返した。エラーの反応だけが返ってくる。まさか体験版は一度きりなのだろうか。アンインストールを行って再度SSDから取り込んでみたものの、それも無駄だった。
気づけば、スギハラへのメッセージを考えていた。いや、考えるも何も、伝えるべきことは決まっていた。「このゲームの続きを、プレイさせてくれ」。ただそれだけ伝えればいいんだ。プライドや警戒心が邪魔をしないでもなかったが、天秤はそれらを軽々と差し出してしまった。疑問はまた会ったときにぶつければいい。
なぜスギハラがこのゲームを持っていたのか。その疑問はますます強まっていく。スギハラはゲーム業界の人間でもないようだった。それなのになぜ、あいつがこのゲームを手にしているのだろうか。
返信は、しばらくしてから返ってきた。
「気に入ってもらえたようで、なによりだ。いまからここまでこれるか? センサースーツもSSDも家に置いたままで大丈夫だ」
添付の地図を開く。今日の午後に訪れたばかりのモールと、この家との間くらいにピンマークが刺さっていた。
まだ、終電までは程遠い。充分に間に合いそうだった。
つい数時間前に会ったはずの人間にもう一度会いに出かけるなんて滑稽に思えたが、もはやそんなことはどうでもよかった。
「いまから向かう。本編はそこでもらえるのか」
文面の体裁を整えることもせず、ぼくはメッセージを返した。
「プレイは約束しよう。いろいろと気になることもあるだろうが、約束通り、その場所でおまえの疑問に答えてやる」
外はもうすでに暗く、気温はずいぶん下がっているらしかった。ぼくは、センサースーツから、今日、モールを訪れたときの格好に着替え、その上に一枚カーディガンだけ羽織り、部屋を出た。
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