第4話 instructions.txt
<instructions.txt>は本文も英語で書かれていた。検索エンジンのタブを切り替えて、翻訳にかける。いつごろからか翻訳の精度は劇的に向上し、異なる言語間での情報流通にはもはや、ほとんどタイムラグは発生しなくなった。グローバルなコミュニケーションはますます加速し、言語圏や国籍を問わない交流が多く生まれた。ただ、翻訳の文体がどこか慇懃無礼に変換されることから翻訳済みの文章が
Translation languageとslangをかけた<翻訳語(トランスラング)>と揶揄して呼ばれることもあった。FPSなどは英語圏のプレイヤーとともにゲームに臨むことがほとんどだったが、心ないプレイヤーからは「Damn Translang!」と罵倒されることも少なくなかった。その罵倒自体がぼくのPC上では「クソ翻訳語め!」と訳して表示されることが滑稽でもあったが。
ぼくは一文目から目を通した。
<はじめに
・『ラプソディ・トゥ・アクト』をプレイしていただく為にはお使いのPCが以下の動作環境を満たしている必要があります。プレイしていただく前に、必ず下記の動作環境をご確認下さいますようお願い申し上げます。
CPU:Rore p11-8790もしくはLyz 9 3200V以上
GPU:QuForce TXⅣ 1970もしくはLL-deon N11 580X以上
センサースーツ:for Rhapsody to act
VRゴーグル:obelisk 7
※体験版における推奨環境となります。
・「管理者権限のあるアカウント」でインストールを行なってください。
・「ユーザー アカウント制御(UAC)機能」が有効な事をご確認ください。
−お問い合わせにつきまして−
1. ゲームの攻略、プレイヤー様間のトラブルのご報告については、原則お答えできません。
2. 不具合報告に関しましては原則としてお答えはいたしません。
3. プレイヤー様のプレイ履歴の調査が必要な事項(アイテム消失等)に関して調査可能期間は過去1週間といたします。
……>
そのあともずっとこの調子で、プレイに際する要件が述べられていた。
『フェアリー・コール4』で日本1位の記録を出したあとに買ったぼくのゲーミングコンピュータ。ハイエンド機種であるこのPCでも環境要件をぎりぎり満たせていなかった。これでもまだ体験版だというのか。はたして動作するだろうか。
そして、文章によれば、センサースーツはどうやらこのタイトル専用のものらしい。ぼくのプレイした限りでは、特定のゲームが専用のデバイスを使わせる事例として記憶にあるのは、『フェアリー・コール』の外伝作品で勇者の使う剣、ゾンビゲーの『ビオ・アビス』で特務隊に所属する主人公専用のハンドガン、くらいだろうか。少なくとも専用のスーツというのはなかった。
無味乾燥とした文章の中に唯一、ゲームの仕組みを推察させる文言がある。
<ユーザー様間のトラブル>
つまりこのゲームは、おそらく正規版だけだろうが、スタンドアロンではなく、オンラインのプレイを想定されているということだ。
この『ラプソディ・トゥ・アクト』は、いったいどれくらいの数が存在していて、どんなプレイヤーが参加しているのだろうか。体験版をプレイし終えればスギハラが教えてくれるはずだ。検索をしても何もわからない以上は、それに期待するしか方法はない。
雨の音だ。窓の外から聞こえてくる。窓を開けて外を覗いてみると、すでに土砂降りと呼べるほどの雨が降っていた。
雨が降っていてもいなくても、きっとぼくはまたしばらく部屋を出ることはなかっただろう。だけど、この強い雨は、新しいゲームを始めるには充分すぎるほどの理由になる。
SSDからPCへ、<rhapsody to act demo ware.exe>を落とし、インストールを行おうとした。忘れていた。容量オーバーですぐにエラーが出る。仕方ない。SSD上でプレイをするしかなさそうだった。
服を脱いでいった。脱いだ服は洗濯機の中に投げ入れ、代わりにセンサースーツを上から身に着ける。その感触に驚いた。ほとんど人肌のようだった。上下ともに着終わり、収縮用のジップを引っ張ると、その心地よい感覚がよりいっそう強化された。人に抱きしめられているような、そんな感覚だった。
PCとの無線接続を終えると、スーツの表面に薄緑色の電光が走った。最後にVRゴーグルを被る。
これで準備は良いのだろう。あとは『ラプソディ・トゥ・アクト』を起動するだけだ。
ぼくは飾りげのない<rhapsody to act demo ware.exe>のアイコンにカーソルを当て、ダブルクリックをした。
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