第3話 VRゴーグルとセンサースーツ
階段を踏みつける音。ぼくの部屋の外、遠くから徐々に近づいてくる。部屋の前で一瞬止まり、逆再生のように音は遠のいていく。音が完全に聞こえなくなってから扉を開ける。廊下には大きなダンボール箱が置かれていた。
両手を広げて抱える。見た目に反してとても軽く、容易に持ち上げることができた。
中身の心当たりは一つしかなかった。封止めのテープを引き裂いて箱を開けると、
ビニールに包まれた黒い物体が二つ。スギハラが予告していたとおり、一つは衣服、一つはゴーグルであることがわかった。VRゴーグルの方は市販のブランドだったが、スーツの方はメーカーやブランドのタグなどはついていなかった。
「センサースーツ……」
数年前に開発・発売されたセンサースーツは、コアゲーマー向けのプロダクトとして流通した。着た者の神経に対して選択的に刺激を与えられる技術、<ニューラル・シグナル>を利用したその衣装は、没入型のVRゲームと抜群に相性が良かった。ハイエンドPCの数倍近い価格に対しても注文が殺到したという話を聞いたことがある。
全身を覆うタイツのような形を想像していたが、実際は上下が別れたトレーニングウェア、というのが近かった。ビニール袋から取り出して触れてみる。ゴムのような感触が指の表面を伝う。けれど、日常で触れうるゴム製の物質のどれよりも柔らかく感じた。着衣の感覚に興味が湧いてしまった。
ベッドの上にセンサースーツを置き、スギハラからもらったSSDを手にとる。センサースーツとは対照的に真っ白なそのプラスチックには、880エクサバイトという途方もない量のデータが詰め込まれているという。
PCを立ち上げた。ブラウザを起動し、ショッピングモールからの帰路に、端末で行った検索を別の検索エンジンで、もう一度繰り返す。
<ラプソディ・トゥ・アクト>
ラプソディ、トゥ、アクト、それぞれの単語があいまいに検索された粗雑な検索結果ページが開かれる。絶対値検索のため引用符をつけると、その検索結果すらも失われ、「一致する情報は見つかりませんでした」というメッセージと、キーワードの誤字脱字を確かめろというアドバイスだけが映し出された。
「さて……」
ぼくは本当にスギハラを信じていいのだろうか。このSSDをPCにつないだ途端、PCがウイルスに侵され、あらゆるパスワードが抜き取られるなんてことはないだろうか。家庭用PCでは最高クラスのセキュリティソフトは入れてあるものの、それすらも突破するウイルスはいくらでもあるだろう。あるいは、もっとくだらないレベルとして、ぼくがあのスーツを身に着ける姿を隠し撮られ、その動画が公開される、なんてことはないだろうか。
思いつく限りのイタズラから犯罪行為まで思いを巡らせたけれど、そのどれもにリアリティはなかった。「詳しい説明は、お前がその体験版を気に入ったら話す」とスギハラは言った。人は、誰かを騙そうとするとき、多弁になるものだ。自分は真実を語っているのだという嘘を自らの言葉で支援するために、饒舌になっていく。スギハラにはそれがなかった。もちろん、そのふるまいが、一段上の詐欺の手法ではないとは言い切れなかった。けれど、その堂々巡りに陥るより、ぼくは単純に自分自身の好奇心を満たしたかった。
ぼくはケーブルの一端をSSDにつなぎ、もう片方の先を、PCのポートに向かわせた。差込口に吸い込まれていくように、ケーブルの先端がすんなりと入っていった。
久しぶりの有線接続。PCの挙動の流れを忘れかけていたが、ファイルエクスプローラーのウィンドウが自動でアクティブになった。ウィンドウ左列のメニューバーにこのデバイスの名前と思われる英数字の羅列が表示されている。そのデバイス名にカーソルを合わせ、クリックする。
デバイスの中にはフォルダが一つだけあった。
<rhapsody to act demo ware>
そしてさらにそのフォルダ内には<rhapsody to act demo ware.exe>と<instructions.txt>の2つだけが入っていた。どちらもアイコンはノーイメージだった。
ファイルのプロパティでサイズを確かめる。凄まじい速度で、その容量算出の数字が増えていった。<18,000テラバイト>に達すると容量算出にエラーの文字が表示され、カウントは止まった。
スギハラの言葉は本当なのかもしれない。心臓の鼓動が早くなる。
まるで誕生日にゲームを買ってもらった子供のように、自分自身の感情が高ぶっているのを感じた。
興奮をどうにか抑え込みながら、ぼくはまず、<instructions.txt>のファイルをダブルクリックした。
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