第2話 880エクサバイトの体験世界

 制服を着た女子高生たちが、目の前を横切った。つまり、今日は平日なのだろうか。休日なのだろうか。それもおぼつかないくらい久しぶりの外出。ショッピングモール、午後二時二十分のフードコート。椅子の硬さが落ち着かない。自室のゲーミングチェアに比べれば快適さなど無いに等しかった。

 約束の時間は過ぎているはずだった。不安になって、早朝に端末が受け取った、スギハラからのメッセージを見返す。午後二時、臨海副都心のショッピングモール、そのフードコート。間違いはなかった。SNS上のスギハラのアイコンは十名近い男女の集合写真で、ぼくの中にあるスギハラの顔の記憶と照合するのには役立たなかった。もしかするとすでにスギハラは到着しているのかもしれない。それでいてぼくも彼も互いの顔を忘れてしまっているだけなのかもしれない。

 とはいえ、あたりを見回してみると、ぼく以外に一人でいる男性は見当たらなかった。家族連れ、制服を着た学生の集団、老夫婦……。

 見事なまでに平和な空間を構成する人々のなかに、明らかな違和感ともいえる男が現れた。二度三度だけ頭を振ったその男は、やがてぼくの方を見て視線を止めると、「タカギ!」と叫んだ。周囲の目が彼に集まる。そして彼の視線を追うかのようにぼくに向けられる。スギハラだ。

 いたたまれなくなったぼくはその場を離れようとしたが、それよりも先にスギハラが向かいの席に座った。

「待たせたな」

 ゆるくパーマのかけられたショートヘアの隙間から、刈り上げられた2ブロックが覗く。大学時代のスギハラもこんな風貌だっただろうか。少なくともいまの彼に良い印象は抱かなかった。

「ずっとあんなふうに、ゲームばっかやってんのかよ」

 スギハラの言葉には揶揄の響きを感じた。ただ、ぼくがそう感じたことをスギハラも気づいているようだった。

「いや、おれもね、そんなふうに好きなことばっかりやって暮らせれたらなと思うんだよ。これはまじで。まあそうはいかないから働いてるんだけど」

 弁明のつもりであろうその言葉は、どこか自慢気にも聞こえた。

「仕事は何を?」

「システムのコンサルタントってやつ。そのうち独立しようと思ってるけど」

 自分で聞いておいて、あまり興味のない回答にどう言葉を継いでいけばいいか、すぐには思いつかなかった。それを見かねてか、スギハラの方から話題を切り出した。

「そんな話はまたの機会にしようぜ。本題は、これだ。受け取ってくれ」

 スギハラは、自身のカバンから取り出した、文庫本ほどの大きさをしたプラスチックの物体を机に置いた。ぼくは言葉の通りそれを手に取り、観察した。

「これは、SSDか?」

「ああ、話したゲームはそこに入ってる」

「なんでわざわざ直接会ってまで……。送ってくれればよかったのに」ぼくはメッセージのやりとりの際にも思ったが聞けなかった質問を口にした。

「単純に重いんだよ」

「重い?」

「ああ、容量がな。家庭レベルの高速通信では、とてもじゃないが送れない」

 スギハラの自宅の送信環境の問題だろう、とぼくは思った。半ば馬鹿にしながら聞いてみた。

「どれくらいなんだ? 100ギガか? 100テラか?」

「880エクサバイト」

「エクサバイト?」聞き覚えのない単位に耳を疑った。

「テラバイト、ペタバイト、その次だな」

「……いったい、それだけの容量で何を作ったんだ」

 ありえないことだが、容量を聞いてから、そのSSDが物理的にもほんの少し重くなったように感じた。

「『ラプソディ・トゥ・アクト』、それが名前だ」

 ラプソディ・トゥ・アクト……。聞いたこともない名前だが、どういう意図のタイトルなんだろうか。

 ジャンル、メーカー、販売実績、そのどれも事前にメッセージで聞いたが教えてはくれなかった。体験版をプレイしてみて興味が出たら教えてやる、とだけ返されてしまっていた。

 クリアに一年はかかるゲーム。ただその響きだけに惹かれてここまできたが、度を超えた大容量、知らないタイトル……。依然として疑いの気持ちはあるものの、より好奇心が強まったのも事実だ。

 一つだけ質問をしておきたかった。

「どうやって手に入れたんだ」

 スギハラは濁そうとするそぶりもなく、ぼくの方を見つめる。

「仕事のツテだよ。おれの先輩のクライアントにこのゲームの関係者がいてな。譲ってもらったんだ」

 嘘をついているふうには見えなかった。この言葉自体は本当なのかもしれない。

「ああ、そうだ。住所だけ教えておいてくれ。今晩にもセンサースーツとゴーグルをお前の自宅に届ける。それを装着してプレイするんだってよ。おれも詳しいことはわからんが」

 事務的に用件を告げるスギハラの言葉だったが、それはある程度、ゲームの形を示唆していた。

 まだ完成形には程遠いはずの、全身没入型VRゲーム、それが『ラプソディ・トゥ・アクト』の姿なのかもしれない。

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