ラプソディ・トゥ・アクト

宏川露之

第1話 ニューゲーム

 画面に<The End>の文字が映し出される。鳴り響くオーケストラ音源。荘厳かつ多幸的なBGMもやがて終わりを迎える。規定で定められているラストカットはもうすぐ。

 <The End>を書き上げた羽ペンが完全に消失したその瞬間、リターンキーを叩き、タイマーを止める。

 ゲームクリア。タイムは、10時間45分58秒17フレーム。ぼくは大きくため息をついた。

「くそっ」

 また、10時間を切ることすらできなかった。コメント欄に目をやると、ぼくを労う言葉と同じくらい、落胆の声が書き込まれていた。日本語だけではない。そこまで数は多くないが英語や中国語のコメントも浴びせられていた。ソフトウェアによってすぐさま翻訳されるそれらの言葉の内容は、日本語のものよりいささか優しかった。ぼくはプレイの簡単な総括と、視聴に対する感謝の意を述べ、配信を終了した。

 ヘッドセットと眼鏡を取り外し、すぐそばのベッドに倒れ込む。冴えないプレイ内容だったとはいえ、それなりの集中が解けた直後、すぐ眠れるわけはない。

 ベッドの上に置いてあった端末を見つけ出し、ニュースサイトのトレンドを巡回する。世界を取り巻く暗いニュースと、ネット上だけで盛り上がるくだらない話題ばかりだけど、それくらいしか触れられる体力は残っていなかった。

 一通り話題を消化した後に、最新のレコードWikiを見に行った。『フェアリー・コール4』RTA、日本ランク1位。そこに自分の名前とぼく自身のベストタイムを見つけ、少し安堵する。しかし、表示カテゴリを日本から世界に切り替えると、その位置は7番目にまで後退する。世界1位の記録に目を向けてすぐに虚しくなる。あいも変わらずそこには、遥か彼方にも思える記録と憎らしい名前が掲げられていた。プレイヤー:楊李娘(Yang Liniang)、レコード:9時間18分35秒20フレーム。

 端末と目を閉じた。あらためて今日の自分のプレイを思い返す。もう百数十回目のゲームクリア。何度繰り返しても、このヤン・リーニャンの記録の足元にも及ばない。『フェアリー・コール4』は、他のRPGと同じく運に左右される局面がいくつもある。今回、その運は決して悪くなかった。それでも、世界トップとこれだけのタイム差が出る理由はなんだろう。

 いつか見たヤン・リーニャンの世界1位達成時のプレイ動画を思い出す。どんなプレイヤーもそれまで思いつかなかったルート選択と、あらゆるバトルを完璧かつ最短の効率で華麗に立ち回るキャラクターたちの姿。悔しさよりも衝撃が勝ったことを覚えている。そのレコードの日付から、もう一年近くが経とうとしているが、未だ記録を破るものはいない。

 照明を落とし、鈍い達成感とともにまどろんでいく。目覚めたらまた、『フェアリー・コール4』の世界へ行かなければならない。ここ最近、あまり夢を見ていないな。まあ、どうだっていいが。


 手のひらを、端末の振動が揺らす。

 そのまま眠ってしまおうかと思ったが、その振動の不思議さに気づいてしまった。端末の通知は、プレイの妨げになることのないように全て、オフにしていたはずだった。何の通知を切り忘れていただろうか。その好奇心に目を開き、視線認証で端末のロックを解除した。

 通知の原因は、大学に入学したばかりのころにインストールしたきりのSNSだった。ネットとリアルの融合だと喧伝していたそのアプリケーションは、一時大きなブームを巻き起こしたが、いまでは誰も使っていない過去の遺物に成り下がっていた。なんとなく面倒で、ぼく自身はアンインストールを怠っていた。

 そのSNSで、ぼく宛てに、ダイレクトメッセージが届けられていた。ある時期まではひっきりなしに送られてきていた詐欺メッセージも、ユーザーのいないアプリケーションでは効果を上げないことがわかったのか、いまではもう見かけなくなっていた。一体誰からだろうか。送信主の名前に目をやる。

<スギハラ シンジ>

 記憶がその名前を引き当てるのには、数十秒ほどかかってしまった。大学一年目のときのクラスメイトだ。特に仲が良かったわけではない。必須演習で同じクラスだっただけの関係だ。メッセージを開封した。

–「久しぶり。配信、見てたぞ。すげえじゃねえか」

 一瞬、面食らった。どこで配信のことを知ったのだろうか。リアルでぼくを知る人間に、ゲーム実況の話をしたことはない。それにスギハラがゲームを好きなイメージもなかった。メッセージはまだ続いていた。

–「お前に頼みたいことがあるんだけど、今日、どこかで会えないか」

 メッセージは無視しようと思った。なんの義理もない。けれど、最後の一文がぼくの興味をそそった。

–「お前にやってほしいゲームがあるんだ」

 ぼくは3分ほど待ってから返信を送った。

–「どんなゲーム?」

 返信を待つ間、部屋の分厚いカーテンを開けた。もうすぐ夜明けがくるころだった。

–「クリアに一年はかかるゲームらしい。それをできるだけ早くクリアしてほしいんだ」

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