第14話 Goldy / まぶしい瞳


 6月中旬。

 今朝から降り続く雨が、いくらか小降りになってきた。

 天気予報では、午後から雨は止むはずだったのに…。


 今日は朝から風も強かったので、お気に入りの傘をやめ、ビニール傘にした。

 駅から大学までの100メートルもない距離。その通学路は高層ビルやマンションが立ち並び、こんな日はビル風が吹き荒れる。その強風のおかげか、私の傘は壊れてしまった。ビニ傘にして良かった。


「雨、止むのかな…。」


 誰もいないキャンパスの入り口の軒下。私は誰に話すでもなく、つぶやいた。

 軒を見上げると、桁下3.8mの文字。

「3.8mってこんなもんなんだ?」


 正門の前を通る車は、水飛沫をあげている。小さなバイクですら、飛沫を上げるほどだ。

 雨は小降りだが、降り続いた事が原因かも知れない。


「葵あおい? 傘ないの?」


 話しかけてきたのは同じ学部の杉山すぎやま 知世ちせ。彼女とは高校からの腐れ縁だ。

「今朝の強風で壊れたのよね…。」

「あはは。それじゃ、駅まで入れてあげるよ。そのかわりさ、帰りに買い出しを手伝ってくれるかな?」


 知世と私の家は母子家庭。私もそうだけど、知世も夕飯の買い出しを大学の帰りにしている。


「OK! 今日の杉山家の夕飯は何?」

「今日はママがパート先からバゲットを貰ってくるから、シチューだよ。」

「おー! オシャンだねぇ。」



 私は駅までの道中、他愛の無い会話の中で、嫌な予感というか、妙な胸騒ぎを感じていた。


 駅前の大通り。

 スクランブル交差点。

 歩行者専用の信号が青になる。

 駅の掲示板は16時24分と表示していた。


 私たちが交差点の中心に来た時、鈍い音が聞こえる。

 何かがぶつかる音?

 ドン! という鈍い音。

 次の瞬間、私の目の前を白い車がミサイルのように横切る!

 そのあとに聞こえる、どさっ! という何かが落ちてきた音。

 音のした方を見ると男性が倒れている。


「キャー!」という悲鳴があちらこちらから聞こえる中、先程の白い車は交差点をすぎたあたりでスピンをした。

 そして今度は私たちをめがて、猛スピードで近づいてくる。



 終わった…。

 私…。

 死ぬんだ…。

 目の前が真っ暗になる…。

 痛い…。

 ゴロゴロと転がっているようだ。


 

「立って! 早く!」


 生きている?

 男性が私に話しかけている。

 目の前が暗くなったのは、服を被されていたからのようだ。

 座り込む私の手を引き上げ、無理やり立たされ、呆然とする私。


「少しだけ我慢して下さいね。」


 私にそう言った男性は、まるで荷物を抱えるように、私を脇に抱え走り出す。

 歩道脇に降ろされると、知世が話かけてきた。


「葵ぃー!」

 知世が私を抱きしめる。

「知世? 何? どうなってんの?」

 

 知世は質問に答えるでもなく、ただただ、私を抱きしめている。



 車のスキール音が鳴り響く、スクランブル交差点。

 白い車が歩行者をめがけて暴れている。

 横たわる人を何度も轢き、まるで地獄絵図だ!


 そんな中、先ほどの男性が、私を覆っていたパーカーを着ながら暴れる車に向かって走っていく。

 その男性は、暴れる車が破壊したガードレールの白いパイプを拾い上げた。


 暴走車は次のターゲットをその男性にしたようだ。

 蛇行しながらも、猛スピードで男性に向かう。

 男性は横っ飛びをしながら、暴走車のタイヤに白いパイプを突き刺し、自らも転がる。だが、男性はすぐに立ち上がり、暴走車を睨みつけた。

 前タイヤにパイプが突き刺さった暴走車はコントロールを無くし、歩道橋の柱に激突した。

 それを見た男性はすぐに暴走車に駆け寄り、妙な手袋をはめ、暴走車のドアを開ける。

 あっという間の出来事だ。

 まるで映画のワンシーンのような出来事に周りの人達は呆気にとられていた。

 携帯で動画を撮っている人もいない。みな、男性に釘付けになっている。


 パトカーが到着した。

 警察官が暴走車に駆け寄る。

 暴走車の運転手を取り押さえた勇敢な男性は、警察官に叫んだ。


「危ない! 車に触るな!」

 暴走車に触れようとした警察官がそれを聞き、躊躇する。


 ああ。そういえば聞いたことがある。

 ハイブリット車の衝突事故の場合、電気系がショートしている時がある。

 その場合、車全体に電流が流れており、ドアに素手で触れると、感電死してしてしまう。

 あの男性は何者なんだろう。


 暴走車の運転手を警察官に引き渡す男性。

 そして男性は、道路に横よこたわる被害者に駆け寄る。

 

 やっと到着する救急車と消防車。

 夕方の渋滞と野次馬で遅れたようだ。


「心肺停止状態! AED(自動体外式除細動器)をお願いします!」

 男性が叫ぶ。


 そんな中、警察官がアスファルトに座り込む私の元に来た。

「大丈夫ですか?」

 私は未だ動揺しているようだ。声を出せずに、警察官の質問に口をパクパクとしているだけ。


「真ん中で倒れているスーツの男性がいる辺りで、あの車に襲われたんです。私は誰かに手を引かれて…。この子はあの男性が助けてくれたんです…。」

 話せずにいる私の代わりに、知世が警察官に説明をした。

「無事で良かったです。お二人ともお身体は大丈夫ですか?」

「わからない…。痛いか痛くないかわからない…。怖いです…。」


 私の語彙力は低下中…。

 今はただ、怖いだけ…。

 家に帰りたい…。

 お母さんと弟に会いたい…。




      🏠




 翌日、私は大学を休んだ。

 昨日の事件がフラッシュバックする。


 PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)。


「こういう事なんだ…。」

「葵、具合はどう?」 

 お母さんが私の部屋にいる。いつからいたのかな?

「うん。多分、大丈夫…。」

「ごはん食べる?」

 どうやら、お母さんは私の事が心配なようだ。

「うん。着替えて下に行くね。」



 リビングに行くと、弟もいた。そしてテレビで昨日の事件のニュースを観ている。

「葵姉あおねえ、よく生きてたな…。奇跡だよ…。」と、あっけらかんとしている。

「朔太!」

 お母さんが弟を怒る。


「大丈夫だよ、お母さん。確かに奇跡だよ。」


 ニュースでは事細かく報道している。が、私を助けてくれた男性の事は全く触れていない。

 誰かが撮影した動画も、男性が映っているであろう部分だけが切り取られている。

 あの人、誰なんだろう…?




      🏫




 2日間の休養を経て、私は大学に行った。


   

「谷内さん、無事で良かった。大丈夫?」

 講義室に入ると同時に、私に集まる人たち。心配をしている口調だが、顔は正直だな。何故、そんなに楽しそうなんだ? アンタ達は人の不幸がそんなに楽しいか?


「うん。まだちょっと怖いっていうか…。あまり思い出したくないの…。」

 

 私の一言で、周りの子達は蜘蛛の子を散らすように去って行った。

 警察の人も何度か家に見えたそうだが、お母さんが「今はまだ…。」と断ってくれたらしい。

 私を助けてくれた男性にもお礼を言いたいし、警察には行かなきゃ。とは思っている。

 あと、知世ちせと連絡が取れないのも気になる。彼女は私を置き去りにしたことを気にしているようだ。

 あの状況では仕方がない事だが、本人にとっては重大な事のようだ。

 一応、私の方から毎日、Skypeをしている。既読にはなるが未だ返事は来ない。これは気長に待つしかないかな…。




 大学の講義が終わり、私はお母さんから渡された、担当の警察官の名刺を持ち、警察署に向かった。


 梅雨時期の曇り空の下、あの交差点を渡るのが怖い私は、ローターリー横の短い横断歩道を渡る。

 その際にも、少しだけ視界に入る、あの時の交差点に恐怖を感じている自分がいた。


 駅構内を横切り、反対側に行くと警察署がある。電話をしてから行った方が良かっただろうか? 少し後悔しつつも、警察署の敷地に入る。

 自動ドアを通過し、受付に向かう。

 吐き気がする…。

 何を聞かれるんだろう…。

 気持ち悪い…。

 何度も轢かれた人たちの事?

 ドサっと! いう音を立てて落ちてきた男性のこと?

 嫌だ!  

 思い出したくない!


 あれ?

 前が見えない…。

 真っ暗だ…。


「お嬢さん、大丈夫?」


 天井が見える。

 片膝をたて、私の頭を両手で抱えた男性。


「気を失ったみたいだけど、起きれるかな?」


 この声…。

 

 あの時の?

 

「大丈夫ですか!?」

 警察官が、わらわらと集まって来た。


「あの…。」

 私は先程の男性を探すが、不思議なことに姿が消えている。


「大丈夫ですか?」

 ネームプレートに森山と書かれた女性が私に話しかけてきた。

「はい。突然、気分が悪くなって。もう平気です。」

「少し休みましょう。立てますか?」

「はい。」


 大丈夫なはずなのに、全身が震えている。


「よいしょ。」

 森山さんが私を立たせてくれた。


「あの私、この人に会いに来ました。」

 そう言って、私はお母さんから預かった名刺を渡す。

「あら? 私が刑事部 捜査第一の森山よ。」

「え? 男性じゃなかったんですか?」

「森山 二矢にや。これでも女をやってます。」

「すみません! そういう意味じゃなくて!」

「あはは。大丈夫よ。所長ですら、私の名前を見て男だと思ったらしいから。」

 

 二矢さんか。可愛い名前だな。


「ところで、あなたの名前を聞いてもいい?」

「申し遅れました。谷内たにうち 葵あおいです。」


 驚いた表情をする森山さん。

 そしてすぐに優しい笑顔になった。


「ありがとう、来てくれたのね? でも、今日は帰りましょう。送っていくわね。」

「いえ! 大丈夫です、一人で帰れます!」

「違うのよ。私がサボりたいの。少しドライブをしましょ?」

 小声で言う森山さん。可愛らしい人だな。




      🚘




 森山さんの車で国道を走る。お母さんも車の免許証はあるが、離婚後は車を運転していない。理由は「車ってガソリンを入れなきゃ走んないんだもん。」だそうだ。イミフだ…。


「あの、森山さん。聞いてもいいですか?」

「いいけど、何かな? 彼氏とか? 私はこんなんだからいないよ?」

「違くて。」

「違うのかい!」


 森山さん、ノリノリですね?

 多分、私に気を遣っているのかな…。


「あはは…。実は…。あの事件の時に私を助けてくれた男性ひとの事なんです。」

「あぁ…。」


 あぁ…って? 


「お礼を言いたくて…。」

 

 森山さんは黙ってしまった。

 そして、言いづらそうに話し始めた。


「2002年 11月26日生まれ、谷山たにやま 葵あおい、19歳。」


 谷山 葵さんって言うんだ。

 私と同い年で名前が一文字違い。しかも生年月日まで同じだなんて…。


「私の弟なの…。」

「えっ?」

 弟って、苗字が…。


「親が離婚してね。葵は…。あっ葵ちゃんじゃなく、弟の事ね。あの子は父方に引き取られたんだけど、その父親が仕事中の事故で亡くなってね。それで祖父の住むフランスに行っていたの。」


 ああ。言われてみると何となく森山さんと似ているような?


「今の住まいは日本なんですか? あっ、ごめんなさい。プライベートな事なのに。」

「別に大丈夫よ。葵は国籍はフランスにしてしまったみたい。」

「そうでしたか…。」

「葵と話してみる?」


 話してみたい。

 お礼を言いたい。


 私は森山さんにうなづいた。




      ◇




 6年後…。


「C'est comme des anges. Tu veux manger ça ?」

(天使のようなお嬢さん。これ買っていかないかい?)

「Non, merci. Je voulais le manger hier.」

(遠慮するわ。昨日だったら欲しかったんだけど。)


 私がこの街に来て1年。

 私、谷内 葵はとある男性と結婚をし、谷山 葵となりました。


「Les Français travaillaient.」

(フランス語が上手になったね。)

「Vraiment ? Merci bien.」

(嬉しいわ。)


 休日の通りを彼と歩く。

 この国の休日は、商店街と言っても閑散としている。営業をしているお店は数件だ。

 

「来週、姉さんと朔太くんが来るって言っていたけど、お母さんは来ないの?」

「お母さんは婦人会が楽しくて仕方がないのよ。それより二矢ちゃん久しぶりだね。総務部に移動になって良かったね。」

「刑事部の時はいつもイライラしていたからね。」


 7月の夜8時少し前。

 未だ夕焼けの残る時間。

 ポツポツと雨が降り出してきた。


「降ってきたね。急ごう葵ちゃん。」

「転んじゃうかも。手を握ってくれる? 葵くん。」


 彼の眩しい瞳が私を見つめた。

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