第2話 Breach of the peace

 藤崎ふじさき奈々美ななみは短期大学を卒業後、都内にある某化粧品会社へ就職した。

 当時、奈々美と共にルームシェアをしていた谷山たにやま亜貴あきは大学の卒業と同時に実家に戻り、地元の長野で就職をした。


 それから13年…。奈々美と亜貴は33歳。


 亜貴は就職後、すぐに結婚をし、今では12歳になる娘がいる。そして都会に憧れる亜貴の娘、亜美あみは奈々美のアパートへ、春休みを利用して訪れた…。




     🚃




 ピロリンピロリン♪


 部屋のインターフォンが鳴る。


 インターフォンの音で目覚めた私。携帯を見ると、3月19日 木曜日 朝 7:42。今月の私のシフトは月曜と木曜が休み。


「ああ…。来たのかな…。」


 インターフォンの画面を観ると、大学生の時の亜貴と見間違えるほどの可愛らしい女の子。でも残念なことに、今の亜貴とは似ても似つかないな。じわる…。

 そんな事を考えながら、私はインターフォンに向かって話しかけた。


「はい。」

 昨夜の飲み会で、酒焼けしたハスキーヴォイスの私。しかも寝起きの低い声。

「おおおお? おはよう御座います奈々美さん! 谷山亜貴の娘、亜美です! 」

 緊張を隠しきれない様子の亜美ちゃん。もしかして、私の声に怖がっている?


「おはよう、どうぞ。」

 そう言って私はオートロックを解錠した。




 ピロリンピロリン♪


 再びインターフォンが鳴る。亜美ちゃんが部屋の前に来たようだ。


 ちなみに私の今の服装。下着にブラウスを着ているだけ。しかもブラウスは半分までボタンが外してあり、ストッキングは左足だけ脱いでいる。昨夜の泥酔具合が伺える。

 私はそんな格好をしている事も忘れ、玄関を開けた…。


「初めまして奈々美さん! 突然すみま…せん…。って! 酒臭っ! 」


 亜美ちゃんはそう言って、ズカズカと部屋に上がり込んできた。そしてリビングの窓を開け、室内を見渡し、脱ぎ捨てられた私の服をかき集める。

 慣れた手つきはお母さんのようだ。年齢は私より21歳も下だが…。


 そして亜美ちゃんは服のタグを見て、何やら振り分けている。そして私の下着やブラウス、靴下やタオルを洗濯機に入れると、私の元へと来た。


「奈々美さん!今着ている服も脱いで下さい!」

 可愛らしい八の字眉毛は、いつの間にか吊り上った眉毛になり、私の服を脱がそうとしている。

 そんな彼女に躊躇ちゅうちょする私。


「もう! 」

 痺れを切らしたように、亜美ちゃんは手際良く私を全裸にした。そして彼女は朝一の可愛らしい表情に戻り、私に言う。

「裸になったのですから、シャワーに行ってくださいね。」


「…はい…。」

 なんだか立場が逆転である。



 私が浴室でシャワーを浴びていると、浴室のドアの近くから亜美ちゃんの声が聞こえた。

「ヤバ! これって勝負系か? 」


 はっ? 勝負系? あぁ下着のことか? どうやら亜美ちゃんは脱衣場にある洗濯機のところにいるらしい。残念ながら私には勝負する相手なんかいないんだなぁ。はっはっはっは…。って情けない…。




 私は入浴タイムが終わり、浴室のドアを開ける。すると何やらいい匂いがする。揚げ物の匂い? 寝起きで揚げ物はキチーな。そんな事を考えながら、ドライアーで髪を乾かした。


 そしてシャワーを浴び、さっぱりとした私をリビングで待っていたのは…。何と言う事でしょう!


 テーブルに並べられた朝食の数々。お洒落なソーサーにはサニーレタスの脇にミニトマト。その両名がメインのスクランブルエッグをヨイショしている。その横には焼いたベーコンを入れたコンソメスープ。茶褐色が食欲をそそりやがる。そして先ほど感じた揚げ物の匂いは、ガーリックトーストだったようだ。ニンニクを揚げていたのか…。そしてそのガーリックトーストには軽くバジルの葉が降りかかり、ニンニクと一緒にナツメグの香りもする。もぅだ!


「私も朝食まだなんです。奈々美さんもまだですよね? 一緒に食べましょ? 」

「う、うん。 ありがとう。」

 あらら? なんだか私って何もできない女的な? こうなったら、朝食後は都内のお洒落なお店に連れ出して、この子に素敵な思い出を作ってあげようではないか! そんな事を思う33歳であった。


「ねぇ奈々美さん。」

「何? 」

「美味しいですか? 」


 しまった! だよな! 何か言わないと…。全く私って…。

「ごめん! いつも部屋で1人だから。自分で何か作るなんてなかったし。その…。ありがとう亜美ちゃん。とっても美味しいよ。」

「良かった。」


 肩をすくめ、ニコッとする仕草は昔の亜貴にそっくりだ。


 この子は知っているのだろうか…。 大学生の時、私はあなたのママと付き合っていたのよ…。


「奈々美さん。」

「何? 」

「お仕事って大変ですか?」

 不安そうな顔をして私に聞く亜美ちゃん。

「大変だけど、楽しいかな。」

「そうですか…。」

 ホッとした顔をしているけど、どうしたのかな?


 それから私たちは亜貴の昔話で盛り上がった。学生時代のこと、結婚当初の事。亜美ちゃんの授業参観で盛大なクシャミをした事。

 朝食が終わり、話は尚も続く。盛り上がる会話とともに掃除も始めた。それは私の服のほとんどを洗濯した為、着る服がないからだ。いわゆる、時間つぶしの掃除である。

 それにドラム式洗濯機は、ただいま乾燥に入ったばかり。残り時間は1時間半だ。

 私は食べ終えた食器を食洗機に入れる。亜美ちゃんは窓を拭いている。


「奈々美さん、窓が汚いです。」

 リビングの窓を拭きながら、亜美ちゃんが私に言った。

「当たり前だ。亜貴がこの部屋を出てから、一度も窓なんて拭いていないからな。」

「そんな…。ダメ女を自慢しないでくださいよ。」

 笑顔で言う亜美ちゃん。そんな彼女を見ると、亜貴とリンクさせてしまう自分にいきどおりを感じる。


「奈々美さん。」

「ん? 」

「もうすぐ乾燥が終わるので、夕飯の買い出しに行きませんか? 」

「君は主婦か! 今日はどこか遊びに連れていってあげるよ。」

「今日はいいですよ。入学式まで奈々美さんの部屋にいるんですから。」

「うーん…。それもそうだね。それじゃ買い出しに行こうか! 」

「うん! 」


 亜美ちゃんって可愛い。私も結婚をして子供がいれば、このくらいの子がいても、おかしく無いんだろうな。





    🚌




 私が住む中野坂上なかのさかうえ。近所には買い出しができるスーパーは無い。私は亜美ちゃんに服を貸して、初台駅へと向かう。そして何故、私が私服を貸したかと言うと、この子。中学の制服で長野から来たのだ。しかもインナーとパジャマ以外は着替えなど無い。

 確かに先日、亜貴からの電話で言われた。

「奈々さぁ。着ない服があったら亜美にあげてよ。奈々と亜美は体型同じなんじゃない?」

 あげるけどさ…。あげるけど、あの言い方、何だか引っかかるんだよね…。


「亜美ちゃん、Suicaにお金は入ってる?」

「はい。大丈夫です。」

 この子嘘をついている…。残金が3ケタだったぞ?

「ふぅん…。ねぇそのパスケース見せて? 可愛いね。」

「そうですか? 」


 そう言って私にパスケースを見せる亜美ちゃん。私は彼女のSuicaをバスの機器に充てた。


 ピッと言う音とともに表示される残高。なんとも言えない表情をする亜美ちゃん。私は何も言わずに彼女のSuicaに五千円チャージした。

 まったく…。残高が162円ってどう言う事だ? 後でチャージするのか? そんなふうにも見えなかったな。これじゃ長野どころか、坂上さかうえにも帰れないじゃないか。それに、そんな困った顔をしないで…。


「あの…。奈々美さん。困ります。」

「あのさ亜美ちゃん。私の所にいるんでしょ? 買い出しとかでバスに乗るでしょ? 交通費くらい出すよ。」

「奈々美さん…。ありがとうございます…。」

「気にしないで。その代わり、美味しいご飯を作ってね。私は作れないから。」

「はい! 」


 良かった。笑顔になった。本当にあの頃の亜貴にそっくり…。でも、またまたダメ女をアピったな…。



 その後、私たちは初台駅前の、オペラシティー内にある成城石井せいじょういしいで買い物を始める。

 カートを押す亜美ちゃん。私はカートでの買い物をしたことがない。そりゃそうだ。1人なので、カートを押すほど買い物などしないのだ。


「ねえ奈々美さん。」

「何? 」

「どうしよう…。食材の値段が高いよ…。小諸こもろよりも全体的に100円位高い…。」

 小声で私に言う亜美ちゃん。


(小諸 = 長野県小諸市の意)


「あはは! そんな訳、無いでしょ! 」

「そんな訳あるんですよ! 」

 相変わらず小声で言う亜美ちゃん。なんなのこの子! もうキュンキュンするんだけど!


「実はね、私は買い物とかしないからわからないのよ。1人だから外食か、お弁当を買うくらいなの。」


 私たちのやり取りを 近くにいた女性が笑顔で見ている。そしてその女性は私たちに話しかけてきた。

「妹さんは上手ね。」


「えへへ、ありがとうございます。行こう、お姉ちゃん!」

 そう言って亜美ちゃんは私に腕を絡ませ、一緒にカートを押すことにした。


「奈々美さんは美人だから、ママと同い年には見えないんですね! なんだか嬉しい! 」


 ちょっと待て! 君のお姉ちゃんなんて恥ずかしすぎだ…。私は33歳だぞ?


「あぁ。奈々美さんが私のお姉ちゃんだったらな…。」


 本人に悪気はないのだろうけど、今の君の発言は恥ずかしすぎだ! 私の顔は、きっと燃え盛る太陽のように真っ赤だろう…。





    🚌




 アパートに到着…。


 夕食が終わり、入浴も済ませた私たちは。就寝の準備を始める。

 何十年ぶりに片付いた私の部屋。昼間に洗濯をしたクッションカバーは太陽の匂いを所狭しと放っている。クッション自体も天日てんぴしをしたかもしれない。

 何年ぶりに動いたであろう食洗機も、本日2回目の作業である。グワングワンとハリキッテ食器を洗い上げている。

 そんな中、私たちはiMacから流れる曲をBGMにし、今度は私の事を話し始めた。私が生まれ育った、世田谷区烏山。地名の由来。中学生から高校に進学する時のちょっとした苦労話。大学を今では珍しい短期大学にした理由。

 そして彼女の母親、亜貴との出会い…。


「あの…。奈々美さん…。」

「何?」

「私。ママと奈々美さんの写真を小さい頃から見ていたんです。」

「そ、そうなんだ…。」

 気まづい…。


「奈々美さんって…。」

「な、何?」


 顔を下に向け、黙る亜美ちゃん。


「えっと…。明日は何時に起きますか?」

「ああ。えっと…。明日は8時かな。」

「わかりました。朝食はパン派ですか?白米派ですか?」

 やだ。なんでそんな笑顔なのよ。

「パンかな?てか、朝ご飯なんて何年も食べてないんだけど…。」

「ダメですよ。私がいる間は作りますからね。さあ、もう寝ましょう!」


 亜美ちゃんは用意しておいたエキストラに潜った。


 電気を消す私。


 私もベッドに入る。


「奈々美さん。」

「何? 」

「一緒に寝てもいいですか? 」

「はっ!? 」

「奈々美さんと一緒に寝てもいいですか? 」

「べ、別にいいけど…。」


 私の返答と同時に亜美ちゃんは飛び起きて、私のベッドに入ってきた。そして私の腕にしがみつき言う。


「奈々美さん大好き!おやすみなさい。」



 ヤッバ…。こりゃ興奮して寝れねぇわ…。

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