ブラッドオレンジ

七夕ねむり

第1話

はい。はい。ええ、はい。一時間前には着くと思います。はい。本当に。ええ、では失礼します。


淡々と答える妻の声はいつもよりきりりと引き締まって聞こえた。

「実家?帰るの?」

受話器を置いた彼女の後ろ姿に問うと、少し間が空いて、

「明日」

と返ってくる。

「また急な話だね。何かあった?」

「お葬式。古い知り合いの」

今度は素早く答えて僕の方を振り向いた。

「ごはん準備できないかも」

「何言ってるの。そんなのどうとでもなるよ。それより君は大丈夫かい?」

「大丈夫。用意、してくるね」

短く言うと、彼女は足早にリビングを出て行った。美しい切れ長の瞳が、僅かに揺れて横切っていったことに僕は知らない振りをする。新聞を捲り、コーヒーを啜る。礼服クリーニングしてたかなと呟いたつもりの彼女の声が頭にこだました。

ああ、きっと彼女のことに違いない。


僕の知る彼女はいつもセーラー服を身に付けて、困ったような顔で笑おうとしていた。二人で並んでいるくせに、その隣で妻は同じセーラー服を纏ってそっぽ向いている。二人の表情はとてもじゃないけれど良いものとは言えない。僕が初めてその写真を見た時も、彼女は写真の少女を古い知り合いだと言った。妻の友人に見かけない顔だったので、他に写真はと問うた。彼女の写真はそれしかないと妻は言って、アルバムをぱたんと閉じた。真新しい背表紙が幾つも並ぶ棚に一冊だけ日焼けしたそれは浮いて見えたものだ。

今では馴染んでしまった背表紙をするりと引き抜く。一際痛んでいる一頁を開くと、あの日の彼女が困ったような笑顔でこちらを見つめていた。困惑した笑顔の少女、不機嫌にそっぽ向いた少女。二人は全く違うようでいて、同じ感情を浮かべていた。

「馬鹿だなあ」

僕の独り言は泣きそうな顔をした少女達の上に落ちる。もう戻れない、十数年前の鮮やかな少女達に。

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ブラッドオレンジ 七夕ねむり @yuki_kotatu1

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