27

 ちょっと時間をかけ過ぎたみたいで、学校に着いたのはホームルームが終わるころだった。ドアをあけて中に入ると、クラスメイトが茶化すように笑った。担任の山野先生が、呆れた表情で仕方なさそうに笑って言う。

「もう、あなた、またなの?」

「ちょっと、雨が降ってたんで」

「天気予報を見なさい。もう、何回目よ」

 僕は苦笑いを浮かべながら、自分の席に着いた。雨の日の、いつものやり取り。僕はこの先生が好きだ。怒らないからだとか、そんな理由じゃない。山野先生、彼女は、いわゆる癒し系なんだと思う。なんとなく話してるだけで、ほんわかとした気持ちになって元気になれる。

 この日、僕は夏休みが終ってから初めて、ちょっといい気分で一日の学校生活を迎えられた。だけど、いい一日の始まりっていうのは、その一日のハードルを上げてしまう。ほんの些細な出来事が、盛り上がっていた僕の心をめちゃくちゃに踏みにじって荒らしていく。凹む。文字通り。


   *


「お前、いい加減にしろよ」

 昼休み。クルミパンを食べていた僕に、突っかかるように足立が言った。ゆっくりと、それを飲み込んで、とぼけてみる。

「なんのこと?」

 安い挑発だなと思ったけれど、それに乗ってくれるこいつも、安っぽい男だと思う。苛立たしそうに舌打ちをして、睨みつけてきた。

「お前、今日も遅刻してきただろう?」

「うん、これ買ってきたからね」

 机の上にあるパン屋のビニール袋を持ち上げて言うと、足立の手がそれを横からはらった。手に、ビニールがきれいに一回転して巻きつく。

「どうでもいいんだよ、そんなの。俺の言いたいことわかるだろ? もうさ、三年の秋なワケ。お前はどうか知んないけど、俺は受験勉強をしなきゃいけないの。他のみんなだってそうだよ。だから、今までみたいに、朝お前が遅刻してくると、迷惑なんだよ、正直」

 何人かのクラスメイトが、僕たちのやり取りに気づいて、耳を傾けているのがわかる。

「なんで? 俺、お前に何も迷惑かけてないよ?」

 だけど、僕はまたとぼけてみせた。足立の頭に血が上るのが、グラフになって見えるようだった。ほら今、沸点を超えた。僕の胸倉をつかんで、いつもより低い声で僕を刺す。

「朝、自習の時間に途中から教室に入って来られると、集中力切れるだろ。そのくらい理解しろよ。ああ? 他のみんなも言わないだけでそう思ってるんだよ。お前みたいなのがいると、やる気が削がれる。いっそもう学校に来るな。次、遅刻したら、先生に言うからな」

 なんでみんなの気持ちがわかるのか。なんでそんなことくらいで集中が切れるのか。なんで僕が学校に来るだけでやる気がなくなるのか。そしてなにより、高校生にもなって、先生に言うから、なんてのはあまりに幼すぎるんじゃないか。

 そんなことが頭の中をぐちゃぐちゃにかき回して、でも、このクラスメイトの気を静めるためには、どれも口にしてはいけないんだと思って、全部飲み込んで、胃の一番底の部分に転がして、代わりに、「そっか、悪かった。申し訳ない」と、やる気なく吐き出した。

「ホント、いい加減にしろよ」

 最後にもう一度、舌打ちをしてから、新宅は自分の席に戻っていった。僕は紙パックのコーヒー牛乳を一口飲んで、今日も学校に来てしまったことを後悔した。


   *


 何となく居心地が悪くて、紛らわすように携帯の電源を入れると、梶原からメールが来ていた。

「明日姉ちゃん帰って来るんだけど、うちに遊びに来るか?」

 本文を読んですぐ、思わずニヤけてしまうのがわかった。さっきのことは、すっかり頭から追いやった。姉ちゃんが帰ってくる。

 僕は一言、「明日の昼くらいに行くよ」とメールを返して、いそいそとiPodを取り出し、イヤホンを耳にはめた。音楽を、聴かなければ。

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