本棚(秘密 1700字)


 父さんは常に厭世的えんせいてきな皺を顔に浮かべ、くたびれたような感じだった。


 苦労をしてきたんだろうなあ。

 そう思わせるには充分な雰囲気をまとっていて、同級生から、「お前の父さんって、なんか老けてるよな」と勝手気ままなことを言われたこともある。


 まあ、その通りだとは思う。異論の余地はないだろう。

 けど、そんな父さんが嫌いじゃなかった。しおれた感じがモラトリアムな時分には妙に達観しているようにも映って、他の人たちは誰一人として気づいていないその先の景色を、ただ一人見据えているような、そんな凄さがあった。


 実際、父さんの身体の線は細く、自分でも一発ケーオーできてしまうな、なんて不謹慎なことを考えたこともあったけれど、その眼光は鋭かった。

 ぎらぎらと野心に燃えるような感じではなく、屈してなるものかと知性を宿らせているような、そんな感じだ。

 決して大きいとは言えない瞳には、不思議な力強さがあった気がする。

 

 そんな父さんであるが、実のところ、僕は彼のことをまったくと言っていいほど知らない。

 

 のちに回顧してさすがに酷いとは思ったものの、父さんの仕事すら知らなかった。これは、僕が他人にあまり関心を寄せないたちであることとか、父さんが驚嘆するほど寡黙なこととかが原因だろうと思う。


 喋らないという点に関しては僕も大概であるけれど、父さんにはいつになってもかなわないに違いない。

 母さんはそんな父さんを度々非難し、姉さんを相手にぐちぐち文句を言っていたし。


 でも、だとすればどのようにして結婚に至ったのか。

 父さんに恋愛経験があるという事実が、僕にとって最大の謎となっている。


 ここ最近の習慣にしたがって、一階のダイニングをすり抜け、玄関わきの扉をあけた。


 お世辞にも立派と評するにははばかられるせせこましい父さんの書斎には、大量の本がある。ほとんど本しかない、と言い換えてもいい。

 上手いこと限りある空間を使い、几帳面にずらりと本が並ぶ光景は、圧巻であった。


 いわゆる文学小説と呼ばれるものを大変好んでいたらしく、九割がたはそれになる。そうして、限りなくゼロに近い「その他」の分類に入るものとして、建築関係の本があった。

 棚の隅の方に肩身を狭くして数冊置かれているのみであったが、その異質さから、多分、父さんは建築関係の仕事をしているのだろうなと推測していた。


 ただ、その予想が的外れであることを、葬式の段になって初めて知った。


 同年代の父親と比べるとそれなりに年をとっている方ではあったけど、死ぬには少し、早いよなと思った。


 ま、それはそれとして、そのとき葬列に並んだ一人の壮年の男性が、出版社の誰それです、と名乗った。

 その人は編集者で、父さんと仕事をしていたらしい。

 

 小説家だったのか。

 父さんの仕事が判明したとき、素直に驚いた。


 前々からよく本を読む人であるということは認識していた。それがビジネス書なんかの類ではないことも。

 しかしそれでも、父さんが小説家であったというのは、かなり意外なことに思えた。

 

 心の内にある世界を言葉にして表現する。

 文字をつづる父さんを思い浮かべて、んな馬鹿な、と思った。


 が、ジョークでもなんでもなく、やはり、事実であるらしい。


 ばたばたとした騒がしさが去ってひとごこちついたころ、さすがに気になって、母さんから教えてもらったペンネームで検索してみた。


 すると、けっこうヒットした。

 一番上に表示されたウィキペディアのページをひらく。


 小説だけで食っていくなんて大変だ、ということを耳にしたことがある。

 特に裕福だったわけではないけれど、これまで困窮を覚えたことはない。

 となれば、それは当たり前のことなのかもしれない。小説で身を立て、家族まで養っていたのだから。


 だけど、父さんのことがウィキペディアに載っているのだということを考えると、なんだかおかしかった。


 そこにある情報を拾ってみると、ベストセラーを連発するような売れっ子、というのではないけれど、新作を書けば着実に一定の売り上げを出す、そんな小説家だったのだとか。


 そんなところは、らしいな、と感じる。


 すでにぎゅうぎゅうになっている本棚になんとか隙間をつくりだし、さっき読み終えたばかりの文庫本を差し入れる。

 

 ただまあ、父さんが恋愛小説を書いていたということだけは、いまだに嘘だと思っている。


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物好き短編集 方波見 @katanami

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