第69界 世界の樹
「ん………」
目を覚ます。
「ここは……」
辺りを見回すと、そこは染み一つない純白の空間だった。
そもそも俺は誰で、どうしてここにいるのだろうか。
「目が覚めたかい」
不意に声をかけられる。振り向くと、空白に腰掛ける黒髪の麗人、全身黒いスーツ姿の女性が居た。
「あんたは……誰だ?」
「今は思い出さなくてもいいさ。それよりも、君までここに来るとはね。まったく…つくづく悪運の強いというべきかな」
「ここはどこなんだ」
「そうだねえ。言うなれば、あの世とこの世の狭間に横たわる無間の一コマだね。時間も空間も存在しない、ただあるのは己のみだ」
言っていることがよくわからない。とりあえず普通の場所じゃないのは確かなようだ。
「……どうやって出るんだ?」
「おやおや、驚いたね。何のために出るのかな。君は役目を終えたからこそ、ここに来たというのに」
「役目なんて知らないけど…。ただ、行かなくちゃいけない気がするんだ。俺を待ってる誰かのために」
黒髪の麗人がスッと目を細めた。いたく驚いている様子だ。変なことを言っただろうか。
「君は本当に度し難い………! なぜ、そこまで人のために動こうとする。君の得にはならないことだ。このまま眠っても誰も君を悼みこそすれ、責めないだろう。世界が終わるのは君のせいじゃあない。それなのになぜだい!」
「なぜって言われても……」
目の前の女性がなぜこんなにも怒っているのか、とても辛そうな顔で自分を糾弾しているのかはわからない。だが、素直に心から出てきた答えを言うべきだと感じた。
「そんなの決まってる。俺が諦めたくないからだ」
「諦めたく、ない、だと」
「ああ。友達も世界も、俺自身も諦めたくない。なんの力や才能がなくたって、先に進むことを諦めたくないんだ。だって歩き続ければいつか闇を抜け出すことだってあるって、そう教えてくれたのはあんただろ、“師匠”」
「君…まさか記憶が……」
口にした途端に脳内で色んな思い出が蘇り始めた。
燃え盛る街、闇に沈む空、逃げ惑う人々。
もう一歩も歩けないと膝をついたあの日、俺の折れかけた心を救ってくれたのは師匠だった。以来十年間師匠であり母であり続けてくれた彼女に、ーーー石動琉香を安心させようと、俺は微笑む。
「こんな程度じゃ俺は諦めないよ。このたった一つの信じられる思い出と、数多くの繋いできた想いがある限り、俺は俺だ!!」
純白がひび割れ、砕ける。
始まりも終わりもない空間に生まれた大穴が眩いばかりの光を放ちながら、俺と師匠を包み込んだ。
◯●◯●◯●◯
アメリカ、カリフォルニア海岸線にて。
米軍、正体不明の異界勢力と武力衝突。結果全滅。
イギリス、ロンドンブリッジにて。
英国対異能連隊、暴走する巨人と戦闘。これを撃破するも、直後複数個体からの襲撃を受け全滅。
中国、国境線にて。
小鬼の軍団が出現。軍が出動し交戦。現在、拮抗状態にある。また《四凶》と呼称される怪物の目撃情報も。
オーストラリア、エアーズロック周辺。
龍種と思われる巨大生命体に占拠され、今もなお国による奪還作戦が行われている。
それらの世界中の異変と争いを全て眺めながら、満足げに哄笑を漏らす一柱の神がいた。
神が座すのは、異世界人の子どもが暮らし通う学園〈ユニベルシア〉があったはずの座標を覆い隠す暗黒のドーム、その中央部から天に向かってそびえ立つ巨大な樹の最頂部だ。
時折生きているかのように脈動する樹の枝々には、色とりどりに明滅する小円環が数えること計九つ。それぞれ一つずつが、『門』と繋がっている数多の平行銀河を内包し閉じ込めており、芽吹く瞬間を今か今かとと待ち構えていた。
「“モウ間もナくだ…。ヨウヤク、悲願ガ叶う!”」
魔神と呼ばれるその存在は、横に在る巨大な円環にひたりと手を触れると装置が鳴動し、リングの内側に九枚のステンドグラスが浮かび上がり、樹の枝にある小円環の輝きと連動し始めた。
誰が見てもその行為の意味はわからないだろう。だがそれがロクでもない内容で、世界を決定的に歪めてしまうものだと理解した。
だから、『彼女』は迷わずに一歩踏み出した。
「その手を止めな。世界を思い通りにはさせたりしないよ」
「“なゼだ。ナぜ動ケル。キサマ…………!”」
世界を操る力に王手を掛けた魔神の前に立ち塞がったのはハルバードを肩に担ぐ少女、カナミだった。ボロボロになりながらも毅然とした態度を崩さずにカナミは言い放つ。
「さあて、んなこたぁどうでもいいさね。ただみんなを守るために、ウチはアンタをぶっ飛ばす!」
暗黒に沈みゆく世界の中心で、カナミの背中より青く透き通る水流の大翼が凛とはためいた。
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