第1部 最終章 平行銀河の風紀委員
第52界 天使は堕ちる
地球時刻で午前二時頃。国際同盟連合、略すこと国連本部ビル上空。異世界と呼ばれる別次元の宇宙と繋がってしまった日以来、世界中で起きる次元戦争の後始末を行いつつ、“次” に備えているこの世界規模の組織の上空。
世界中の異常事態を監視する巨大衛星が一つの電波信号を受けて、急起動した。察知したのは、次元の層を揺らすほどのとてつもないエネルギーの波。かつての『ワールドゲート事変』と同等か、それ以上の緊急事態が起こりつつあった。
「パターンオメガ…!? 大規模次元震来ます!!」
「総員、各国首脳部にエマージェンシーを伝達! 最大レベルの警戒をっ」
「今更警戒なんてしても遅いよ、人間たち」
「「「っっっ!?」」」
管制室に走る驚きと緊張を意にも介さず、その麗人はふわりと降り立った。物音一つ立てずに、まるで映画の一コマのように。
誰かが銃を抜こうとした。誰かが非常警戒ベルを鳴らそうとした。誰かがその侵入者に襲いかかった。
だが、その全てが間に合わなかった。
瞬間、地球上から本部ビルは跡形もなく消滅していた。建物だけではない。その中で働いていた一般官僚、及び上層部一同。全ての人間が塵も残さず消滅した。
爆心地となった元管制室で、綺麗に消し飛んだ周囲の景色を前にしてもなんの感慨も湧いていない様子の長身の麗人、―――琉香はパンッと手を一つ打ち鳴らすと、次の仕事へ想いを馳せる。やることは山積みなのだ。
「さぁて、まずはこれで一つ」
「〈キマリアス〉」
「おや〈アモン〉。どうだい? そちらの首尾は」
琉香の後ろから、〈ワールダー〉の一人である騎士が姿を見せる。
「ああ。国連軍の掌握は完了。対次元兵装の確保と特殊技研も制圧。我らの計画に一片の狂いなし。いつでも打って出れるぞ」
我らの計画、ね…。
「結構じゃないか。それでは、始めるにあたって…手始めに、邪魔者をもう一つ消さないとね」
「それは…っ!、?」
振り向くこともせずに左掌を後ろに向けて力を行使する。無数の砂塵が鋭い棘の嵐となって荒れ狂い、背後に立つ〈アモン〉の鎧を着込んだ重い身体を殴り飛ばした。
「かはっ…。きゅ、急に何をする…!」
「流石に君は頑丈だねぇ。けど、そろそろ消えてくれないと困るのさ。遊びの時間は終わりにしよう」
「血迷ったか! 〈天機・アモン〉、貫け!」
勢いよく繰り出されたナイトランスを、琉香は左腰から抜いた黒剣で迎え撃つ。
ギャリッと鈍い火花を散らして両者の距離が狭まり、間合いに入った瞬間に槍の穂先から無数の獣の幻影が解き放たれる。虚をつかれた形になった琉香の四肢に牙と爪が突き刺さる。
「喰らいつくせッ!」
「本当に強くなったよねぇ君は。けれど、その程度しか力を使いこなせないのなら、僕には…この身には届かないと知るがいい」
ガラスが割れるような音とともに幻影が霧散する。慌てて距離を取り直そうとする〈アモン〉に向かい、琉香はただ徒手を突き出す。
「返してもらうよ。それは元々僕の力なんだから」
「ゔっ…、な、なにを、やめ、ろぉおおおおおおおおおおお!!」
〈アモン〉の胸のあたりから光の球体が飛び出す。その球体を掴むと、琉香は何気ない動作で口に運び、一息に呑み込んだ。権能が消滅したことで騎士鎧が消滅した後には、片目に刀疵を負った黒髪の女性が倒れていた。
「ふぅ。ご馳走様」
「なんなんだ貴様のその力…。〈キマリアス〉としての異能か、それとも
「馬鹿なことを言うなよ。そもそも、この力は元はと言えば、僕から分離した能力なのだぜ」
「はぁ…!?」
驚きを隠せず狼狽する〈アモン〉に呆れた視線を投げかけつつも、琉香はもはや興味なしといった態度で剣を鞘に収め、そのまま立ち去ろうとする。
「待て…! 力を返せ、それは革命に必要な物だ!」
「無理だね。君の役目はもう終わった。ただの人間として座して変革を待ちたまえよ」
「できないな…。この手で異世界人共を駆逐し、地球の安寧を取り戻す…。そう家族に誓ったのだ! ゆえに、たとえこの身が果て尽きようとも!!」
耳障りな音が漏れ聞こえる。世界が軋む音。琉香の神経を苛立たせるその音は、〈アモン〉が取り出した小型の機械、鈍い灰色の鉄箱から発せられている。
「…なんだい、それは?」
「異界存在に対抗する為に造られた武装。古来より人の身を超える存在に立ち向かってきた叡智の結晶だ。ここで貴様を討つ為、振るわせてもらおう…!」
駆動音が一際強く高鳴り、箱が内側から光を放つ。続けて変形を始めてバラけた金属片が〈アモン〉の全身に装着され、防具となり武具となる。人類が編み出した対異能兵装。
「〈
《system activated... fail saver adjust complete.》
ノイズのかかった男性風の電子音声。空間がひび割れて鋼鉄の鎧となる。
「はぁ………。人の業とはなんとも度し難い…。やはり君たちにこの世界は任せられない。きっと限度を越える、否既にラインは超えてしまった」
「黙れ、裏切り者」
「寄り道だが仕方がない、その力もここで奪っておくよ人間」
「覚えておけ〈キマリアス〉。私の名は
「ならば君も覚えておきたまえ。僕は〈キマリアス〉であり、石動琉香であり、そしてそのどれでもない。僕は旧き黑。この世で最後の神だ!」
突撃する
「交わらず、遠ざけろ。砕け、〈亞門〉!!」
初撃は透が。振りかぶられた手甲のパーティングラインが鈍い灰色の光を発し、拳を覆う斥力の場を生み出した。反発する力、世界が世界を拒絶する盾の打撃が、強力な技となって繰り出される。
「排斥の力か。だが効かないね!」
琉香の二振りの刃がそれを阻む。白と黒の境界が灰色を上書き、切り裂いた。弾かれて体勢を崩したところに、すかさず追撃。透の左腕から展開した盾がそれをなんとか防ぎ、双方の距離が開く。この攻防を幾度か繰り返した末に。
〈亞門〉の右腕装甲が変形して小型機関砲が現れる。斥力が再び動き出し、砲弾として練られたその力を射出。大気を蹴散らして翔ける砲弾を、しかし琉香は涼しい顔で切り裂いてのけた。
「そんな程度では、やはり届かないよ」
「甘いのはそちらだ。貴様の戦闘パターンは今までのデータで理解している。舐めているのだろう、私を」
「!」
琉香が何かを察して飛びのこうとするより早く、斬り捨てた斥力の残滓が膨れ上がる。圧縮されたエネルギーのタガが外れて左右から琉香を押しつぶした。刀と剣で持ち堪えようとするなら、必然的に攻撃も防御もここで止まる。
「ち、厄介な悪知恵が回る…!」
「打ち抜けよ、"
光の粒が収束して透の右腕を包み込み、長大な騎士槍が顕現する。全体重を載せた一突きは確かに琉香の心ノ臓を捉えて。
「いやはや。少し侮っていたかな?」
「がっ…は………」
透の背を貫通した傷から血泉が噴き出す。動力を破壊された〈亞門〉の顕現が解け、元の鉄箱に戻って地に転がった。
機械的なカウンター、琉香の瞳が放った瞬き程度の光が透を突き刺していた。
「あと一歩。たった一歩だが、絶大な一歩。僅かにそして遥かに及ばなかった。だが、君はよくやったよ詩詩葉透」
「化け物、め………」
力を失い倒れ伏した仲間だった者を見下ろし、琉香は自身の胸に突き刺さった光刃を握り砕いた。力の一つにヒビが入ったのを感じる。
「ふむ…、やられた。これはしばらく回復に努めないといけないかなぁ?」
壊れて動かなくなったらしい鉄箱、〈儀典聖剣〉を何となしに拾い上げて懐にしまう。解析すれば自身の "軍勢" に転用できるかもしれないと目論みながら、さてと空を見上げる。
「僕の願いが叶うまで、あともう少しだ。誰にも邪魔はさせない…。何を犠牲にしたってね」
瞳に仄暗い決意を灯して、琉香は何処かに転移した。あとには破壊の痕跡だけが静かに残るのみだった。
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