第45界 廻り、外れ始める歯車

 深き奈落の底。境界洞窟の最深部。自分たちが普段立っている地面の下にあったとは到底思えない、広大な異空間の中心部。


「いてて…」

「大丈夫ですか新辰さ、ひゃん!?」

「え、ルゥか? 暗くてよく見えないんだけど…」

「ひゃっ、ぁ、あ、新辰さん! ちょっと動かずじっとしてください!?」


 暗くてよくわからないが、どうもルゥが近くにいるらしい…。


 状況を確認するためにとりあえず持ってきていたランプに灯りをつけようと、手前の闇を無造作にまさぐる。


「ひゃううう」

「ちょ、変な声だすなよルゥ!?」

「いつまでヤってるじゃんね、二人ともっ」


 闇が晴れると、魔術で光を指先に灯らせたトリリアが呆れた顔でこちらを見下ろしていた。急に明るくなったことで目をしばたかせながら、自分の手元を見ると、右手が綺麗にルゥの制服の内側にがっつりと潜り込んでいた。奇跡的すぎる。


「うわ、ご、ごめんルゥ!?!?」

「い、いえ別に。新辰さんなら嫌ではないからいいですけど…」


 赤くなった顔を隠すようにそっぽを向くルゥ。く、気まずい。


「そ、そうだ。あの天使は?」

「あー。アイツならそこでノびてるじゃんね」


 トリリアが指差した方には、床の上で気絶している性別不明の子どもがいた。傍に落ちてるキセルから察するに、変身状態が解けた〈パイモン〉らしい。なんとか突破できたようだが、この子は一体何が目的だったのか。


「そういえば、ここって…」


 辺りを見回すと、そこは荘厳の一言に尽きる大広間だった。壁面を覆うきらびやかなステンドグラスに、厳しい造りの石柱。そして崩落した瓦礫の山の中にあって異常な存在感を放つ物体があった。


 巨大な台座に収まった円環。円周の枠部に存在する数えて十個の窪みは、何かをはめ込むための物だとわかる。素材も用途も不明なオブジェクトだが、確かな存在感を持ってそこに鎮座していた。


「なんなんだ?」

「まさかじゃんね。こことんでもない魔力密度じゃん……。洞窟内とも比較にならんし、神代レベルっつーか…」

「とうとう、ここに辿り着いてしまったわけか。馬鹿弟子くん」

「!!」


 嫌というほど聴き慣れた声。振り返った先、円環の陰から現れたのは、両腰に帯刀している細身の麗人。石動琉香師匠


「なんで師匠が学園の地下なんかに…」

「気をつけてください新辰さん。彼女はなにをしてくるかわかりませんから」

「おやおや。随分と嫌われたものだ。僕はただ、を正したいだけなんだけどね」

「間違ってるのはあんただろ、師匠。どれだけの人を巻き込んで好き勝手やってると思ってるんだ!」


 自分でも驚くくらい、声に怒りが滲む。だが、師匠は意にも介さず、ゆっくりと腰から剣と刀を抜いた。


「関係ないね。為すべきことを為すだけさ。この遺跡はそのための場所なのだから」

「説明もなしに、身勝手だって言ってるんだよ!」


 白剣ウィアルクスを握りしめて、思わず飛び出す。いつもと違って冷静に能力を使うことができない。


 一真の精神状態を映すように、色とりどりの光が明滅し、漏れ出した力のカケラが火花を散らす。


「残念だが。今はキミの相手をしている場合じゃあ、ないんだよね」

「っ!」


 倒れて気絶していたはずの〈パイモン〉が再び起き上がり、割り込んできた。活力を取り戻した粘膜体に防がれて大きく弾かれる。


「新辰さんっ。この…」

「なにする気か知らんけど、どいてもらうじゃんね!」

「二人とも気をつけろよ!」


 三人ともが次の動きを警戒していた。油断なく攻撃か防御に転じようとしていたはずだった。けれど。


 ―――― ここで俺の記憶はプツリと幕を下ろした。


 ◯●◯●◯●◯



 ………時の流れが止まっていた。


 今にも琉香に向かって攻撃を仕掛けようとする一真、トリリア、ルゥの三人は、しかし一寸も動く気配なくその場で固まっていた。


 何かをされたわけではない。かといって、誰かの力が及んでいないかといえば、そうでもなかった。


「やれやれ…。地球人、そして異世界の民よ。ここから先は修復が効かないんだ。悪いけれど、


 普段から武器として振り回している大太刀を足元に突き刺しながら、コスモスはそううそぶく。時に刻まれた記録を操作することができる。それこそが彼あるいは彼女の “権能”。ゆえに今回もつつがなく予定されているルートへの変更を


「させるわけないよね、今回はボクがいるのにさぁ」

「!」


 コスモスの意識下に滑り込んでくる影。全てが静止した空間に火花が散り咲く。


「馬鹿な。貴様、地球人の身で〈停結刻録アウトクロック〉の中を動けるだと…?」

「地球人、か。キミまでそういう風に騙されてくれるのかい」

「なんだと…? いや待て、貴様の記録輪…。だがそんなことあり得るはずが…」


 鍔迫り合いを解き、琉香との距離を置くコスモス。余裕の表情を浮かべながら、琉香は抜き放った白剣と黒刀をゆったりと対角線上に構えた。まるで時を刻む針のように。


「視えたかな? お察しの通り、ボクもキミたちのご同類さ」

「その貴様がなぜ〈天使〉の力など振るっている。それは何に由来する力なんだ」

「……。かつて異世界に繋がる扉を開いた偉大なる賢者がいた。賢者は十の円環を地球に生み出し、異なる次元に住まう存在といくつかの契約を結んだ。それは、力を使役することを許す代わりにこの星にまつわるある物を譲渡せよという、一つの盟約」


 二振りの刃が円環の中央、大きく空いた虚に吸い込まれ、嵌め込まれる。それに合わせて、なにかの装置が作動し始める大仰な音がした。


「盟約、だと…?」

「それによって力を引き出すのが我ら〈天使〉。そしてその代償こそがキミとキミの姉が解こうとしている呪いの正体。世界がここまで大きく間違えてしまった元凶だよ」

「そうか…。貴様の正体などもはやどうでもいいが、ここで消しておかねばならないことだけはわかったよッ!!」


 彼我の距離三十メートルほどを一跳びで越えて、コスモスの拳が琉香の端正な顔に突き刺さった。常人ならダメージで大きくのけぞる様な衝撃を伴って。


「……」

「それだけかい?」


 にもかかわらず、細身の麗人は身じろぎもせずに冷ややかな目を向ける。一方、敵対する彼女に直に触れたコスモスは、ここにきてようやく彼女が内包している異常さ、その正体のようなものをはっきりと知覚した。


「貴様、最も古きモノの…!」

「はいそこまで。知りすぎだよ」


 無慈悲に振り下ろされる手刀。コスモスの目から光が失われるのと、円環に光が灯るのはほぼ同じタイミングのことだった。


 円環の枠組み、十の窪みが明滅し、台座ごと不気味な蠕動が空間全体に波紋のように拡がっていく。そしてどこからともなく機械音声が鳴り出す。


《awaken... awaken. all system is activated. This is the gate connecting all imagine. Now, ――― go your way》


 まるで背中を後押ししてくるような円環の電子音に返事を返しながら、麗人は冷たく狂った瞳を天に向けた。


「…言われなくとも。だって、ボクにはもうこれしかないのだからね」




 この時、この場所での出来事をもって、世界のルートは誰にもコントロール不可能な局面に進み始めてしまった。異世界人エイリアスにも、天使ワールダーにすらもはや手を出すことのできない混沌の最終章しゅうまつへと。

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