第42界 その想い、燃ゆる灯のように

「憂鬱ですわ…」


 精霊族アストラリアス専用寮の真横、人気のない静かなテラスでユイは物思いにふけっていた。ここ最近ずっと彼女を悩ませている、ある事案についてだ。


「どうして……どうして、カズマさんは何もアプローチしてこないんですのよおぉおおおおおおおお!!」

「騒がしいですよ、主」

「い、いましたのサラ!?」

「もちろんです主。私の使命は、貴女の護衛ですから」


 跳ねた心臓を抑えるように胸に手を当て、ユイは悪びれる様子もない侍女に非難の目を向ける。


 彼女はサラ。精霊たちの母たる女王が企みの一件の後、姉がつけた護衛の侍女である。特別な力を持った精霊族だそうで、外界からの干渉を防いでくれているらしい。過保護な姉には悩まされがちだが、こればかりは感謝せざるをえないだろう。


「回りくどいことをせずに早くいいじゃないですか」

「そのようなはしたない事できるわけないですわ! それに、カズマさんは…。あの人は、きっとそのようなことよりも全てを救って世界を平和にするという、彼の望みを果たしたいはずですし…」

「世界平和? まったくそれは、どこの世界でも奇跡のように難しいことでしょうに」


 サラの言う通りだ。この地球だろうと他の世界だろうと、争いがない平和な状態なんて達成したとしても長くは続かない。目に映るすべてを救うことなど、まともな人間にはできない。だから、カズマの願いはきっと夢物語のようなものだ。それはわかっている。


 だけれど。


「夢物語でも結構ではないですの」


 肝心なのは諦めないこと。それも彼が口癖のように言っている言葉だ。結果がどうあれ前に進むための原動力、魂の輝きをカズマは人一倍強く持っているとユイは確信している。そして、その想いは必ず奇跡を呼び起こしてくれるとも。


「はぁ…、物凄い入れ込みようですね主。ぞっこんではないですか。早く告白することをお勧めいたしますよ」

「ぞっこんとか言うなですわ!? だ、だいたい、既に面と向かって好意を伝えたも同然なのに、カズマさんからアプローチがないというのは、ごにょごにょ…」

「そんな奥手では、他の女性に取られてしまいますよ」

「ほ、他の女!?」


 脳裏をよぎるのは兎娘や狼娘、それに機人や竜人、エトセトラエトセトラ…。


「ぐぬぬぬぬ…。こうしてはいられませんわ! 一刻も早く、カズマさんにわたくしの魅力を思い知らせなければ!」

「ええ、ええ。その意気ですよ主。頑張ってくださいね」


 やる気のない侍女サラの応援を背に受けつつ、ユイはテラスを後にしてカズマを探しに飛び出すのだった。


「とは言ったものの、今どこにいるのかしら彼」


 昨日生徒会長に呼び出されていたようだが、それ以降会えていない。また危険な話に巻き込まれていないといいが。だいたい、自分をほったらかしにするとはどういう了見だろう。どこかに行くなら話ぐらいしておいてくれても…。


「いいえ、いけませんわ。別にわたくしは彼にとって特別な存在というわけじゃないのですから…。ま、まあ、今のところはですけれど…!」


 少し気恥しい妄想に照れながら校舎の中を歩いていると、不意に生徒の気配がまったくない場所に出た。


 在り得ない。


 ここが無数の異世界人エイリアスが通っている学園という場である以上、生徒がただの一人もいないエリアが存在することは稀だ。


「おや。誰かをお探しかしら? 精霊族のお嬢さま」


 慌てて振り返る。気楽な感じなのに、背筋が凍るような声音。


「匂館会長ではないですの。そちらこそ、こんなところで何をしていますの? こんな誰もいないところで」

「ふふふ、待ち人がいるのよ」

「へえ、そうですの」


 様子がおかしい。普段から掴みどころのない人間だが、今の生徒会長はこの世のものではない雰囲気を放っている。明らかな異物感。


 知らず知らず、ユイは愛銃 《阿吽》を会長に向けていた。なんだかよくわからないが、危険だと感じたからだ。


「物騒ね。どういうつもり?」

「貴女…、何か隠していますわよね。カズマさんはどこにいますの?」

「さあて、どうでしょうね。彼は “鍵” なのだから。一刻も早く『門』に到達してもらわなくては」


 どういう意味だろう。鍵…? 門とも言った。この学園、いやこの世界で『門』なんて単語を当てはめれる物は一つしかない。


「《オービスポルタ》…?」

「おや察しのいい。やはり、異世界人はその手の話題に敏感ね」

「おかしな物言いですわね。貴女もその一人でしょうに」

「…ふは。思わず笑みが溢れるわね、その愚鈍さには」

「!」


 膨れ上がる異気。知らない、感じたことがない。こんな異質な力は。


 後ずさるユイを見て、菊世はにたりと口角を釣り上げる。明らかに脅威と化している彼女を前に、トリガーを引いたユイの反応も当然だ。


 しかし。


「効かないよ」

「くっ」


『炎』の弾丸は虚しく空を切った。いや、あり得ない方向に捻じ曲げられて飛んでいった。諦めずに連射。悉く当たらない。全て、明後日の方角に飛散してゆく。


「諦めなさい。勝てはしないわ」

「やってみなければわからないですわ! 撃ち抜きなさい、精霊術・“火牙”!!」


 猛る烈火が一本の槍となって、菊世の全身を包み込み焼き尽くさんとする。しかし、それも通らない。まるでその空間だけ切り取られたかのように、一切の干渉を受け付けようとしない。


「いったい、どうなっていますの…!」

「諦めの悪い。いい機会です、教えてさしあげましょう。なぜ、わたしが生徒会長の座に君臨しているのかを」


 歪められた空間の一点に強大なパワーが収束する。ユイが放った『炎』すら呑み込み、膨れ上がったそれはまるで。


「太陽…!?」

「そんなところね。さぁ、――― 爆ぜなさい」


 かわせない。そんな距離にはいない。『炎』の精霊といっても、それを上回る暴力的な熱には勝てない。一体、生徒会長はどこの世界の存在だというのか。


 大爆発の後に地面に穿たれたクレーターの中心点を包み込むように、巨大な火柱が立ち昇る。まともに受ければ超常の存在すら骨も残らないような火力。ソレを顔色一つ変えずに菊世は操っていた。


「不思議かしら? でしょうね、精霊族の娘。だが、私は全ての種族の上に立つ者。あなた如きが勝てる相手ではないのよ。まあ、聞こえてはいないでしょうけれど」

「どう、かしら!」

「なに…?」


 業火の柱。その只中で、かぼそくも確かに輝く一つの『炎』があった。二色の輝きを内包しているそれは、紅蓮と金色。それらが障壁のように熱波を防いでいた。


「“知らない” 力…。なんだ、それは」

「さぁ。わたくしも、知りません、わ…。けれど、誰かが囁くのですわ。ここで倒れるなと、こんなところで諦めるな、と!!」


 黄金の『炎』がユイの全身から解き放たれ、菊世もろとも太陽を貫いて射線上を薙ぎ払った。尋常ならざる一撃。だがそれでも、菊世の絶対防御は崩れない。


「想定外の能力。これは精霊族の力だけではないわね…。思っていた以上に、今回の“鍵” の影響が色濃いのかしら…?」

「なにをごちゃごちゃと。そちらの技、連発はかなわないはずですわね。今度はこちらの番ですわ!」

「いえ、今日はこれでおいとましておきましょう。面白いモノも見れた事ですし、ね」


 なにを勝手なことをと勇もうとして、ユイの片膝は地に屈していた。力を使い過ぎたことを自覚した時にはもう、菊世の姿はそこになかった。どこかに風のように去ってしまったらしい。


 どうにか危機は乗り越えたが、菊世の言っていた言葉が気になる。


「カズマさんの身に何かが起ころうとしている…。ならば、わたくしは!」


 彼の助けとなりたい。彼が以前そうしてくれたように、今度は自分が力になるのだ。そう決意したユイは再び走り出した。

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