第25界 雨垂石穿

 放たれる『嵐』の弾丸。地を走り抜ける鋭利な『牙』。天より降り注ぐ『鋼鉄』の雨。そのどれもが一真の知る誰かや、知らない誰かの力を模倣したものだ。否、生徒たち本人を取り込んでいるのなら、実際みんなの能力スキルを操っているのだろう。彼らの意思など無視して。


「そんな紛い物で!!」


 攻撃を通す道は、《ウィアルクス》が教えてくれる。無数の選択肢から選ばれた道を駆ける。剣を操って攻撃を弾き、《キマイラス》の真下に潜り込む。図体が大きい分、これなら攻撃は難しくなるはずだ。


「君も同じだってば」


 剣からガントレットへ変形させてカチ上げるが、割り込んだ琉香に邪魔された。

 流れるように舞う双刃が一切の乱れなく、襲いくる。手甲部分で受けるだけで精一杯になった隙を狙って、《キマイラス》の尻尾が振り抜かれる。


「しゃがめ、風紀委員サマ!」


 タイミングを伺っていたカナミの合図。反射的に言われるがままに。ガラ空きになった空間に、高圧縮された『水』の斬撃が叩き込まれた。ダイヤモンドすら一刀両断する威力が直撃する。


「イイ連携だねぇ。ただ、声出したらバレるでしょ」

「くっ…」


 斬撃に亀裂が走る。形を失った水の塊が弾け、そこを隠れ蓑に、琉香の刀が飛び出す。突き出されたのではなく、


「無茶苦茶なっ。…く!」

「相変わらずのデタラメさだな…」


 二人別々の方向に逃れる。あらぬ方向に飛んでいった刀だったが、視えない糸に引っ張られるように、琉香の手元に戻った。これも師匠の能力なのか…。今のところ、超人的身体能力以外に、能力スキルは見当もつかない。


 しかし、琉香だけに集中するわけにもいかない。


 《キマイラス》が複数の属性を纏った爪と牙を奮って突っ込んでくる。『跳躍』を使った突撃だろうか。目に止まらぬ速さがここまで厄介とは。防ぎきることはできず、吹き飛ばされた。カナミが直前で『水』のクッションを作ってくれたおかげで、最小限のダメージで済む。


 そんな様子を見て、《キマイラス》の頭部、カナミの叔父・ウツミの顔が醜く歪む。


「フシュウウウウウ……。カ、カナミぃイイイイイィイ…」

「叔父上? まだ意識があるのか? なら、今すぐ助けるからもう少し待っ」

「グルゥウァアアア! 丁度イイ! 今ここでキサマを、け、消シテシマオウ! 我らのチ、血に、“翼無しよくなし”は不要ナノダカラナ!!」

「なっ、何を。きゃあ!?」

「カナミ!」


 聞いたことがないくらい甲高い悲鳴を上げて、カナミの身体が宙に浮く。《キマイラス》の全身から伸びたエネルギーの触手が彼女を締めあげていた。激しい動きのせいで、彼女のセーラー服が裂けて、下着と白肌が露わになる。隠したいであろう背中の小さな『翼』も。


 こいつ、この状況をいいことに、カナミを消そうとしているのか…!? 出来損ないと嘲りあざけり、辱め、消し去ろうと。彼女はそんな人間ですら助けようとしたのに。


「させるかよっ!」

「邪魔ヲスルナ」

「がっ…」


 放たれる強烈なプレッシャー。体が痺れて、指先一つまでロクに動かせなくなる。


 焦燥感が胸を焼く。足掻いても足掻いても、体が言う事を聞かない。こうしている間にも、カナミは苦悶の声を漏らしている。締め付けられているからってだけじゃない。彼女自身を否定されて、心が、感情が苦しんでいるんだ。


「ふざけんな……」

「おいおい。いい加減諦めなよ、僕の弟子。君が諦めない程度で世界は変わらない。物語の結末は決まっているのだよ」

「かもな…」

「おや、素直だね」


 師匠の言う通り、俺一人が足掻いても何も変わらないのかもしれない。現に、なぜかホナタたちの力を《ウィアルクス》で使えないこの状況では、完全に足手まといだ。愛剣も心なしか輝きを鈍らせている。力が、入らない。吐く息が重い。腕も足も痺れている。意識だけが、遥か遠い彼方に置き去りだ。


 だけど。


 それがどうした。


「昔も今も、俺にできることは、諦めないことだけだ…。だから、どんなに否定されても、俺は自分を、誰かを、世界を肯定する事を諦めない!!」

「風紀、委員…アンタ…」

「だからカナミ、おまえも自分の可能性を信じてやれよ。重要なのは今この時、どんな未来を思い描くかなんだ。そこに向かって羽ばたくかどうか、おまえが決めろ! その『翼』は、おまえの可能性なんだ!!」


 絶叫に近い声を絞り出し、俺はこけるように走り始めていた。両手のガントレットが、長槍へと変わる。《キマイラス》と師匠、どちらものリーチの外から、がむしゃらに突き抜ける。

 カナミを縛る触手を断ち切り、彼女を宙で抱きとめて着地する。


「よいしょっと…。で、どうする?」

「あ、ああ。そうだな、ウチがウチを信じる、か。できるかわからんけど、やってみる。ウチにも未来があるって思えたから!」


 カナミの力強い決意を受けて、四肢に力を取り戻す。再びガントレットに変わった《ウィアルクス》が、両腕で虹色の煌めきを迸らせ、脳内に言の葉を紡ぐ。


 大いなる『激流』、今ここに賛歌の拍手を。


《accept. SKILL,『STREAM』, re:load》


「無駄ダ無駄ダァ! 鳥籠の中で泣くしかできない、デキ損ないノ貴様ハ、ココで消えろォおオオ!!」

「おまえは引っ込んでろ! 激流昇渦ストリーム・ライジングッ!」

「な、ニィ…!?」


 複数の属性を混ぜ合わせた《キマイラス》の強力なブレスを、合わせた掌から生んだ『激流』のバリアで押し返す。轟音を立てて盛大に吹き飛ぶ巨体が、そのまま流されて動きを止める。

 地面に真っすぐ刻まれた轍は、それが進むべき道であるかのようにはっきりとしていて。


「いけ、カナミ。おまえが決めろ!」

「言われなくたって。力を貸しておくれ、!!」

「ちぃ、子どもがはしゃぐんじゃないっての!」


 俺たちを止めようと、琉香が立ち塞がる。けれど、もう遅い。俺とカナミの覚悟はもう決まっている。


 際限なく湧き続ける『激流』を両手に湛え、カナミの剥き出しの背にかざす。彼女の小さかった『翼』はもうそこにはない。あるのは、どこまでも飛んでいくための形なき透明な竜翼。全身全霊でそれを後押す。


「―――― 激流讃歌ストリーム・エール!」


 静謐たる青が、極大の虹翼で翔け抜ける。愚直に、真っすぐ、何に阻まれても折れぬ一滴となって。


 故に、雨垂れ石を穿ち。


「いつか天に届く蒼き竜となる! 撃ち抜けよ、“撃龍突破”!!!」


 『水』の翼が、力強い羽ばたきでカナミの身体を前に。ハルバードの穂先に集めた高圧水流が切れ味を何倍にも高め、圧倒的加速からの刺突を生む。


 その一撃は、まさに天翔る竜のように、異形の巨躯を貫き破った。


「馬鹿、なぁ、あああアアアアアァァアアアアアアアアア!」


 《キマイラス》と琉香、どちらの断末魔か、あるいは両方のものか。カナミが次に大地を踏みしめた時には、全てを貫いていた。

 『水』の螺旋が虹を掛け、さっきまでの暗雲が晴れていく。


「まったく…、若いっていうのはこれだから困る。その場しのぎの無茶が成立してしまうんだからね…」


 琉香はギリギリで攻撃をかわしたらしく、穴だらけになったコートを脱ぎ捨てた。しかし軽くふらつくところを見るに、傷は負ったらしい。


「諦めて、投降してくれ師匠」

「あはは。それは御免だね。今回は退くけれど、もう。もはや、ピリオドが打たれるのも、時間の問題なのさ」

「は…? どういう意味だよ、それ」


 琉香はそれ以上語らずに、飄々とした笑みを浮かべたまま背を向けると、どこかに跳び去ってしまった。追いかけようとしたが、限界を迎えた体ではそれもままならない。思わず地べたにへたり込んでしまった。


 倒されて石のように固まっていた《キマイラス》が、体に入った亀裂から粉々に砕けて、中に閉じ込められていたみんなが黒泥とともに排出される。見る限り全員無事なようで、安心すると同時にひどい疲労感に見舞われた。


「守れたな、一真」

「ああ。カナミのおかげだ。ありがとな」


 お礼のピースサインを掲げて見せると、カナミは照れ臭そうに頬をかいた。


「ウチは、なんにも。アンタの想いがあったからだよ」

「そうだと、いいな……。ふぅ…」


 会話の途中だというのに眠すぎる。脱力感とともに視界が傾いて、最後に柔らかい感触を感じながら意識を閉じた。





「本当に、ありがとうよ…。一真…」


 倒れこんだ少年を胸元で抱き止めると、その寝顔をのぞき込む。こうしていると、ただのか弱そうな一般的な地球人だ。とても何かと戦う力があるようには思えない。けれど、確かに自分は彼から戦う力をもらった。だから、これはその感謝の意であって、決してやましい気持ちがあるわけでは――――


「って、何自然な感じで口づけしようとしているのかしらこのヤンキー娘は!?!?」

「うげ」

「まったく、抜け駆けしようとする人が多くて、困ります…」

「はっ、今回もいいとこ持ってかれちまったなー。次は、勝つぜカズマ! つーか、何寝てんだ?」

「貴女は何の勝負をしていますのっ」


 黒泥の内から這い出てきたユイや、ホナタ、ルゥらが騒ぎ出す。


「はぁ、やれやれ…。人気者だねぇ、風紀委員サマは」


 こうして、戦いは終わった。少年一人を囲んで騒ぐ少女たちのいつも通りなやり取りが、事件解決と、平穏の証だ。

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