第2界 それは守るための

 "レプティノイド" の男が突っ込んでくる。両の爪が俺を切り裂こうと振り抜かれた。ただの人間に過ぎない俺が、受け止めたり避けたりできるはずがないと踏んだ、雑な一撃。


 しかし、当たらない確信があった。


「こんな異世界ど真ん中に、無策で飛び込んでくるかよっ!」

「ぁ あ ?」


 "レプティノイド" の動きから、急激に速度が失われる。出立前に、俺を転入させた怪しい男から預かった腕時計型の装置を、作動させたのだ。《エイリアス》にだけ作用するらしく、男はクロックダウナーと呼んでいたか。


「よし! うぉおおおおお!」

「ちょっと!?」


 装置の効き目を確認、しかる後に全力で転身。ルゥをお姫様抱っこスタイルで抱きかかえて、校舎まで全力で足を動かす。筋肉が引きつりそうだし、ルゥはなんか抗議してるが、それどころじゃないし。大きな白い倉庫の陰までどうにか滑り込み、荒れた息を整える。


 ここなら、しばらく見つからないだろう。多分。


 ぐ。思ったより重いんだな、ルゥ…。


「今失礼なことを考えていましたね…? いえ、そうじゃなく! 何をしているんですか、貴方は!?」

「痛い、痛いって」


 下に降ろした途端ポカポカと叩かれる。無茶をした自覚はあるが、算段がなかった訳じゃないんだから許して欲しい。反撃の手段はないんだけどさ。


「大体、この程度で止まるわけないでしょう!」


 マジか。時間操作も異世界人からしたら、当たり前なの? なんでもアリかよ。


「でも時間は稼げただろ? 今の内に、ルゥは別所の誰かを呼んできてくれ」

「まさか、囮になるつもりじゃ…? 正気ですかっ」


 もちろんそのつもりだとも。それぐらいなら、俺にもできる。ただの人間だけど、女の子を一人で戦わせるよりは寝覚めがいい。生きてれば、だけど。


「そんなのっ」


 ピピッ。


「! 危ないルゥ!」

「さっきから気安く名前を、っきゃあ!」


 再度、ルゥの細い体を抱き上げて、地面に身を投げ出す。一拍遅れて倉庫が弾け飛んだ。破片と噴煙で満たされる空間を突き破るように、鋭利な五本の爪が飛び出てくる。


 紙一重でかわしたものの、爪に掠った腕時計が弾け飛んだ。マズイ、クロックダウナーはもう使えない…! あれ、これ、かなり絶体絶命では??


 あの装置があるからとタカをくくっていたが、改めて状況の不味さを思い知る。相手は速さも強さも上だ。


「なーに隠れてんだよぉ、もっと楽しませてくれよアースマンんんンンンン」


 見つかるのも追いつかれるのも早過ぎる。さすがといったところか。せめてこっちにも武器でもあれば。


 バチィッ


「…?」


 微かな違和感。辺りを彷徨った俺の目に、模造の剣らしきフォルムの、地面に突き刺さった白木刀が映った。訓練用か警備用だろうか。なぜ突き刺さってるのか。いや、今はなんでもいい。


 質素な作りの白木刀を構えて、"レプティノイド"の男に対峙する。心許ないが、仕方ない。せめて少しでも耐えることができれば、時間稼ぎくらいにはなるはずだ。


「とことん舐めてんなァ! んな棒切れで、どうやって勝つつもりだぁああァああ!」


 瞬発力。トカゲのソレを人間サイズで発揮されたなら、まず反応できない。地球上でのあのサイズですら、難しいわけで。


 だというのに。


「「!?」」


 男はもちろん、俺も驚愕を隠せなかった。体が勝手に動いたからだ。突き出された爪を、構えていただけの白木刀が受け止めていた。


 砕けることなく、折れることもなく、どういうわけかその細い刀身は、きちんと拮抗していた。


「どうなってんだぁ、こんなクソみてぇなもんでよっ」


 それは俺が訊きたい。不思議と衝撃による痛みもなく、ただ受け止めることができている。どういう理屈がわからないけれど。


《system activated... adjust completed. transformation start...》


 聞き慣れない音声。英語であることは辛うじてわかる。と同時に、白木刀が燐光を纏いだす。掌が嫌に熱くなり手放そうとして、できなかった。


「いや、あっつ!?」


 本当に熱い。気のせいや比喩ではなく、皮膚が焼けるようだし、刀の柄と一体化したのかというくらいの感覚。何が起きてるのか全く理解が追いつかない。


「ちッ、よくわからんが、マグレさ…。いい加減くたばれェ!」

「やられて、たまるかよ!」


 再度弾くつもりで白木刀を振り抜いた。ただの、防御のつもりで。しかし。


 滴る赤い液体。遅れて乾いた亀裂音に続いて、男の腕を覆う鱗が弾け飛んだ。


「ぐ、ぁああああああああああぁ?? て、めぇ、何しやがったぁあああああ!!」


 苦悶の叫びを零しながら、男がよろめき、片膝すらつく。俺は何もしていない、木刀を振り抜いただけなのに…。


「て、転入生さん、その右手に持っているのは…? 剣…?」


 ルゥに訊かれて確認する。なるほど、先程までただの木刀だった物は、鋭利な切っ先を備える武装、まさしく "剣" へと姿を変えていた。どういう仕組みだ。いや、今は武器であるなら、それで構わない。改めて構え直す。どうやら、この剣はアイツに効くらしいからな。勝機はここにしかない。


「ぶっ殺してやる、クソが!」


 再度、男が突っ込んでくる。怒りの度合いに比例して、先程までの侮りは既にない。確実に急所を狙った乱撃。それを受け流すように刃を立てる。いなして、すぐさま反転。無防備になった背中めがけて、返す刃を振り抜いた。


 重々しい金属音を奏でて、"レプティノイド" の男がクルクルと錐揉みしながら吹き飛んだ。


 いける…! この武器の能力かは知らないけれど、パワーがどんどん溢れてくる。抑えが効かなくて、怖いぐらいだ。


「許さねぇ、許さねぇえぞ、アースマンんんんん! こうなりゃあ、もろとも…」


 さっきから呼ばれてるアースマンというのは、《エイリアス》側の、俺たち地球人の呼称だったか。


 男の懐から取り出されたのは何かのスイッチ。嫌な、予感がする。あの手のものはドラマとかだと決まって、爆弾とか…!?


 考える前に足を動かす、止めるために。しかしダメだ、間に合わない、アイツが指を押し込む方が早い…! ここまで来て、誰も守ることができないなんて嫌だ。ルゥが悲鳴のような何かを叫んでいる。全てがスローモーションのように進んでいく。

 ……?


 鈍くなった知覚に、謎の情報が流れ込んできた。さっきも聞いた英語らしきシステム音声。スキル…と、加速…?


 この際だ。なんでもいい、俺に。


「俺に、アイツを止めるための力を貸せッッ」

《OK. Accept. Skill, 『RAPID』, Re:load》


 何が起きたのか、後でルゥから詳細は聞かされたけれど、この時の俺に何一つ自覚はなかった。剣を手に、無我夢中で駆けただけ。


 一歩踏み込む。二歩目で彼我の距離をかき消して、三歩目が着地した時には右手の剣が閃き、男の腕ごとスイッチを消し飛ばしていた。定められた軌跡をなぞるが如く正確に関節部分を断ち切って。


「が、ぁ……!」


 苦悶のうめき声を残して男が、血飛沫の後に石畳に沈んだ。同時に、俺の意識も激痛とともに闇に溶けていく。


「だ、大丈夫ですか!? 転入生さん!?」

「ああ。ルゥは無事か、よかった…」


 心配する声に反応する余裕もなく、意識がどこかに遠のいていく。


 あぁ、散々な転入初日だった。この先、この異世界みたいな場所でやっていけるのかなぁ俺。なんて考えれるほどには、気が緩んだらしかった。


 あとルゥ、俺は転入生さんじゃなくて、新辰一真っていうちゃんとした名前があるんだぞ。あー、そういや、名乗ってなかったなぁ。なんて呑気な回想をしつつ。


 確かな達成感と視界のブラックアウトが訪れたのは、それから間もなくだった。

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