第20話 招待
泣くだけ泣いて不安をジルに聞いてもらった日から、まるで憑き物でも落ちたかのように、あたしはスッキリとした気持ちを取り戻した。
あのうじうじしていた日々は何だったのだろう。
今日もジルはあたしの部屋で
「あと1ヶ月足らずでエミリーと離れるなんて悲しいわ。ずっといてくれたらいいのに…」
と、チョコレートとバナナのマフィンを頬張りながら、もごもごと語っている。
これもパーティのお菓子に加えようかな。
宮廷で振る舞うには庶民的すぎる?
でも厨房でも好評だったし、チョコレートとバナナの黄金コンビは当然美味しい。
バナナは温かい国の食べ物だけど、友好国との関係により、ここには相当な量が蓄えられていて、材料に困ることはない。
それはさておき。
ところで、お気付きになっているだろうか?
ここまでまだ、城内でパンプキン・パイを作っている描写がないということに。
そう、だって作っていないんだもん。
そもそも、かぼちゃというのは夏の食べ物だ。
日本では冬至にかぼちゃを食べる習慣があるけど、それらの多くは輸入品。
もちろん長く保存できる食べ物だから、輸入なんてことをしていなかった時代にも冬に食べることが出来たわけだけど、それでも貴重な物だった。
そしてこの国でも、冬のかぼちゃは貴重品なのだ。
冬のための蓄えとして貯蔵庫に保管されている物が少しと、他国から祝賀パーティへ向けて、今まさに取り寄せている最中の物があるらしい。
小心者過ぎるあたしには、そう簡単に使うことは出来ない。
なのでまずはパイ生地を完璧にしてから、かぼちゃのフィリング作りに取り掛かろうという作戦だ。
ここにある材料の味は大体把握して、使い方のこつも分かってきた。
あとはかぼちゃの味とか質さえ確認できれば大丈夫。
今はどんなかぼちゃが来ても対応できるように、どの砂糖や生クリーム、もしくは牛乳を使用するか、分量をどう調節するか、頭の中で様々なシミュレーションを繰り返している。
これだけは。
これだけは完璧にしたい!
と、復活した日から気合を入れ直し、戦闘準備をしている心持ちでいる。
あたしが作った物を美味しい美味しいと喜んで食べてくれるジルや厨房の皆も、「他のお菓子がこれだけ美味しいんだからパンプキン・パイはどれだけ美味しいんだろう!」と楽しみにしてくれているのだ。
順調にいけば来週の初めに輸送中のかぼちゃが届くらしいから、そうしたら取り掛かりたいと思う。
それまでは、パンプキン・パイ以外のお菓子をどうするか、試作品を日々作成して感想や評価を集めているのだった。
今ジルが口にしているチョコバナナマフィンも、そんな試作品の内のひとつである。
「こんなにお菓子ばかり食べて、わたし1ヶ月後にはどうなっているのかしら」
などと体型を気にしつつも、
「でもエミリーには協力してあげたいもの。1ヶ月くらい我慢しなくっちゃね」
なんてとても我慢しているようには見えない笑顔で、いかにも殊勝な感じの言葉を口にしていた。
「ジル!あなたにそんな我慢はさせられないわっ。いいのよ。これ以上無理しなくって」
ジルに飛び掛かってマフィンを取り上げるフリをしていた時、扉をノックする音が聞こえた。
コンコンコン。
なんだか均一で神経質そうな音だった。
「はい」
あたしは慌てて扉を開けるために立ち上がり、部屋の入口へ向かった。
そうしてその扉を開いた先にいたのは、あたしが昔からよく知っていて、今日初めて出会う人物。
ヘンリーを一方的にライバル視している男爵家の三男ディラン――そう、ゲーム上ではエミリーの攻略対象の1人であった男性だ。
今までまったく接点のなかった彼が、何故突然あたしの部屋を訪れたのか。
あたしは理解できなくて静かにパニックを起こし、口を開いたまま立ち尽くしてしまっていた。
つい先ほどまで部屋の中でくつろいでいたジルは、場違いな貴族の男性の登場に驚きつつも、すっくと立ち上がって使用人らしく後ろに控えている。
「え…っと、あの」
「失礼。エミリー・アンダーソンで間違いないか」
彼の口調は傲岸不遜な印象を与えるが、少女のようにも見える愛らしい顔立ちのせいもあって、あまり嫌な気持ちにはならない。
そもそも彼はそういった物言いが身についてしまっているだけで、我々を見下しているわけではない…はずである。
「は、はい。そうです」
ディランは、ライバルのヘンリーがあたしに構うのが気になって、競争心からあたしの前に現れる人物だ。
ヘンリーがそれほど構っていないあたしに興味を持つとは思えない。
「甘い香りがするな」
そう言いながら、机の上のチョコバナナマフィンに目をやった。
あたしは彼にもひとつ勧める言葉を口にするべきかどうするか迷っていたが、一方でジルはまるで見られたら困る物が見つかったかのように、マフィンを隠したいけど今更隠せないといった様子でいた。
しかしディランはそんなあたしたちの気持ちなどには気にした様子もなく、言葉を続けた。
「バナナか。これも祝賀パーティ用の物か」
「はい。まだ決定ではありませんが、候補の内のひとつです」
あたしが答えると、彼は頷きながら言った。
「
なるほど。
そういったことも考慮するといいのか。
これは参考になるお話だ。
だが、だからといって、それが彼がここに現れた説明となるものではない。
などといろいろ考えているあたしに、彼は白い封筒を差し出した。
封を綴じている蝋に押されているのは、王家の紋章。
「3日後に王后陛下主催のダンス・パーティがある。お前もそれに来るようにとのお達しだ」
「えー…と、そこで振る舞うお菓子を作れということで…」
「いや。菓子を作る必要はない。王后陛下がお前に会いたいとのことだ。当日はパーティの出席者として来い。いいな」
ディランはそう告げると去っていった。
「えええーっっ!?」
扉が閉ざされた後、あたしとジルは声を揃えて絶叫した。
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