第18話 因縁
バラのジャムで、マフィンを作った。
甘さは控えめにして。
作りたてのマフィンはとろけるような柔らかさで、厨房でジェニーさんに味見をしてもらったら、絶賛してくれた。
まだ温かいうちにもっといろんな人に食べてもらいたくて、今日は早めに厨房を離れた。
とは言っても、ここで親しい人なんてジルしかいない。
本音をいうと、アラン王子にも食べていただきたいんだけど。
城内をふらふらしているらしいヘンリーにでも会えたら、あの時みたいに皆に食べてもらえるかな。
なんて淡い期待をしつつ、あたしが彼らに会えそうな場所といえば…と、城の裏側、バラ園の方向へ歩いて行った。
期待しつつもちょっぴり怖くて、バラ園に入る前に、ドキドキしている心臓を鎮めるために立ち止まり、深呼吸をした。
そしていざ踏み出さんとしたとき、バラ園に誰かがいるのが分かった。
スラリとした気品ある立ち姿に、ハニー・ブロンドの髪。
アラン王子だ。
本当なら嬉しくてたまらないはずなんだけど、そうはならなかった。
その隣に、イザベラがいたから。
イザベラが何か話しているのを、アラン王子は優しく見守るような瞳でじっと見つめている。
白い頬をほんのりと桜色に染めて、誰が見ても王子がイザベラに恋しているのは一目瞭然だった。
イザベラの仕草のひとつひとつに反応して、大切にエスコートしているのがよく分かる。
ヘンリーの言っていたとおり、確かにべた惚れだ。
仕事にかこつけてその中に入る気には到底なれず、そっとその場を離れた。
ゲームでは、このくらいの時期になるとあたしとアラン王子の距離は結構縮まっていて、頻繁に会いに来てくれていた。
あたしに興味を持ち、あたしの何気ない言葉に、あたしの仕草のひとつひとつに反応して、さり気なく優しくエスコートしてくれていた。
優しくて穏やかなアラン王子だけど、その実、隣国との関係や陰謀渦巻く王宮内での第一王子としての立場など、厳しい状況下に置かれいているお方だ。
そんな彼を癒すのがあたしの存在だった。
だけど、ゲーム内であたしを見守ってくれていたあの眼差しで、アラン王子はイザベラを見つめている。
差し伸べる手も、愛を語る優しい言葉も、イザベラだけに向けられている。
ただ守られていただけのエミリーとは違って、イザベラは王子を支えることのできる存在だ。
アラン王子のことだけじゃない。
ゲームでは、パトリックにはこれほどまでに嫌われてはいなかった。
ヘンリーやエドワードとももっと砕けて話せていたし、まだ現実には会えていないアラン王子の弟やヘンリーのライバルなんて人たちとも交流があった。
エミリーに生まれ変わって、伊月よりもうまく生きていけている気がしたけど、所詮あたしはあたしか。
自分のちっぽけさが歯痒かった。
『恋するパンプキン・パイ』でのエミリーのイメージは、天真爛漫で明朗快活。普通の女の子だけど、お菓子作りには真剣に向き合っている、そんな感じ。
今ここにいるエミリーは、確かにお菓子作りには真剣に向き合っていると思うけど、うじうじして卑屈な感じでしかない。
なんでこんなになっちゃったのかな…。
憂鬱な気持ちを引きずりながら普段通ることのないバラ園からの回廊を歩いていると、その窓の外の景色も見たことのないものだと改めて気付いた。
こないだジルと歩いた時はもう日が暮れかけていたこともあってよく分からなかったけど、ここから剣士の人たちの訓練しているところが見えるようだ。
そんな光景今まで見たことがなかったから、沈んだ気持ちがちょっと浮上して、「ちょっとだけ見せてもらおうかな」なんて思って立ち止まった。
20代くらいの人たちなのかな。
冬だというのに湯気が出るほど汗を掻いて、2人ずつ向かい合って剣を交わし合っている。
それから少しして手を止めると、さっきまでこちらに背中を向けていた人たちもみんな、手前側にいる上官?のような人の方を向いた。
そこで誰か冗談でも言ったのか、楽しそうに笑っている。
その中で、知っている顔を見つけた。
ん?
知っている顔?
いや。知っていると思う顔?
あの男性、確かにどこかで見たことがあると思うんだけど、誰だっけ?
宮廷内に知り合いなんていない。
そこに繋がっていそうな人といえば、アーノルドおじさん関係?
勘違い…なんてことはない。
絶対知っている。
指先でトントンとおでこを叩いて前頭葉を刺激して、なんとか自分の過去を振り返って彼の登場シーンを捜した。
そんなことをしていると、あの男性ともうひとりの人が剣を構えて打ち合いをはじめた。
摸擬戦のような感じなんだろうか。
さすがにあの剣、真剣じゃないよね
周りの人たちは楽しそうに声を上げている。
素人目に見て、もうひとりの人っているのは上官かベテランの人か、多分すごく強い人で、あの男性は付いていくのも大変そうだった。
必死に食らいついていこうとするその睨む様な強い眼光を見た時、あたしははっとした。
――思い出した。
あの日も、あたしのことを睨む様な目で見ていた。
5年前のお祭りの日。
ママのパンプキン・パイを買いに来たのに既に売り切れになってしまっていて、それであたしのことをすごく怒っていた人。
遠くから買いに来たって言ってたけど、こんな所から来ていたんだ。
ママが亡くなったこともあったからか、あれ以降、村のお祭りに姿を見せることはなかった。
でも、それでも忘れることは出来なかった。
もう食べることが出来なくなったママのパンプキン・パイ。
最後の機会をあたしが奪ってしまったんじゃないかと、思い出す度気になっていた。
ちょっと浮上しかけていた気持ちは更に低く沈み込み、彼に見つかることが怖くて、身をかがめるようにその場から逃げ出した。
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