第17話 誤解

翌朝、目を覚まして鏡を見たら、相も変わらぬそばかす顔が映っていた。

ベージュに近い金髪をブラシで梳かしても、いつもの通りクセは直らず中途半端にうねっている。

今日はそんな自分の髪を見たくなくて、左右の三つ編みを後ろで交差させ、落ちてこないようピンでしっかりと留めた。

エミリーだってゲームの主人公キャラなんだから、ゴージャスさはないけれど、それなりに可愛い設定だ。

だけど、昨日イザベラを見て、あたしとイザベラの住む世界の違いを自覚した。

あの艶やかでサラサラの黒髪も、つるんとしたシミ1つない滑らかな肌も、日頃からきちんと手入れをされた身分の高い女性のものだった。

こどもの頃から外で駆けまわって遊んで、特にこれといった手入れなんてしてこなかったあたしとは違う。

周りの友達もそうだったから、今まで大して気にしてこなかった。

きれいな色をしていたり、サラサラな髪をしていたりする女の子がいると羨ましく思ったことはあるけれど、それでもあたしのクセ毛を「可愛い」と言ってくれる友達やおじさんおばさん達がいてくれたから、そんなにコンプレックスを感じることもなくこれまで過ごしてきた。

アラン王子の妻になるなんてあり得ないと思いつつも、万が一、もしかしたら…なんて僅かな期待を持っていたことが、無性に恥ずかしくなった。

ゲームではイザベラの性格が最悪だったけど、あの美しさで性格も良ければ、当然誰もが彼女を選ぶだろう。

美しい見た目も、貴族らしい優美な所作も、隣国の内戦で傷ついた人々に手を差し伸べる行動力も、そしてその政府から認められる程のカリスマ性も、あたしはそんなの全然持っていない。

王子の隣に並ぶには似つかわしくない自分自身が、なんだか惨めに思えてきた。


それでも。

あたしには出来ることがある。

やらなきゃいけないことがある。

そう思って頬をペチペチと叩いて気合を入れ、重い気持ちを引きずりつつも、なんとか奮起して厨房までやってきた。

とりあえずは祝賀パーティのお菓子作りについて考えよう。

そもそもいただいたお話は「祝賀パーティのお菓子を作る」という内容で、具体的に何を作るという指示は受けていない。

パンプキン・パイは外せないとして、後は何を作ろうか。

――タルト・オ・マトン。

タルト・オ・マトンも気に入っていただけたみたいだから、これもメニューに加えようかな。

それから…。

そんなことを考えながら、昨日バラ園で手に入れた花びらでジャムを作っていると、ふと、これの砂糖の量をどうすべきか迷いが生じて、手が止まった。

昨日のアラン王子の反応からすると、甘さは控えめの方が好まれるような気がする。

パトリックの作るジャムが好きだっておっしゃっていた。

パトリックのジャムはどんな味なんだろう。

そして、自分がまだパトリックの作った物を口にしたことがないことに気が付いた。

日頃王室で出されているお菓子だ。

これ以上参考になる物なんてきっとないだろう。

一度気になると、パトリックの作ったお菓子を食べてみたくて仕様がない気持ちになった。

どうしよう。

お願いして一口食べさせてもらおうかな。

でも、すんなり食べさせてくれるとも思わない。

悶々とした気持ちを抱えて、ぐつぐつ音を立てている鍋を見つめていると、皺の多いごわごわの手が肩に回された。

「どうしたね?エミリー。今日は朝からずっと元気がないようだけど…」

声がして横を見ると、思っていた以上に間近にグレッグさんの顔があって驚いた。

「うわっ!グレッグさん!ええと、あの…、すみません」

自分でも大袈裟すぎるくらいな驚き方だったので、そのことを謝りつつ、パトリックのお菓子のことを相談しようか迷ったけど、その辺はうまく言葉に出来なかった。

そうしたら尚更グレッグさんは気になったらしく、置かれた手でそのまま優しく肩を擦られた。

「何か気になることがあるんだったら遠慮なく言ってくれ。エミリーのためならどんな協力も惜しまないからね」

「そんな…。ありがとうございます。グレッグさんにはもう充分お世話になっています。いつも甘えてしまって申し訳ないくらいです。なんだか他人のような感じがしなくて…」

グレッグさんは他人と分かっていても、ついついアーノルドおじさんを思い出して親類のような親しみを感じてしまう。

あ。グレッグさんにお願いしてパトリックのお菓子を分けてもらおうかなあ、なんて下心が生まれたとき、まるでそれを見透かしたような声が聞こえた。

「お前さあ、それ、わざとやってんの?」

パトリックがあたしたちを例のごとく冷ややかな眼差しで見下しながら、軽蔑した声を投げてくる。

「いい加減ムカつくんだけど。わざとだったら今すぐここから出て行ってくれないか。お前は王宮には相応しくない人間だ」

「パトリック!!いい加減にしないか!お前は菓子職人としてエミリーに嫉妬しているだけだろう。エミリーがお前に何かしたわけでもないのに、恥ずかしいと思わないのか」

グレッグさんがいつになくピシャリとパトリックを叱ったが、パトリックはグレッグさんのことをチラと見て、

「グレッグには言っていない。そっちの娘に訊いているんだ」

とあたしに向かって言った。

冷たい視線に変わりはないが、真っ直ぐにあたしの方を見て答えを待っている。

グレッグさんはムッとしていたが、あたしはパトリックに返す言葉を探していた。

さっき、パトリックは「わざとやってんの?」とあたしに言った。

「わざと」?

何のことを「わざと」と言っているんだろう。

あたしがついついグレッグさんの親切心に甘えてしまうことだろうか。

気落ちしたり分からなくて悩んだりしていると、気を利かせて手を差し伸べてくれるから、わざとそういう態度を取って甘えているように見えているとか?

国内外の要人に振る舞うお菓子を作るべく選ばれた立場だというのに、自分でちゃんと出来なくてすぐに頼ってしまうところが、自立したパトリックからしたら軽蔑したくなるのかもしれない。

そうだ。飽くまでも仕事として受けていることなんだから、ジルが自分の仕事にプライドを持っているように、あたしも自分の力で成し遂げないといけない。

そう答えを出して、

「ごめんなさい。あたし、自覚がなくて。わざとじゃないんです」

と、パトリックへ言葉を返した。

そして

「お仕事ですもんね。人に頼ってばかりじゃなくて、ちゃんと自分の力で菓子作りを成功させるようにします」

と続けると、パトリックの目が今まで見たことがないほどに大きく見開かれた。

軽蔑した眼差しから、呆れた眼差しに変わったような気がする。

いや、なんだか焦っているようにも見える。

「おい、お前!!」

パトリックがあたしに向かって一歩足を踏み出し、声を荒げてきたとき、グレッグさんが彼を制してあたしから引き離してくれた。

パトリックはあたしとグレッグさんを交互に見ながら何か言いたそうにしていたけど、そのまま別室に連れて行かれてしまった。

その時、厨房には多くの人がいたから、この様子を見ていた人たちも結構いた。

具体的に何が起こったのか分かっていない人もいたから、グレッグさんが皆にあたしは悪くなくて、パトリックが嫉妬して嫌がらせをしてきているのだと説明して回ってくれたらしい。


元々社交的ではなかったパトリックは、それから厨房内で浮いた存在となってしまった。

それでも彼の菓子作りの腕は確かで、アラン王子にも気に入られていることから、彼が今の立場を追われるということはないというのを聞いて、ほっとした。

ずっと冷たい目で見られたり嫌味のようなことを言われたりはしていたけど、それほどひどいことをされたわけではないので、こんな状況になってしまったのは却って彼に対して申し訳なく思う。

それ以降もパトリックがあたしに近づかないよう、グレッグさんが気を回してくれているから、結局パトリックとはちゃんと話せないまま。

あたしが真剣にお菓子作りをしているっていうこと、ちゃんと伝えたい。


――けれど、この日解かれることのなかった誤解が、後の事件の引き金となるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る