第16話 タルト・オ・マトン

「あら、アラン王子?」

その時凛と澄んだ声がして、そこに、あたしが初めて城へ入った日にも会った、あの女性が現れた。

「イザベラ!」

途端にアラン王子の表情がキラキラと嬉しそうものになった。

「みんな揃ってどうしたの?」

イザベラがこちらへ向かって歩いてくるのも待てないとばかりに、アラン王子はイザベラの傍へ駆け寄っていく。

「ああ、あの少女の作った菓子を食べていたんだ。あの少女というのは、母上が招いた菓子職人の…」

「エミリーでしょ。知っているわ」

イザベラはアラン王子が言い終わらないうちにそう言って、あたしの方へと近づいてきた。

歩く姿も凛として華があり、そして気品に満ち溢れていた。

「あなたが城へいらしたその日に出会っていたというのに、挨拶が遅れてしまってごめんなさい。イザベラよ。あなたと同い年なの。よろしくね」

優雅な仕草で右手を差し出され、あたしはイザベラと握手を交わした。

同い年なのか。

大人っぽくて全然そんな風に見えない。

風で、艶やかな黒髪がサラサラと風になびいた。

肌は白く滑らかで、にきびやそばかすなんて出来たこともないようだった。

睫毛は長く、その奥にある瞳に、まるであたしの中まで探るように見つめられた。

「イザベラ、君にも食べさせたかったよ。初めて食べる、すごく美味しい菓子だったんだ」

アラン王子は残念そうにイザベラに伝えた。

イザベラはそれほど気にしていない様子だったけど、がっかりしているアラン王子を見たくなくて、最後の1つを彼女にあげることにした。

そもそも、このイザベラがいなければ初日に王子の姿を見れていたし、ヘンリーと親しくなって、それでアラン王子やエドワードとももっと早くに接触できていたはずだった。

だけど、ゲームと違ってあたしに対して悪意があってやっているようには思えなかった。

「よろしかったら、これ、イザベラ様も…」

「ありがとう。ね。同い年って言ったでしょ。イザベラでいいわよ」

差し出したお菓子を両手で包み込むように受け取り、彼女は嬉しそうな顔をしながらそう言った。

それからお菓子をまじまじと見て、不思議そうにしていた。

「このお菓子、どこのものなの?」

「やっぱりイザベラも初めて見るだろう?エミリー、君が自分で考えた物なのか?」

アラン王子はイザベラに向けた甘い顔そのままにあたしに訊いてきた。

「いえ。あの、すごく昔に食べたことのあるお菓子を再現してみたくて作ったんです」

「ふうん?」

イザベラが首をかしげてあたしを見つめた。

「あれっ?篭の中もう残ってないけど、エミリーちゃん自分の分は食べたの?」

ナプキンで覆っていたというのに、ヘンリーが変に目ざとく気付いてしまったようだ。

「あたしは、試食で食べたから。自分で食べるより人に食べてもらった方が、作り手として嬉しいですし」

ヘンリーが声を上げた時イザベラは戸惑っていたようだったけど、あたしの言葉を聞いて笑顔で頷いた。

「分かったわ。じゃあこれ」

そう言いながら手元のお菓子を半分に割って、片割れをあたしに差し出してきた。

「半分こしましょう。その方がきっと美味しいから」

イザベラは、半分になったお菓子をその分誰よりも味わうように食べて、そして誰よりも嬉しそうな顔をしていた。

「美味しいわ!本当に!すごく!!食べられてよかった。ありがとう。エミリー」

感激屋なのか、食べ終わるとあたしにギュ~ッと抱きついてきた。

抱き締められて分かる。

イザベラ、胸大きい。

「ねえ、このお菓子の名前、なんていうの?」

相変わらずあたしの中の奥の方まで見るようなまなざしで、あたしの瞳を覗きこんでくる。

「えーとですね、実は、ちょっと覚えてなくて…」

なんだっけ、カタカナだったのは確かなんだけど。

「――これの中身って、牛乳とかで作ってあるんでしょ?何かで聞いたことがあるんだけど、確かこういうのをマトンていうのよね。だから、『タルト・オ・マトン』なんてどうかしら」

イザベラが悪戯っぽくそう言うと、その場の誰もが彼女の提案に賛同して、このお菓子はこれ以降タルト・オ・マトンと呼ばれることとなった。


それから間もなくしてイザベラの侍女が呼びに来たため、彼女は名残惜しそうに去っていった。

それを追うようにアラン王子もバラ園を去り、エドワードも当然それに付いていった。

ヘンリーはどうするかと思っていたけど、「もう暗くなるから早めに戻った方がいいよ」と出て行った。

去り際のウインクを見て、格好いい人のする格好いい仕草は本当に格好いいものなんだと感心したものだった。

ヘンリーの言ったとおり、そろそろ日が暮れ始めていて、辺りはいつの間にか夕焼けに染まっていた。

この短時間にたくさんのことがあり過ぎて、処理能力が追い付かない。

なんだか初恋と失恋を同時にしたような気分。

それにしても、ヘンリーってチャラチャラしているようだけど、あたしたちのこと助けてくれたんだよね。

「ヘンリー様って、いい人だね」

「だから言ったじゃない。信頼できる有能な人だって。女性関係以外は、だけど」

沈んでゆく夕焼けに、ジルの頬は赤く染まっていた。

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