第15話 秘密の花園
ジルが連れて行ってくれたのは、お城の裏側。
トンネルのような回廊を抜けると、そこは薄紅色の世界だった。
「バラ!?この季節に?」
甘い香りと棘のある茎。
そう、ここはバラ園だった。
「すごいでしょ。隣国から友好の証として贈られた特別な品種でね、これは冬に咲くのよ」
城の裏側といえども、この辺りは日当たりがよい。
にしても、空気は冷たく刺すような感じがする。
「今の時期は虫に喰われる心配もないから、花も葉もきれいでしょう?」
そう言われ、花に顔を近づけてよく見ると、確かに虫食いの跡はなく、完成された美しさといった趣きだった。
「村で普段見ているバラと全然違うわ。これだけ手入れするのは大変でしょうね」
「ええ。だから専属の庭師がいるの」
「だよね。友好の証なんだから枯らせたら大変だもんね。――そうだ。お菓子を」
「お前たち。そこで何をしているんだ」
手に提げていた篭からジルにお菓子を差し出そうとした時、男性の声がした。
怒鳴っているわけではないけど、よく響く深みのある声だった。
声のした方を見ると、そこにいたのはプラチナ・ブロンドの長髪の男性。
彼もゲームでは攻略対象の1人だった、アラン王子の側近エドワードだ。
王子に忠実な、とにもかくにも真面目な人物だ。
彼の場合は、エドワード自身に対してよりも、アラン王子を尊敬する姿勢を見せる方が効果的という、難易度が高いんだか低いんだかよく分からない対応を迫られる。
そして今現在、どう答えるのが正解なのか、そもそも状況がよく分かっていなくて固まっているあたしに、エドワードは更に言葉を続けた。
「ここは身分のない者が理由もなく入れる場所ではない。ここで何をしているんだ」
――そうだったんだ。
確かに、こんな素敵な場所なのに他に誰もいなかったのはおかしいよね。
知らなかったとはいえ、ここは謝った方がいい。
「ご、ごめ」
「わたしは皆さまの部屋へ飾る花を摘みに参りました。これは日常の仕事として指示を受けていることです」
おどおどとするあたしと違って、ジルは隣で堂々と答えた。
「そして彼女は菓子作りに使用する花びらを取りに来たのです」
ああ、もしかして、最初からそういう設定を考えていた上で、ここに連れてきてくれたのかな。
「菓子作り?パトリックの遣いか?」
「い、いえ!パトリックさんは関係なくて」
パトリックの名に、つい力いっぱい否定しまうと、エドワードの視線がさらに厳しくなった。
しまった。
どうしよう。
「えーと、あの、あたしは」
汗だらだらで、どう見ても不審者の振る舞いになってきていると、どこからか聞いたことのある声がした。
「エミリーちゃんじゃないか。こんな所で会うなんて奇遇だね!」
ブラウンの長い前髪をかきあげながら、ヘンリーがこちらへ向かってきた。
「何なに?お菓子に使うバラでも取りに来たの?エミリーちゃんの作ったお菓子食べてみたいなー」
そうあたしに話し掛けながら、ヘンリーはジルの隣に立って当然のように肩を抱き寄せた。
ジルは一瞬固まってしまったが、すぐにいつもの調子でヘンリーに声を上げた。
「ヘンリー様!!どうしてわたしの、か、肩に、腕を乗せるんですか!?」
「ほらだって、イザベラがエミリーちゃんに手を出しちゃいけないって言うから」
「だからなんでわたしの」
「ヘンリー様。この娘をご存じなのですか?」
頭から湯気を出して怒るジルなんて気にしない様子で、エドワードはヘンリーに質問した。
「あれ?彼女こそ、このたびの祝賀パーティの要であり、王后陛下の客人エミリー・アンダーソンちゃんだよ!!エド!まさか知らないわけ?」
ヘンリーはにやにやとわざとらしく大袈裟に言って、エドワードを揶揄って面白がっているようだった。
「ああ、彼女が…。母上から話は聞いている」
そんな言葉とともに現れたのは、ハニー・ブロンドの髪にアクアマリンの瞳の中性的な見目麗しい青年。
側近のエドワードがいるということは、そういうことなのだ。
「アラン王子」
そう、彼こそが伊月が恋い焦がれていた理想の男性、アラン王子だ。
あたしは、あまりの感動にぽわんと惚けてしまった。
なんて美しい御方なんだろう。
王子の前ではバラさえも引き立て役に過ぎないほど、3次元になってもそのままの美しさだった。
「エミリー。わたしの側近が失礼な真似をして本当にすまない。真面目なのが長所なのだが、真面目すぎるのが欠点でもあるんだ」
困ったように微笑なされた麗しいご尊顔とその御言葉に、あたしは首が千切れんばかりに高速で首を横に振った。
田舎からきた小娘が王子を目の当たりにして緊張しているのだと、きっとその場の誰もが思っていることだろう。
王子はその田舎娘に対しても礼儀正しく謝罪の意を述べてくださり、かつ、その原因となった側近のエドワードにも謝罪を促してくれたもうたのだ。
その時雲の切れ間からのぞいた光は、まさにアラン王子の元へ天使の梯子が降りてきたかのごとく眩ゆく彼という存在を輝かせた。
もう眩しすぎて直視なんてできようはずがない。
思考もいっぱいいっぱいで自分でも何言っているんだか訳わからない。
そんなあたしの緊張をほぐそうとしてくれてか何も考えてないのか判断できないけど、ジルを後ろから抱き締めながら、ヘンリーがあたしに話し掛けてきた。
「エミリーちゃんはバラでどんなお菓子を作るの?俺はローズ・ティーが好きなんだけど、バラのお菓子って思い浮かばないなあ」
「ヘンリー様!」
ぷんすかとジルがヘンリーに怒ると、笑いながら手を外した。
「そうですね、ジャムを使ったお菓子とか?」
特に思いつかなくてそう言うと、アラン王子が我々の会話に加わってくださった。
「いいね。いつもパトリックが作ってくれているんだが、このバラで作ったジャムはとても美味しいんだ」
うっ。パトリック。
その名前に、一気に夢から戻されたような気がした。
それも王子の口からその名が紡がれると、尚のこと、なんだかダメージが大きい。
やっぱり彼は王宮の菓子職人なんだな。
「ところでエミリーちゃん。その篭の中からすごくいい匂いがするんだけど、何か入っているの?」
質問という形を取ってはいるけれど、そう言うヘンリーの顔は確信に満ちていた。
「今朝作ったお菓子です。よかったら…召し上がりませんか?」
「ええー。お菓子が入ってたんだあ。いやー、嬉しいけど、なんだか催促したみたいで悪いなあ」
悪びれずにそう言って、ヘンリーは遠慮なく篭の中のお菓子に手を伸ばした。
そしてそのまま口の中に入れて咀嚼する。
「んー。ん、ん、ん、ん~っ!うん!――美味い!すごい美味いよ!!これ」
かなりのハイテンションで声を上げるヘンリーに、アラン王子とエドワードもあたしのお菓子に興味を持った様子だった。
すでに食べているヘンリーと、アラン王子、エドワード、ジル、あたし。
篭の中に残っているのは4つ。
元々ジルに3つ、あたしは2つ食べるつもりで持ってきていた。
よかった。
丁度人数分ある。
「よろしければ、お召し上がりください」
そう言いながらアラン王子の
「ありがとう、いただくよ」
と篭の中から1つ取り出し、エドワードにも勧めた。
ふたりは物珍しそうにそのお菓子を見てから口に入れた。
「うん、これは…、確かに美味しい」
「でしょでしょ?」
「甘すぎず、上品な味ですね」
あたしは緊張で手のひらに嫌な汗を掻いていたけど、3人があたしのお菓子を喜んでいる様子に、安心して力が抜けた。
気付かないうちに体中に力が入ってガチガチになっていたらしい。
考えてみれば、日頃高級な物を口にしている高貴な方々に、あたしのお菓子を召し上がっていただくのは、これが初めてなんだ。
王后陛下については、本当に召し上がったのかどうか定かではないし。
ジルが口元に弧を描いて、肘で軽くあたしを小突いてきた。
ジルの存在にちょっとホッとして、そしてジルにも1つ手渡したのだった。
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