第8話 出発
そろそろ冬が来る。
冬の間は、あまり雪の降らないアーノルドおじさんの家で過ごすのが常だった。
おじさんの家には女の子がいないから、蝶よ花よと可愛がってくれている。
いつ着たらいいのか分からないようなドレスまで買ってくれていた。
今日もドレスとまではいかないけれど、あたしからするとお出掛け用の上等なワンピースを着せられていた。
髪もきれいにハーフアップにまとめられて、スージーの店で買った髪飾りを着けている。
「今日は何かあるんですか?」
何となく家の中の様子がいつもと違う感じがして、おじさんに訊いてみた。
「ああ。大事な客人が来るんだ」
じゃあ今日は部屋から出ないようにしないと…、なんて思っていたら、おじさんに
「エミリーも準備ができているようだね。客人が着いたら呼ぶから待っておいで」
と言われたから、どうやらあたしも同席しないといけないらしい。
部屋で待っていると、馬車の到着した音が聞こえて、家の前が賑やかになった。
アーノルドおじさんに呼ばれて客間へ行くと、そこには収穫祭の時におじさんと来ていた小太りの男性がいた。
「やあ、エミリー。どうも。元気そうだね」
「こんにちは。収穫祭ではありがとうございました」
あたしの言葉にうんうんと頷き、
「あのパンプキン・パイ、本当に素晴らしかったよ。私の知る限り、君は最高の菓子職人だ」
と両手を広げて熱く語ってくれた。
そして
「彼女がお話ししたエミリー・アンダーソンです」
と後ろにいた人物にあたしを紹介した。
後ろの人物が着ているのは普段見るような服などではなく、男性物なのに袖と襟にフリルが付いていて、腰には剣が携えられている。
実際に目にするのは初めてだけど、それが宮廷に従事する人であることはすぐに分かった。
「はじめまして、エミリー。お会いできて光栄です」
優雅に手を差し出され、あたしはドギマギしながら握手をした。
アーノルドおじさんはニコニコしている。
「さあ、エミリー。ここへ座って。君にいい話があるんだ」
おじさんに促され、あたしはおじさんの隣に座って宮廷の遣いの方の話を聞いた。
あたしたちの住む国は、今年で建国500年を迎える。
国内外から要人を招待してその祝賀パーティが行われる予定だが、あたしにそのパーティで振る舞うお菓子を作ってほしいということだった。
「いやいや。待って。待って。ちょっと待ってください。いくらなんでもそんな…」
動揺してうまく言葉の出ないあたしに、客人は前のめりでこう言った。
「いやいやいや。私はね、今までいろいろな国の有名な店のパイをたくさん食べてきたが、君のパイ以上の物は知らないよ。これを振る舞わずに何を振る舞えと言うんだ」
さらに遣いの方が続ける。
「実は、城の中にすでに君のパンプキン・パイを食べて知っていた者がいるんだ。その者からの強い推薦があり、食に厳しいこちらの彼に確認してもらったというわけなんだ」
確かに村の外から買いに来てくれる人はいたけど、まさかお城にまで繋がっていたなんて。
不安そうなあたしに、アーノルドおじさんが「大丈夫だよ」と言う。
お世話になっているおじさんの顔に泥を塗るわけにいかないし、恩返しになるかもしれない。
それもあるけど。
かつてママが、あたしのパイ以上のパイを焼けるお店がそうそうあるとは思えない、と言ってくれた。
それと同じことを客人の男性が言ってくれて…。
ママはあの時大袈裟に言ったのかもしれないけど、でも、本当なんだって、確かめたくなった。
「お受けします。よろしくお願いします」
あたしは決意を固めた。
祝賀パーティは王様のお城で行われる。
アーノルドおじさんの町からは何日も掛かるところにあるので、家で作って持っていくわけにはいかない。
お城の厨房をお借りして作らなければならないが、その日だけ行って作ればいいというものでもないらしい。
準備期間や、今の時期雪で到着が遅れる恐れがあることから、1ヶ月前にはおじさんの家を出発した。
宮廷の馬車に揺られながら、道中ひとりでぼんやりとレシピのことを考えていた。
宮廷での生活については、あまりにもかけ離れた世界であるが故に、不安になるどころかよくわかっていなかったように思う。
それから、幸いにも天候に恵まれたため、馬車は1週間も掛からずに城に着いた。
違和感を覚えたのは城門をくぐった時。
城の全景を見て、唐突に、それはもう本当に唐突に思い出した。
ああ、あたしは高鳥伊月だ と――。
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