第2話 祭りのはじまり

お祭り開始と同時に、あちこちで呼び込みの声や値切る人の声なんかが上がって、広場は一気に賑やかになった。

周囲の声で聞こえなくなるため、あたしもお客さんの声を身を乗り出して聞いて、大声で対応しないといけなかった。

ママのパンプキン・パイはあっという間に数を減らしていって、いつもの年よりもずっと早くに売り切れてしまった。

パパは店頭に並べきれずに後ろに置いてあった分から補充してくれつつ、残り少なくなってきた頃から、並んでいる人たちに残数を知らせていた。

それでも、あたしのパイも売られていたことから、もしかしたら買えるかもしれないと思って最後まで諦めずに並び続けている人たちがいた。

結局ママのパイが買えなかった人たちは、せっかく来たのだからとあたしのパイを買ってくれたり、そのまま何も買わずに他の店へ行ったりしていた。

そんな中、ひとりの男性が声を上げた。

「なんだよ。もうマーガレットのパンプキン・パイ売り切れかよ。いつもより早くねーか!?」

20代くらいだろうか。

見たことのない人だ。

おそらくこのお祭りのために村の外から来た人なんだろう。

そして店に並んでいるパイと、あたしの顔を見て忌々しそうに声を荒げた。

「娘のなんか置いてるからから数が少なくなるんだろうが!このために金や時間を掛けて遠くから来ている奴がどれだけいると思っているんだ!それを子どものお店屋さんごっこで無駄にさせるんじゃねーよ!!」

その言葉に、あたしはサァッと血が引いていくのを感じた。

確かに男性の言うとおりだ。

うつむくあたしの後ろにいたパパが、その男性に向かって大股で歩いていく。

拳を強く握りしめていて、すごく怒っているのが分かる。

隣の店のジェシカおばさんとかトミーおじさんとか、その他のお店の人やあたしたちをよく知っている村の人たちが、男性の怒声に気付いて構えるようにあたしたちを見ていた。

あたしの隣に座っていたママは、パパが男性に掴みかかるよりも前に、いつもの穏やかな笑顔で優しく男性に話しかけた。

「あたしのパイを気に入ってくださっているなら、きっと娘のパイも気に入ると思いますわ。ぜひ買っていらしてください」

だけど、男性は大袈裟にため息をついて言った。

「あのなあ、俺は毎年マーガレットのパンプキン・パイを買うために遠路遥々ここまで来てるんだ。周りの奴らにこのパイがどれほど美味いか広めてたっていうのに、こんなもん持って帰った日には『この程度の物のためにわざわざど田舎まで行っているのか』って馬鹿にされちまうわ」

「まあ。どちらからいらしたかは存じませんが、この程度以上のパイを焼けるお店がそうそうあるとは思えませんわ。わたしも勉強のためにいろいろな街で有名なお店のパイをいただいてきましたが、まっっっっったく参考にもならない物ばかりでしたもの。今年は初めての参加だからわたしの作った物より安めのお値段を付けましたけれど、味はちっっっっとも引けを取りませんのよ。こんなお値段でこんなに美味しいパイを召し上がれるのは今年だけですから、どうぞ買っていらしてくださいな」

ママがにっこりと笑顔を向けると、男性は虚をつかれて言葉を返せないような感じになり、さらにその向こうではパパが怯えた顔をして固まっていた。

パパがママを怒らせた時の口調そのままだったからだ。

そして隣の店から、ひよこのようなエリックが出てきて、いつもの無垢な笑顔で男に言った。

「そうだよ。エミリーのお菓子、おばさんのとおんなじくらいすっごく美味しいんだよ。ねえママ。もう僕もエミリーのパンプキン・パイ買っていい?」

あたしはそれまで小さくなっていたけど、ママとエリックに「ママの物と引けを取らない」と言ってもらったことで、背中を押された気になった。

意を決して、包みに乗せたパイを一枚男性に差し出した。

「一生懸命作った自信作です。絶対に後悔させませんから食べてください」

あたしは真っ直ぐに男性の目を見る。

男性は相変わらず睨むようにあたしを見ていて、周囲の人たちはこの様子を見守っていた。

ぐいとさらに手を伸ばしてパイを差し出した時、男性は「いらねーよ」と右手であたしの腕を払う真似をした。

それは本当に軽くだったけれど、生憎あたしの腕に当たってしまって、あたしの手の上にあったパイは、枯葉と砂の混じった地面の上に転がり落ちてしまった。

男性はバツの悪そうな顔をして、

「ほら。代金だ。金出すんだから問題ないだろう」

と、ママの前の空いているスペースにお金を放り投げて立ち去った。

パパが怒って男性を追いかけ、殴ろうとするのをパパの仕事仲間たちが止めている間に、男性の姿は人ごみで見えなくなってしまった。

あたしは自分が怒っているのか悲しいのかも分からずに、ただ絶対に泣くまいと耐えていた。

店の前に無残にうつ伏せに落ちているパイをそのままにしておくわけにはいかず、拾いに行こうとすると、その前にエリックが拾ってくれた。

「あ、ありがとう」

受け取ろうと手を出すと、エリックはパイをまじまじと見て、付いていた葉っぱや砂を払って言った。

「よかったね。崩れてないよ」

崩れていないからどうだというのか、エリックの発言の意味をはかりかねていると、彼は口を大きく開けて、ぱくっとパイにかぶりついた。

「ちょっ、エリック!!何してるの!汚いでしょ!」

驚いて止めようとしたけれど、エリックはパイを奪われまいと、一心不乱に続けて口の中へ入れていく。

頬いっぱいに詰め込んで、うるうるとした目をして、幸せそうに食べている。

そのまま一気に全部食べてしまうと、今にもとろけそうな顔をした。

「はあああ。美味しかったあ。しあわせ」

「…エリックぅ。駄目よ。落ちたの食べちゃあ。お腹壊しちゃう」

力なく叱るあたしに、おばさんから受け取った牛乳を飲みながら、エリックは当然のように言った。

「だって、こんなに美味しいのにもったいないよ。ものすっごく美味しいんだよ!捨てるくらいなら僕に全部ちょうだい」

あたしに気を遣ってくれた、なんてことは全然ないだろう。

いつもどおりの、食い意地の張った本心からの彼の言葉に、なんだか気が抜けてしまった。

「もう、エリックは本当にしょうがないわね」

なんだか笑えてきたのに、涙があふれて止まらなくなった。

すると、嗚咽を漏らすあたしの頭上から、商魂たくましいジェシカおばさんの大きな声が響いた。

「牛乳!!美味しい牛乳はどうだい!?パンプキン・パイによく合うよ!パンプキン・パイを食べるならぜひ買っていきな。搾りたての美味しい牛乳だよ!」

その声で、緊迫していたあたしたちの店の周りは、思い出したように賑やかさを取り戻した。

「あたしもそれ食べたいわ。ちょうどお腹も空いてきたし。ねえ、何かパイを切れる物はある?」

若い女性のグループが声を掛けてきてくれた。

「これを使うといいよ」

近くで茶屋を出していたおばさんが、切れ味のいいナイフを貸してくれた。

マーガレットのパンプキン・パイは大抵の人は家に持って帰って食べるから、今まで切って売ったことなんてなかった。

でも今回、エミリーのパンプキン・パイは、もうそれほど混んでいなかったこともあって、希望する人には切り分けることにした。

「ああ本当ね!これもすごく美味しいわあ」

その場で食べていった人たちは皆、お世辞でなく喜んでくれた。

「来年も買いに来るわね」

そういってくれる人たちが何人もいた。

エリックはあの後、自分のこづかいでまた買ってくれた。

ちなみに、ジェシカおばさんの牛乳もよく売れていた。


お昼になる前にパンプキン・パイはすべて売り切れてしまい、その後は用意しておいた焼き菓子を店に並べている。

あたしは約束をしていたマーサの店へと向かった。

残ったママの隣にはパパが座っていて、ふたりで昼食をとっている。

お気に入りのパン屋の出店で買ったもので、普通のパンとは違うもちもちとしたパンに切り目が入っていて、中に熱々のソースたっぷりの肉や野菜、チーズなんかを入れたものだ。

お互いに違うものを購入して、時に交換し、見ている方が恥ずかしくなるくらい仲睦まじく過ごしていた。

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