1回目 『恋するパンプキン・パイ』

第1話 エミリー・アンダーソン

黒い森を過ぎ、城門を抜けると、真白な城の全景が見えてきた。

宮廷の馬車に揺られて目にする、この風景。

あたしがこの城を見たのは初めてだというのに、既視感を覚えずにはいられなかった。


そうだ。

あたしはこの風景を知っている。


城を目にした時、突然、前世の記憶がよみがえってきた。

あたしは前世で高鳥伊月だった。

そしてあたしの今いるこの世界は、伊月の好きだったゲームの世界だったのだ――




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「エミリー。エミリー起きなさい」

ママの声が聞こえる。

「んー。もう少しだけえ」

ベッドの中の心地よさに抗えず、頭をシーツの中へと潜り込ませた。

「今日は一緒にお祭りのパイを焼くんでしょ」

「あ。そうだった!」

それを聞いてあたしは勢いよく飛び起きた。


今日は収穫祭。

村で採れた野菜や果物、そしてそれを使った料理や加工品など、普段から商売をしている人とお祭りの日だけ希望してお店を出す人によって、たくさんの屋台が設置され、夜にはダンス・パーティなんてのも催される。

中でも目玉はママのパンプキン・パイ。

いつも開店前からすごい行列が出来て、お日様が真上にくる前に売り切れてしまう大々々人気商品だ。

「マーガレットのパンプキン・パイ」といえば村の外でも評判で、わざわざ大きな街から買いに来る人までいる。

この日のためにママと馴染みのかぼちゃ農家のおじさんの所にかぼちゃを買いに行ったら、おじさん自ら美味しいカボチャを選び、いっぱいおまけもしてくれた。

「その代わりにうちの分残しておいてくれよ」と言って。


今年はあたしもパンプキン・パイを作ることになっている。

今までも簡単なお手伝いはしていたけど、先月12歳になったことだし、今回初めて自分ひとりで全部作るのだ。

もちろんお菓子作りはこれが初めてってわけじゃない。

ママはお菓子作り全般が得意で、あたしも小さい頃から一緒に作ってきた。

最近はあたしひとりで作ったお菓子だって、美味しいって友達の間じゃ評判なんだ。

でもパンプキン・パイは特別。

ママのパンプキン・パイを食べて幸せな気持ちにならないなんて人はいない。

まるで魔法のようなパイだって、みんな言う。


お祭り用のパイをあたしとママふたりが作るといっても、焼いたり運んで店に並べたりすることを考えると、いつもの2倍というわけにはいかなくて、全体の数としてはいつもの年とそれほど変わらない。

それでも、流石にそれだけたくさんのパイを朝だけで作るのは無理だから、昨日のうちにあらかた準備をしておいて、今日は仕上げと焼き上げるだけにしている。

焼き上げるだけといっても、火力や時間で味は大きく変わるから気が抜けない。

うちの窯は、同じくお菓子作りの名人だったおばあちゃんの代に大きめに造り変えられていて、普通の家庭よりも少し多めに焼けるようになってはいるけれど、それでも何回かに分けて焼かなきゃいけない。

まだ日の入り前の暗い時間。

眠い目をしばしばさせながら、ママといっぱい卵を割って黄身と白身と分け、窯に気を使いつつ、これから焼く予定のパイの表面にひたすら卵黄を塗っていた。


屋台の設営をしていたパパが戻ってきて、あたしたちの焼いたパイを荷馬車に乗せて運んでくれる。

「そっちのはママので、こっちはあたしの。絶対間違えないでね」

そう念を押すと

「大丈夫。ちゃんと分かるよ」

と笑って持って行ってくれた。

見た感じそんなに違わないと思うんだけど、パパは一度も間違えたことはない。

さすがママのファン第一号を自称するだけのことはある。

ふたりがまだ若かった頃、収穫祭でおばあちゃんのお手伝いをしていたママと出会い、手作りの焼き菓子を食べて恋に落ちたのだそうだ。

それから熱烈なアピールを続け、今に至っている。

ママはパパの好きな物をたくさん作って、パパはいつもママを気遣っていて、本当に仲良しで羨ましい。

あたしだって、もう少し大きくなれば自然と恋をしてボーイ・フレンドが出来て、夏季休暇は男女交えた友人たちと海なんかに行ったりして、街の大きなお祭りや旅行なんかでドキドキのドラマがあって……なんてことを、最近ちょっと夢見ている。


屋台の並ぶ中央広場に着くと、まだ薄暗いのにたくさんの人たちがお店を設置したり商品を運び入れたりして賑わっていた。

誰もがそれぞれせわしく準備に動き回る人ごみの中、あたしたちもパパの用意してくれた屋台に辿り着いてこれから売りに出すパイを並べていると、隣のお店のおばさんが気付いて挨拶してくれた。

「あらおはよう。マーガレットとエミリーの隣なんてラッキーだわ。一番に買っちゃおうかね」

「おはよう。あたしもジェシカの隣でラッキーよ。今日は何をいただこうかしら」

「おはよう。今年はあたしのパイもあるのよ。ジェシカおばさんも食べてね」

「それは楽しみだ」

ジェシカおばさんのうちは酪農をやっている。

今日は日持ちのするチーズ類を中心にして、ヨーグルトや搾りたての牛乳も売りに出すそうだ。

ママの2倍はある大きなお尻を揺らしながら、いろいろな種類のチーズを並べているジェシカおばさんの向こうでは、夫である細くて背の高いトミーおじさんが大きな容器を運び入れていた。

その後ろから、ひょうこひょことひよこのように息子のエリックが、前が見えないほどの大きな荷物を抱えて付いてきていた。

「あ。エミリー!」

あたしを見つけて駆け寄ろうとして、エリックは荷物ごと前に転んだ。

「何やってるの!?」

近づくとえへへと笑っていたけど、細くて柔らかな黄色の髪はぼさぼさだった。

あたしも一応金髪だけど、ベージュに近くてくせっ毛なのに対して、エリックの髪は本当にひよこのような黄色でふわふわだ。

幸いにも手に持っていた荷物は壊れ物ではなく、おじさんとおばさんもいつもの光景に笑っていた。

エリックはあたしより5歳年下で、よくお菓子の試作品をあげていたから、餌付けしたようにあたしに懐いていた。

同じ年頃の子たちの中でもかなり小柄で、言動もちょっと幼く感じる。

だからか、あたしもついつい小さい子を相手にするように構っていた。

「エミリーのお店、いい匂いがする」

すんすんと鼻を鳴らしてうちの店に近づく。

「マーガレットのパンプキン・パイ!楽しみにしてたんだ」

パイに触れそうなほど顔を近づけるエリックを制して

「今年はあたしが作ったのもあるのよ」

と自慢げにいうと

「えー!エミリーのママのと全然区別が付かないや。ぜんぶ美味しそう」

すごいねえ、すごいねえ、と今にもよだれを垂らしそうな満面の笑みを浮かべて言った。

「早く買いに来ないとすぐに売り切れちゃうからね!」

「うん!」

じゃあ早く自分の仕事を終わらせないと、なんて、おじさんにも急かされて、エリックはちょこまかと何度も荷物を抱えて往復したり、お遣いに出掛けたり忙しく走り回っていた。


お店を開ける少し前には、同じ学校の女の子たちが敵情視察と称してそれぞれの店を見て回り、うちの店にも顔を出してくれた。

「マーサの所はジャムで、スージーの所はアクセサリーね。お昼にはあたしもここを外れていいって言われてるから、一緒に回ろうね」

マーサのうちは果樹園を営んでいて、お祭りにはいつも花梨やミックスベリーなんかの美味しいジャムを出している。

スージーのところは雑貨屋さんで、今年はスージーの提案で女の子の喜ぶアクセサリーを中心に売るらしい。

確かにスージーの友達を呼ぶにはその方がいいと思う。

ふたりとは後でマーサの店で落ち合う約束をして、手を振って別れた。

彼女たちの店は、中央広場ではなく西の広場にある。

店の前にはそろそろお客さんが集まり始め、パパが声を掛けて列整理をしてくれている。

辺りも明るくなってきて、村長さんのラッパが鳴った。

さあ、お祭りの開始だ。

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