凛音転生〜廻り巡る物語〜
日和かや
序章
「じゃあね。
「うん。ばいばい」
1学期の終業式の後、そう言って手を振って、仲のいい友人たちと別れた。
「夏休みは一緒に遊ぶつもりはないってことかぁ」
ため息をつきながら、ひとり空を仰ぐ。
別に仲が悪いとかいじめられているとかそんなことはなく、単にみんなアクティブじゃないだけで、夏休みにわざわざ出掛けようなんて思わない子たちばかりだから。
いまだに名字に「さん」付けだし。
高2になって同じクラスになって、自然と一緒に行動するようになった友人たち。
学校ではくだらない話で盛り上がって楽しく笑い合えるけれど、学校の外では遊んだことはない。
あたしの家が遠いっていうのもあるんだけど。
特に優秀というわけではなく、かといってそれほどは悪いわけでもない学力で、それなりにまあまあ良い学校でどうしても共学に行きたいと思って高校を選んだ結果、家から結構離れたこの学校になったのだ。
――高校生になれば自然と恋をして彼氏が出来て、夏休みは男女交えた友人たちと海なんかに行ったりして、文化祭や修学旅行ではドキドキのドラマがあって……
なんて思っていた時期が自分にもありました。
しかし何にもありません。
何にも。
全く。
あんなの都市伝説だから。
ドラマや漫画の中だけの空想物だから。
ほら、よく「この物語はフィクションです。実在のものとは関係ありません」て書いてあるじゃん。
そもそも、共学だというのに男子とはほとんど口を利いたことがない。
普通に喋っている人たちは、一体どんなきっかけがあってそうなったのか。
別に顔はそんなに悪くないと思うんだけな。
性格も。
多分。
そういえば去年仲良くなった友達も今の友達と似たような感じだった。
思い返せば中学生の頃も。
中学生の頃は、同じ学年にいた従妹とよく一緒にいたけどね。
こういうあたしとは全く違う従妹と、ね。
ちょっと憂鬱な気持ちで電車に乗り込み、当分の間は開く予定のない扉の近くに立ってガラスに頭を預け、夏休みをどうするか考えていた。
「まあ、どうせゲームするんだけど」
来週発売予定のゲーム。これは絶対やる。
ごくごく普通の女子高生が異世界に召喚されて、龍王たちと恋をしたり世界を救ったりする恋愛シミュレーションゲーム。
いわゆる乙女ゲームだ。
「それまでもういっぺんあれやっとこうかなあ」
誰にも聞こえない声で呟いた時、お尻の辺りに何か違和感を覚えた。
ちょっと当たっているだけのような感じだけど、絶対に偶然じゃない。
混み合ってきた車内。
人と触れ合わないのは不自然だ。
とはいえ、どんなに避けてもぴったりとくっついてきて、明らかに意図を持って触ってきているのがわかる。
気持ち悪い。
振り返って顔を見られるのは怖いし、周りの人に痴漢されているのを気付かれるのは恥ずかしい。
だからといって好き勝手にされるのは吐き気がするほど気持ち悪いし悔しいけど、体は固まって動けなくて逃げられなくて呼吸は苦しくて喉はカラカラで声も出せなくって。
時間が永遠のように長く感じられて涙が出そうになったとき
「この人痴漢です」
その男の高く手を掲げて大きな声で周囲に訴える美少女がいた。
「な、なに言っているんだ。違う。冤罪だ。離せっ!訴えるぞ!!」
怒気を込めて手を振り放そうとするサラリーマン風の男に対して、美少女は吐き捨てるように言った。
「何が冤罪よ。気持ち悪い」
進学校の制服を纏い、長い黒髪を揺らした美少女は続けてこちらを見た。
「あなたも見てたわよね」
有無を言わせぬ強いまなざしに、あたしは涙を湛えた真っ赤な顔で、ただ「うん。うん。」と頷くことしか出来なかった。
それから、周囲の男性客たちの協力もあって痴漢を無事に駅員へと引き渡し、あたしたちは再び電車で揺られている。
「ほら、
停車して一人分だけ空いた座席。隣はどちらも女性。
「ありがと。
さっきのお礼がまだ言えていないから、今のお礼にその意味も込めて言った。
美少女こと
痴漢に遭ったことは、もう思い出したくないし、今すぐ記憶から消してしまいたい。
口にするのも悍ましく思うあたしの心情を察してか、それについて凛音も何も言わなかった。
凛音は、同じマンションに住んでいるあたしの従妹だ。
あたしより3ヶ月遅く産まれた。
幼い頃はあたしよりも小さくて、さくらんぼ計算の意味が解らないという凛音にあたしが根気よく教えたこともあった。
それが中学校に上がる頃には身長を抜かれ、現在進学校でも上位の成績を収めているらしい。
「伊月も明日から夏休み?」
「うん。凛音も?」
「うん、でも実質休める日はあんまりないんだよねえ。ハンドボール部の合宿とか試合とかあってさ」
「ハンドボール部!?何それ。初めて聞いた」
「夏休みの間だけね。今度の大会で部員が全員引退するから休部になっちゃうんだけど、人数が足りなくて最後だからどうしてもって頼まれて」
「…ふーん。凛音運動神経いいもんね」
「でもハンドボールなんて授業でしかやったことないから、ルールから今叩き込み中。大変だよ」
大変だと言う割には、すっきりとした顔に見える。
「生徒会は?生徒会長になるんでしょ?ママから聞いた」
凛音の顔を見ずにうつむきながら訊くあたしの声は、少し卑屈っぽいかもと我ながら思った。
青春を謳歌している凛音は、そんなあたしの態度を気にする様子はない。
「生徒会長になるのは後期からだよ。まあ、ハンドボール部の大会が終わって、夏休みが終わる前に引継ぎする感じかなあ」
「そうなんだ」
全く気持ちのこもっていない受け答えをしながら、現実逃避という意味では耳に入れたくないけど、でも確認しておきたかったことを訊いてみた。
「じゃ、じゃあさ、彼氏と会う暇なくなっちゃうねっ」
凛音から直接彼氏の話は聞いたことがない。
しかし去年、お兄さんが凛音と同じ高校に通っているというクラスメイトが話していた。
何でも、昨年の体育祭でチームリーダーとなった3年生が、同じチームの1年生である凛音に一目惚れをして、体育祭閉会式に表彰台で優勝旗を片手に告白し、見事カップル誕生となったのだとか。
なにその青春ドラマ。
凛音は一瞬、あれ?という顔をしたものの、それほど気にした様子はなく、あっけらかんと答えてくれた。
「ああ、先輩のことだったらもう別れたよ。卒業して遠距離恋愛になって、自然消滅に近い感じかなあ。あ、でも仲が悪くなったとかじゃないから時々連絡もするし、こっちに帰ってきたらみんなで一緒に遊びに行く約束はしてるよ」
「――海、とか?」
「ん?あー、海も行く、かな?」
なんて破廉恥なの。
男女交えた友人たちと海へ遊びに行くなんて。そんな充実した夏休みの過ごし方が実在していたなんて。
「伊月は?どっか行くの?」
当然の話の流れの質問に、何か格好いい返しをしてみたかったけど、あいにく手持ちの札は全くなく、しぶしぶと正直に答えた。
「ゲームする」
「いいなあ」
そういって破顔する凛音の顔に嫌味は感じられず、ゲームなんてやらないくせに本当に羨ましそうだった。
「あたしもそんな風に自分の好きな事ずっとやって過ごしてみたいな。ほら、特に趣味もないしさ」
大抵のことは要領よくこなしてしまう彼女の何かに熱中した姿というのは、確かに見たことがない。
「ゲームってあれ?あのお菓子作りがどうとかっていう?」
「まあ、うん。それもやるつもり」
凛音とゲームの話をすることなんてないけど、こないだ凛音の弟で小学2年生の
『恋するパンプキン・パイ』
お菓子作りの得意な少女がその腕を見込まれて宮廷でお菓子作りをすることになり、そこで高貴な殿方たちと出逢って、素敵な恋愛を繰り広げる乙女ゲーム。
ここ最近のあたしは、この王子様に疑似恋愛というか、もう本当に恋かっていうほど熱を上げて入れ込んでいた。
お菓子作りの描写も結構こだわっていて、実際に手作りする人たちからも好評を得ていた。
うちは誰もお菓子作りなんてしないから、道具も何もないし詳しいことはよく分からないけど、ちょっと憧れる世界だった。
「凛音はお菓子作りってしたりする?」
「いや、そういうのは全然。食べる専門だなー」
「だよねー」
せめてあたしがお菓子でも作れたら、凛音に対してこんなにコンプレックスを抱くことはなかったかな。
凛音に続いて電車を降り、二人並んで駅の階段を下りる。
「今年は家族でどこか行かないんだ?」
「あたしはね。渉太は父さんたちと日帰りで色々行くみたいだけど」
うちの両親は「休みの日ぐらい家でゆっくり休みたい」という人たちなのに対して、凛音の両親は「休みの日ぐらい皆で出掛けよう」という人たちで、ついでにあたしも子どもの頃は一緒に色々連れて行ってもらっていた。
おかげで両親との思い出は薄いけど、夏休みの思い出の作文に困ることはなかった。
「うちの親、本当は伊月とも一緒に出掛けたいんだよ。渉太もね」
「あはは。いやー。流石にねえ。それは」
同い年の凛音がいるならまだしも、他家族の中に自分ひとりというのは、いくら親戚でもちょっと気を遣う。
押見家の方々が愛情深いのは重々承知だけど。
凛音とあたしがこんなに違う成長を遂げたのには、やっぱり家庭環境が大きいのかなって思う。
全部じゃないけど同じDNAが入っている筈だし、同じような場所で生まれて小中学校は同じで、なのに。
別に両親が悪いとは思わないし、何の恨みもないけど、時々「もしも」と思うことはある。
例えば今とは違う環境で育っていたら、あたしと凛音はどうなっていただろう、なんてね。
閑散とした駅前の、信号のない横断歩道。
子どもの頃から見慣れている通い慣れた道。
いつもどおりに足を踏み出して、ふと流れ始めた音楽。
人形たちが、からくり時計の中から姿を現して踊り始めた。
その珍しくもない光景を無意識に見ていたとき、それは突然起こった。
多分一瞬の出来事だったのだろうけど、あたしにはスローモーションのように思えた。
実のところ、何があったのか詳しくは分からなかった。
猛スピードを出した車の音と、目を大きく開いた凛音があたしに向かって伸ばす両手。
気が付くとあたしは倒れていて、そういえば凛音に突き飛ばされたんだっけ、なんて思った。
遠くに聞こえる救急車の音。
近づいてくる筈なのに、どんどん小さくなっていく。
ああ、たしか人間の五感で最後に残るのは聴覚だって聞いたことがあるなあ…
高鳥伊月の最期の思考は、そんなのんきなものだった
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