第13話4月8日 (2)
部室棟の屋上には、家という名のテントが張られていた。ハルはテントの前に置かれた椅子に座り空に浮かぶ星を眺めている。ハルの目は赤く染まっていた。
抱きしめられたギターはハルを慰めるようにそっと寄り添っている。その赤く染まった瞳はハルのものか、それとも宇佐木のものか。分からないけど、ギターに対する愛情は昔と今も全く変わらない。俺はハルの前の地べたに座り笑う。
「ハル、昔もそうだったけどなんでそんなにギター好きなんだ?」
ハルは微笑みながら口を開いた。
「小さい時から耳が良すぎてて日常に溢れる音が嫌いだった。すぐに頭痛くなったり音に酔ったり。」
あー、それは凄く分かる。今の俺がまさにそれだ。日常にある音は綺麗じゃないんだ。音程がズレまくってる曲をずっと聴かされているみたいだから。
「幼稚園とか学校が最悪だったのは今でも覚えてる。嵐の中に放置された気分になってたなー。よく耳栓して学校行ってたら先生に怒られて親が呼び出し受けてたわ。」
「あ、俺もそれした事ある。流石に親が呼び出し受けた事は無いけど。」
今まで誰に言っても分かってもらえなかった。はしゃぎ回る同い年の子の声が、軋む遊具の音が気持ち悪く聴こえるなんて、音楽をしている両親さえもそのうち慣れるから大丈夫だの一言。でも全然慣れる事が出来なくてその内、おかしいのは自分の方だと理解した。
「いくつだったかは忘れたけど、海外のアーティストがギター弾いてるのを聴いてびっくりしたよ。それまで音は鬱陶しい存在でしか無かったのに初めて綺麗だって感じたから。これだ!って思ったんだよな。ギター始めてからは前ほど周りの音が気にならなくなったし、なんかあってもギター弾いときゃすぐ忘れられた。ギターと音楽は嘘つかないから。」
俺がハルの音を聴いた時も同じ事を思ったよ。これだ!って。両親の影響でなんとなく始めたギターが生きてるところを初めて見た。キラキラに光輝くギターで曲を弾きたくて夢中で練習した。
始めはどうやってもキラキラ歌わない俺のギターが憎たらしくて壊してやろうと思った事もあったけど1年、2年と付き合ってると段々ギターの声が聞こえ始めたんだ。こうやって弾いてくれとか今日はあんま調子よく無いんだとか。手に取るように分かるんだ。
俺も思うよ、ギターは嘘をつかないって。でも、どうやっても1人の音には限界があって、仲間を求める為に始めた作曲家は苦痛にしかならなかった。
「なぁ、ハル。今ここでそのギターを弾いてくれないか?」
「どういう風の吹き回しだ?ずっと聴きたくないって言ってただろ?」
「うん。でも、今の話を聴いて決断、出来た。最後にハルが弾くギターで俺は音楽に蹴りをつけるよ。ずっとどこかで期待していたんだ。もう1度ギターの音が聴こえるかもって。でも期待するのももう、疲れた。だからハルが弾いてる所を見てちゃんと諦めたい。」
昔はギターが全てだった。ギターを失ってなにも残らなかった自分にゾッとした。それからずっと歩けずにいた。でも今は、ハルのお陰でちゃんと前だけ向いて歩いていけると思うよ。だから、俺が歩き出せたら、ハルを宇佐木を見つけに行くよ。だから歩き出す勇気を、俺にください。
「トビ、ギターの音が聞こえなくなった原因が分からないって言ってたけど、思い当たる理由ぐらいはあるんじゃないのか?」
確信をつくような言い方をするハル。
「、、、あるよ。」
今まで誰にも相談出来ずにいた。だって信じてくれるなんて思わなかったから。ハルは受け入れてくれるだろうか。
「作曲家をしてたって言ったろ?最初は自分の曲が歌に変わるのが嬉しくて仕方なかった。でも、だんだん音が濁って聴こえてくるようになったんだ。異物が挟まったみたいな。」
「それは、大人に曲を変えられたって事か?」
「うーん、俺が作りたい音と求められる曲に誤差が生まれて始めたって感じかな。それがどんどん強くなっていって言い争う事が多くなっていったんだ。それと同時期ぐらいに念願だったバンドを組んだんだ。でも、俺の作った曲を俺の思った通りに弾ける奴は誰もいなくていつもイライラしてた。どんなにレベルを下げてもただ弾けるだけの音で、それがどうしようもなく嫌だった。」
「音、か。弾けるだけの音と、想いが伝わる音は全くの別物だ。でもそれが分かるような奴が中学生ではごくわずかだろう。それも生活音が雑音に思える違和感を持つ程になったらもっと絞られるだろうな。」
「今なら分かる。でも当時の俺は視界が狭くってバンドメンバーから疎まれて、作曲活動でも大人と揉めて、息をするのも苦しかったんだ。で、念願の初めてのライブの一週間前、何もかもが壊れた。」
喉に何か詰まっているようで息が浅くなる。もうこの話をしても大丈夫だって思っていた。でも、俺が思っている以上にあの出来事はトラウマになってしまっていたんだと改めて思った。ハルは黙って俺の話の続きを待っていてくれる。
「その日はいつも通り、出来上がった曲を大人達に聴かせて揉めて、バンドメンバーとの練習で喧嘩して、もう俺の求めていた音が分からなくなっていた。俺は間違ってないと思ってたし、絶対にいい歌になるって信じていたその絶対が分からなくなってしまった。家に帰ってギターを書き鳴らした。
俺の求める音はこうじゃない、もっと綺麗で軽やかで、何が違う?なんで分からない?と、怒りをぶつけるように。で、俺はこう思った。才能のない奴は音楽をさっさと辞めてしまえって。」
一息入れて空を見上げる。空は曇っており、星は見えない。代わりに大きい満月が俺達を見下ろしている。
「これは俺の罰なんだって思ってる。卑屈で自分中心な考えしか出来なかった俺はかき鳴らしたギターの弦が切れるのと同時に音が聞こえなくなった。」
今まで、音楽は俺の全てで、それを邪魔する者は全員敵だと、そんな奴ら消えてしまえと思っていた。そんな俺はギターから見放されてしまったのだろう。お前にギターを弾く資格は無いと。
「なぁ、トビ。お前は音楽に対する接し方を間違えたのかも知れない。でもお前はまだ若い。間違うなんて誰にでもある事さ。それにな、ギターの弦が切れたならまた新しい弦を張りなおせばいいんだ。お前が諦めるのはまだ早いんじゃないか?」
俺の言葉になんの疑いもなく言葉を返してくれるハルはギターを構える。ハルの音も俺には聞こえないだろう。昔のハルのライブ映像でも、両親のライブでもギターの音だけが全く聴こえなかった。
医者と音楽に見放された俺にもう、音が届く事はない。でもそれでいい。ここから前に進むよ。ハルは音楽を諦めるにはまだ早いっていうけど、俺の音楽人生はここで終わる。それでいい。ハルとギターを優しい見つめ、音楽に別れを告げた。
ジャーーーン!
どこかのステンドグラスが割れる音がした。光を反射しながら降るガラスは色とりどり。輝く黄色に陰る赤、俺の周りに円を描くように降り積もる。ハルは変わらない。今も昔も俺に魔法をかけていく。撫でるように弾かれたギターの音は空気に触れて屋上いっぱいに広がる。久しぶりに聴くギターの音は、いとも簡単に俺の中に入ってきた。目を見開く先にハルの横顔。髪の毛で隠れているが口元は笑っている。
「なぁトビ、俺の音は聴こえてるか?」
ギターに顔を落としながら喋るハルの声とかき鳴らすコードの音。ああ、全部全部、びっくりするほど聴こえてる。もうギターの音なんて聴こえなくなってたと思ってたのに。諦めていたのに!ハルの音は昔のキラキラ光ってた音とは少し違うけど、それでも嘘のない綺麗な音だった。自然と溢れる涙は止める事なんて出来なくて頬を伝ってどんどん流れて落ちていく。
「おーい、聞いてんの?」
「きこ、え、てる。なんで?諦めるつもりだったのに。」
「だから、いったろ。切れた弦はまた張り直せばいい。ほら、今度はトビの番だ。俺様の曲を作れ。」
なんだ。俺はまだ、ギターの音が聴こえるのか。それともハルの音だから聴こえてるのか?なんだって構わない。たったの一瞬、たったの1コードが俺の干上がった身体に水を落とす。ハルに渡されたギターを抱きしめて、ギャンギャン泣いた。
「ハル、、あり、がどう。ありが、とう。」
泣き散らす俺にハルは優しく頭を撫でてくれた。しばらくの間、辺りは俺の泣き声と俺達を照らす満月に温かく包まれた。
「ハルはどんな曲がいいんだ?」
「そーだなー、。あったかい感じのやつがいい。」
「ざっくりし過ぎだろ!」
散々泣き散らして、落ち着くとハルが早く曲を作れと催促し始め、今に至る。俺も久しぶりのギターで音が早く鳴らしたくてうずうずしていた所だったので丁度いい。それに今なら、ハルのそばでなら、いい曲が出来る。そんな気がして、俺はギターを優しく撫でる。大きな満月と肌寒い風、隣には大好きなハル。俺にとって最高の舞台だ。
ああ、音が、メロディーがどんどんあふれてくる!
「それ、いいな。そのまま弾いてくれ。俺様が歌詞をつけるから。」
「分かった。」
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