第11話 4月7日

2019年4月7日(日曜日)


 時計は12時を指している。だいぶ寝込んでいたらしい。だが身体はすっかり元気になっていて汗ばんだ服が気持ち悪い。ベッドのそばにはスポーツ飲料水と置き手紙が置いてあった。


『起きたら少しだけでもご飯を食べましょう。リビングで待ってます。』


 そういえば昨日の晩はハルがお粥を持って来てくれたんだ。食べたくないと言う俺に無理やりスプーンを突っ込むから致し方なく食べた。

 熱が出たのなんていつぶりだろうか、元々身体は強い方だと自負していたけど、よく考えてみたら金曜日にプール飛び込んだな、俺。

 自分からハルを引っ張り飛び込んだのに俺が熱出して倒れるなんて情けない。熱の原因が分かったところで汗を吸った服がどうにも気持ち悪くて着替えを済まし、リビングへと向かった。


 自室の扉を開けるとリビングの方から微かに音が伝わってきた。これは話声ではなくて歌声?

 徐々に近づいて行くと聴こえてくる声はやっぱり歌声だ。これはハルの声。ハルが歌っている。歌っているのはなんて懐かしい曲だろう、リトルモンスターだ。アカペラで歌うハルの声は昔と何ひとつ変わらない、軽やかにスキップしながら俺の耳に入ってくるんだ。

 そう言えば、昔はよく鼻歌で曲を口ずさんでいたな。あんなに歌と楽器の事が好きだったハルが再会してから歌っている姿を見せることをしなかった。俺に気を使っていたのか。いや、ハルはそんな気を使えるタイプじゃない。

 再会してから激動のように流れる時間のせいでハルの職業を忘れそうになっていた。心地の良い声に釣られ、間近でその声を聴こうとリビングに脚を踏み入れた俺は落胆した。確かにハルは歌っていた。だけど、そのハルは液晶画面の中。アカペラだと思っていた音にはギターが鳴っているはずだった。


「宇佐木、それ早く止めろ。」


 ソファーの前にいつの間にか置かれたテレビ。そこに映っていたのは俺が10年前、ハルに招待されて行ったライブの映像が映されていたのだ。宇佐木は食い入るように映像に夢中になっていて俺の存在にも気付いていないみたいだ。声にならない苛立ちと期待を裏切られた様な絶望感が俺を襲う。


「なぁ、早くそれ止めろって言ってんだろ!」


 中々止まらない映像に怒りをぶつける様に叫んだ。ようやく俺の声が宇佐木の耳に届いたらしい。身体をビクつかせ俺に顔を向ける彼に益々腹が立った。


「なんで、、なんでお前が泣いてんだよ!泣きたいのは俺の方なんだよ!」


 意味が分からない。なんで宇佐木が大粒の涙を流して、今まで見た事がない苦しそうな顔をしてんだよ!その歌を聴いてそんな顔になる訳がないのに!

 怒り、絶望、悲しみ、疑問、俺の中の感情は無茶苦茶だ。その場に居るのも嫌になって俺は再び自室に戻った。


 部屋に戻って30分が経った。気まずくて部屋から出られないが腹は減った。流石に空腹も限界にきてしまったので仕方なく部屋のドアを開けようとした時、玄関の方で扉が開く音がした。誰か来たのか、出て行ったのか分からずそっと部屋の扉を開いて玄関を確認した。玄関には誰もおらず、宇佐木が出て行ったのだと確信した。

 内心ホッとしている自分がいる。怒鳴り付けたの悪いと思うが、同居する時のルールを破った宇佐木に謝るつもりもない。今は顔を合わせたくないのは、宇佐木がすぐに謝りにきたら許していた自信がなかったからってのもある。俺だってそこまで出来ている人間じゃない、ルールを破った宇佐木に裏切られた様な気持ちを抱いているんだ。ため息を1つ吐いて誰もいないリビングに向かった。


『昼、夜ご飯を冷蔵庫に入れてあります。なるべく食べて下さい。ごめんなさい。』


 テーブルの上には宇佐木の字で書かれた紙が1枚置いてあった。こういう事をされるから嫌いになりきれないんだ。いっそ、宇佐木がめちゃくちゃに嫌な性格をしてくれていてば、迷わず家から追い出せただろうに。

 俺は家を出て行った宇佐木はどこに行ったのだろうかとか考え始めてしまったいる。本当に救えない。冷蔵庫から冷たいオムライスを取り出し、なんの音もないリビングでただ1人、赤いケチャップを見つめては、ため息を漏らした。


 宇佐木が家を出てもうだいぶ経つ。時計は21時を指している。流石に心配になってはいるがそういえば宇佐木の連絡先を知らないんだ。いつもどこでも一緒にいたからそんなもの聞いてすらいなかった。

 高2なのだから自分でどうにかできるかだろうとは思うが、もしもの事があったりしないだろうか。リビングをぐるぐる歩いて落ち着かない俺の足の小指が触れたのは1本のDVDだ。

 これは俺が観に行ったTop Runnerのライブ映像だ。俺が怒鳴り散らした原因でもある代物。いつの間にか設置されたテレビはリビングに堂々と居座っている。テレビに映るのは俺の顔。真っ黒で睨む瞳からは何も感じない。俺の魂は、感情は、もう自分の中にないと言われている様で、それを写すテレビが怖くて画面を壁に向けた。


 時計は22時を指した頃、俺の携帯に1通のメールが届いた。宇佐木からの連絡かも知れないと慌てて開いたが、通知は父さんからでがっかりした。一応メールに目を通すと、メールと一緒に動画が送られていた事に気づく。


『ハルカ君にライブ手伝ってもらえて助かったよ。今日は実家に泊まって明日このまま学校に向かわせるよ。

 ハルカ君の出てくれたライブの練習風景だよ。観てみなさい。』


 どういう事だ?そういえば父さんは今ライブツアー中か。とりあえず宇佐木が無事なのが分かって安心は出来た。それでもなんで父さんのライブに宇佐木が出てくるんだ?不思議に思い動画を再生する。


「え?」


 動画に映っていたのはキーボードを弾く宇佐木の姿だった。弾く手はかなり手馴れており、綺麗な音を鳴らしている。でも何処か、何か足りない。音からは何も感情を感じない。楽しいとか、悲しいとか。楽器はその人の感情を表す道具に過ぎないのに、宇佐木のキーボードからは何も感じない。まるで昔の俺の音みたいだ。


 ハルの映像を観て苦しく泣いていた宇佐木。楽器から何も表現しようとしない宇佐木。お前に一体、何があったてって言うんだよ。

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