第9話 4月5日

2019年4月5日(金曜日)

 この日もハルの暴走は更にスピードを上げて突き進む。朝、朝食を食べ終えた宇佐木は先にマンションの下で待っていると言い残し家を飛び出して行った。コンビニで買いたい物でもあるのだろうと思った俺がバカだった。


「今、どっちだ?」

「ハル様だ!さぁ、早く乗れ!」


 マンションの下に少し遅れて向かうと、どこから持って来たのか聴きたく無いが、聴かざるおえない状況に陥る俺がいた。


「ハル、そのチャリどっから持ってきたんだ?」

「トビが盗んだバイクじゃ走り出せないって言ってたからな。チャリなら良いのかと反省したんだ。さぁ、2人乗りで学校まで行くぞ!」

「バイクもチャリも駄目に決まってるだろ!」


 その場にしゃがみ込む俺とチャリに跨がるハル。昨日の晩、やっぱり一発殴っておくべきだったとこちらも反省した。


「心配するな!向こうのマンションにずっと不法投棄されてたチャリなんだって。管理人に聴いたから間違いない。貰ってくれたら助かるって言われたし、なんの問題もない。」

「あ、そうなんだ。」


 ちょっと安心した。そういう事なら別に問題もないだろう。俺もチャリに跨がりペダルを漕いだ。自転車を2人乗りなんて青春を味わったことの無かった俺も満更じゃなくて、意外と重いペダルと後ろに座るハルの熱を背中に感じながら走る。いつもなら15分掛かる道のりを10分で駆け抜けた。自転車に乗るのも久しぶりだったから、結構楽しくて周りが俺達に向ける視線なんか気にもしない。

 校門をくぐって生徒用の駐輪場まで行く途中、残念な事に担任と出会ってしまい、俺達はまた相談室まで連行されてしまった。


「2人乗りは危険だろ。もう絶対にするなよ!」

「すいませんでした。」


 流石に今回は怒鳴り散らされ、俺達が教室に着いたのは昨日と同じ、1時間目が始まってからのことでした。

 

 2限目、古典。

 古典担当の教師は年配のお爺ちゃん先生で生徒からは〝トヨ爺〟の愛称で親しまれていた。授業スタイルは黒板に延々と文字を書きながら喋るという、生徒からしてみれば1時間ずっと説法でも聴かされている気分になる授業だ。いつもなら静かなこの授業が今日はやけに騒がしい。

 何故か生徒がクスクス笑っているのだ。注目を集める先に視線を送るとそこにいるのは、やっぱりを付けた方がいいだろう。やっぱり宇佐木だ。何をしているか、ベタに早弁している。

 青春アニメでよくありがちな、教科書を盾にして弁当を隠し、トヨ爺が黒板に文字を書き始めると同時に弁当を食べ進めていた。側から見ているとトヨ爺と宇佐木の2人だけでダルマさんが転んだでもしているみたいだぞ。その姿に生徒はほぼ全員が宇佐木に釘付けになっていて、これはもう授業になっていない。トヨ爺には悪いが面白かった。

 

 3限目、日本史

 俺と宇佐木は20分の遅刻をしていた。その原因は俺達が全身ずぶ濡れになっているから。何が起きたのか、それを話すには2限目終わりの10分休憩に戻るとしよう。

 宇佐木は相変わらずクラスの人気を得ていた。そんな彼を横目に便所へ向かう為、教室を出た俺は1番近い便所ではなく、少し離れた2階の最も奥に位置する便所まで来ていた。理由は簡単。場所的にどのクラスからも遠い場所にあるこの便所を利用する者はほとんどいないからだ。

 騒がしい雑音から逃れる為の、俺にとってセーブポイントみたいな場所だ。そんな便所にどんどん走って近づいてくる音がする。嫌な予感はしていたんだ。でも、まさか便所まで着いてくるとは思わないだろ?


「バンッ!」


 便所の扉が勢いよく開けられ、びっくりして音の方を見ると宇佐木が立っていた。


「宇佐木、びっくりさせるなよ。俺はもう出てくから、そこどいてくれ。」


 これ以上巻き込まれないようにとそそくさと宇佐木の横を通り過ぎようとした。そんな俺を許してはくれず、腕を掴まれノートを見せられた。


『大変だ!今なら学校のプールの鍵が開いてるらしい!』

「それがどうした?」

『行こう!』

「絶対に行かない!」


 私立の部活動に力を入れている学校なだけあり、高校のプールは校舎から離れた場所の屋内に設置されている。普段は水泳部の顧問が鍵を持っており、生徒が入れないように管理しているそうだ。しかし、昨日から鍵を紛失させてしまっているらしく、開けっぱなしなのだと言う。

 掴まれた腕を振り解く事は出来ず、無理やり連れてこられたプールは塩素の香りで充満していたが、外から切り離された無人の室内は思っていた以上に静かだった。天井がガラス張りになっていることもあって光を反射している水は輝きを増して、俺達を誘っているみたいに見える。どうせここまで来たんだ。やる事は1つしかないだろう。たまには俺が困らせてやるのも悪くない。


「宇佐木、行くぞ!」


 掴まれていた腕で宇佐木の腕を掴み返すと、プールに向かって飛んだ。

 

  ザバァーーン!

  

 目の前が白い泡で覆い尽くされる。プールの中は思っているほど静かじゃなかった。手足をもがく音、口から出る泡の音、心臓の音、もっと深く沈めば静かになるのかな?

 俺は身体に力を込めて沈む努力を重ねる。そうか、酸素があるから駄目なんだ。全部吐き出さなきゃ。酸素はより大きな音を立てて逃げていく。水面に見える光は白いと思っていた。でも実際は、白くなんかなくて、ピンクだった。


「バカだろ!なんで浮き上がって来ないんだ。泳げないなら飛び込みなんてすんじゃねーよ!」


 俺を光へ引きずり込むのは、いつだってハルだ。10年前、ソファーに座る俺を無理やりに音楽の世界へと引きずり込んだ。ハルはいつだって俺の手を掴んでくれるんだ。掴んだ手を離すのもいつもハルからなんだけど。


「ゲボォ、ゴフォ、ゴフォ。ありがとう、ハル。まさか溺れるとは思わなかった。」


 プールサイドに転がる2人に3限目が始まるチャイムが聞こえて来た。


「どうするだよ、トビ!俺は着替えとか持ってきてねーんだぞ。」

「ハハハッ、奇遇だね。俺もだ。」


 しばらく転がっていたが流石に寒くなってきたので濡れた服のまま、教室へと帰る事にした。


「な、なななにがあったの!?震えてるじゃない。保健室行ってらっしゃい!」


 教室に戻ると日本史担当の女性の先生が側頭寸前で俺達を見て大声を出した後、保健室へ向かう事になった。保健室で予備の体操服を借り、着替えを終えると、いつの間にかやって来た担任のハッシーが、俺達をまた相談室に連行した。なんか病院をたらい回しにされている気分だ。


「お前達は何をしとるんだ!」

「すいませんでした!」


 1日に2回も相談室に連れ込んだのはお前達が初めてだと嘆いたハッシーは反省文2枚を言い渡し開放してくれた。

 


「白飛、月曜日の合宿についてなんだけどって、なんか異常に疲れてんな。昨日から暴れすぎなんだよ!」

「俺は振り回されてるだけだ。悪いのはハ、宇佐木なんだ!」


 昼休みが終わる5分前。俺が教室に帰って来たのを見計らって龍斗が声をかけて来た。合宿は月曜日、週明けすぐなので金曜日の今日、班のリーダーである龍斗が持ち物の分担の確認に話かけてきた。ここ2日、俺にとっては1年かと思うぐらい目まぐるし世界が回っていたので忘れかけていた。そういえばオリエンテーション合宿なんてもんがあったな。

 龍斗が言っている持ち物とは昼飯の材料だ。晩飯は先生達が用意してくれるらしいのだが、昼飯は各班で作るという事になっていて俺達は王道にカレーライスを作る事にした。本当は男女の班を3班くっ付けた9人で晩飯を作る筈なのだが、問題が起きない、起こさないようにと俺達だけ3人プラス担任の計4人で作る事になってしまった。幸い宇佐木と龍斗がハイスペックのおかげで作る事に関してはなんの問題もない。俺がするのは買い出しだけ、担当は肉、カレー粉、人参だ。


「材料は大丈夫そうだな。同居でなんかあるなら言えよ。俺ら幼馴染みなんだからさ。」

「お前はそういう事をサラッと言うから駄目なんだよ。」

「え?」


 世話焼きで面倒見もいい。だからモテるんだよ。もっと嫌われる努力をしろ。そう言うと負け犬の遠吠えみたいで悔しくなるから言わないけどさ。何も伝わってない龍斗にため息が出る。

 実は宇佐木にハルが取り憑いてて、ハルが宇佐木の身体に居座るためにハルのしたい事リストに振り回されているんだ。なんて言える筈もなく、適当に話を交わしあしらう。

 プールに飛び込んでだいぶ体力を消費してしまったからか、襲ってくる睡魔の攻撃力が倍増している。それに春の晴天で教室の中は暗く感じるし、8分咲きの桜の妖精が仲良しの温かな風と共に教室に入り込んでは囁く様に子守唄を歌い出す。これはもう反則だろう。こんなラスボス級の敵に勝てる筈もなく、俺は眠りに着いた。

 次に目が覚めたのは自分でもびっくりしたが、6限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた後だった。俺を起こした宇佐木は笑顔でノートを掲げる。


『おはよう。ほっぺたが凄いことになってるよ。それから今日だけど、月曜日の買い出し一緒に行かない?』


 宇佐木に言われて手で頬を確認するとビッチリと寝あとが付いていた。2時間も同じ体勢で寝ていたから当たり前だが、周りの視線が痛い。なんか笑われてる気がする、これは危害妄想だと思う事にしよう。 


「龍斗達と一緒に行けばいいだろ?」


 龍斗は男女数人で合宿の買い出しに行くようだ。10分休憩にその話を大声で女子達がしていたのを聴いていたので俺でも知ってる。てっきり宇佐木も一緒に行くんだと思ってた。


『白飛君、肉の違い分かんないでしょ。それからカレー粉にもいっぱい種類があるって知ってる?』


 宇佐木は必死な顔でノートを俺の目の前まで突き出してきた。一般高校生を代表して言われてもらう。普段から料理しなくてもさ、肉の種類ぐらい分かるわ!いくらなんでもそれは馬鹿にし過ぎだ。でも、、。


「え、カレー粉って1種類じゃないの?」

『一緒に行こう!』 


 俺の一言で余計心配になった宇佐木は銘柄だけ教えて貰えれば1人で大丈夫だと言い張る俺の言うことなんて聴かずほぼ強制的にスーパーへ同行してきた。だが、実際について来てくれて助かったと悔しいくらいに感じる。

 学校終わり、地域に根付いたスーパーは買い物客で溢れ返っており、タイムセールに闘志を燃やす主婦達に威嚇されまくった俺は入り口早々にビビって帰りたくなった。スーパーにいる主婦達にはピンクと青髪は通用しないらしい。

 一般高校男子が普通、料理なんて出来ないもんだろう。だから宇佐木と同居するまでは家から1番近いコンビニで基本的な買い物を全て済ませていた。スーパーなんかに高校に入って今日初めて入る。そんな俺を他所に宇佐木は買い物カゴを手に主婦の波を掻き分けスイスイと材料をゲットして行く。俺はその宇佐木の後を追うので精一杯だ。


『カレー粉なんだけど辛いか甘口かどっちがいい?』

「あー、辛いの。」


 人と雑音に酔ってげっそりしている俺を見た宇佐木は笑って背中をさすってくれた。もう絶対にスーパー来たくない。スーパー怖い。こんな俺を見兼ねたのか『宇佐木はレジで買ってくるから外で待ってて』と書いたノートを俺に手渡して走っていった。

 素直にスーパーの出口に向かって外の空気を吸うとだいぶ落ち着けた。レジは混んでいたのを横目で見たのでまだ時間がかかるだろう。流石に先に帰る事も出来ず出口の前にしゃがみこんだ俺は手に持ったノートが気になった。

 1日中ノートに何かしら書いてコミュニケーションを取っている宇佐木がどんな事を書いているのか気になった。あまりよろしくない事をしているのは理解出来ているが、俺の欲望に勝てなかった。恐る恐るノートの1ページ目を巡る。


『僕の名前は宇佐木春樺です。ハルカと呼んでください。』 


 これは俺も見た事があった。そこから数ページに渡って定型文がズラッと書かれていた。


『いいえ、それは分かりませんが僕はハルカです。』


 これはどのシチュエーションで使うんだ?ノートには所々使い道が分からないフレーズも書かれており、見つける度に1人で笑ってしまった。スーパーの出口の前にしゃがみ、1人ノートを見て笑う青髪よ俺は側から見ると大分ヤバい奴だったのだろう。

 俺の周りに人は寄り付かなくなっていた。その後もパラパラノートを巡っては、たまに出てくる面白いフレーズや不思議なフレーズを見てニヤニヤしていた俺はあるページで手を止めた。


「これって、歌詞なのか?」

 

『1度だけ見た光で夢を知ったんだ

 けど僕には出来なかった、高望みは止めよう

 平凡な日々を壊す勇気もなくダラダラ道を

 歩く自分に嫌気がさすと口だけの毎日


 1度だけ見た悪夢は現実すら蝕む

 行き先、歩き方を忘れ、被害者ぶっている

 黒に塗り固めた部屋の中に1人気付かず

 いつか、僕ならで出来る、根拠ない言葉続けた』

 

 これはAメロとBメロだろうか、それともサビか?なんて考えていたら昔ハルに言われた事を思い出した。歌詞はフィクションを書くよりもノンフィクションを書いた方が響く事が多いって。多分これはノンフィクションだと思う。

 宇佐木の過去に何があったのだろう、これは母親の死に関係があるんだろうか。この歌詞には共感できる部分があるから余計に気になってしまう。家で一緒に過ごしているが彼が悲しい顔をしたところを1度も見た事がない。いつも声の出ないハンデをものともせず、俺より笑っている。だからあまり深く考えた事がなかったが、両親が居なくて、声が出ない彼に何も無い方がおかしい。

 俺は宇佐木の事をまだ全然知らないんだと実感した。それからしばらく歌詞をじっくり見入っていると後ろから肩を叩かれ、びっくりしてノートを閉じ、立ち上がった。後ろには買い物を済ませ大きなビニール袋をぶら下げた宇佐木が不思議そうに立っていた。びっくりしたのは急に肩を叩かれた事だけじゃなくて、俺が宇佐木の歌詞に無意識に曲を当てていた事に自分でもびっくりした。もう未練なんて無いと思っていたのに、。 


「買い物ありがと。それ持つよ。」


 買い物を済ませてくれた感謝とノートの中を見てしまった罪悪感で宇佐木からビニール袋を取り上げノートを返した。宇佐木は何故か満面の笑みでこちらを見ている。


「なんか良いことでもあったのか?」

『秘密。』


 付き合いたてのカップルかよ!帰り道を隣に歩く宇佐木はご機嫌でスキップとかし始めた時は流石に引いた。


『明日なんだけど、少し騒いでもいい?』

「騒ぐ?どういうこと?」

『ハルのしたい事リストの中のやつをやりたいんだけど。』

「あー、なるほど。俺が巻き込まれないやつだったらいいぞ。」

『ありがとう。』


 俺の家の扉に鍵を差し込んで開ける宇佐木にも大分慣れた。

 家に着くと宇佐木はキッチンに向かい晩飯を作り始めた。スーパーで今日の晩飯の材料も買い込んでいた宇佐木は俺の晩飯も作るとありがたい申し出をしてくれた。今日はサバの味噌煮定食だそうだ。1時間ぐらいでパパッと作ってしまう彼の手つきはプロになれると本当に思う。彼の作る料理はどれも美味しくて俺好みの味付けをしている。俺の胃袋は完全に宇佐木に掴まれていた。

 キッチンはもう宇佐木の領域となっており、冷蔵庫には野菜が溢れ、コンロの周りには調味料が並ぶ。俺の楽園はいつの間にか生活感に満たされていた。学校から着て帰ってきた体操服を脱ぎ、風呂から上がると既に晩飯が出来上がっており、良い匂いが俺の食欲を掻き立てる。


「マジで旨そう。」


 両手に皿を持った宇佐木からは美味しそうな匂いが纏っていて俺の腹の虫が喚き出す。子供でもないからいただきますなんて言わない。皿が置かれた瞬間にスタートを切り食べ進めた。正面に座る宇佐木も黙々と口にサバを放り込んでいる。

 宇佐木と話がしたいが何をどう聴いて良いか分かんなくて戸惑う。あの歌詞は宇佐木の過去に関係してんのかって聴きたいけどそれを口に出せば俺がノートを覗き見したと自供する事になってしまう。音楽は好きかとか、遠回りで話を振るのも俺が嫌いなんだから話が合うとも思えない。

 悩みと沈黙が食べるスピードを早くする。このまま食べ終わったら次に話す機会がいつ来るか分からず、考え込んでしまいそうだからどうしてもここで聴いておきたい。俺の頭の中では「宇佐木と喋る第一声について」の討論会が絶賛開催中だ。そこに出席している俺の感情という名の小人達が激しい討論を繰り広げており、このままでは暴力も致し方なくなってしまいそうな勢いだ。


『スーパーで僕のノート見た?』


 急に箸を止めた宇佐木からの神速右ストレートに俺は討論会からいきなり裁判所の中央で断罪される容疑者まで飛ばされた。身体全身に冷や汗が滲む。ここは嘘で塗り固めて無罪を主張すべきだろうか。それとも、罪を認めて罪の軽減を求めるべきか。俺に弁護人はいない。口の中で泳いでいるサバを無理やり喉に押し込み口を開く。


「ごめん、見た。」


 持っていた皿と箸を置き、ペコリと頭を下げた。嘘は必ず何処かで崩れ落ちるという冷静な判断の元、俺は罪の軽減を要求した。下を向く俺に聴こえるのはノートに走るペンの音。その音が止まると同時に顔を上げる。


『歌詞、どう思った?』


 歌詞を見ていた事もバレていたのか。無罪を主張していなくて良かった。怒られなかった安堵で冷や汗も止まり、脳内の裁判所でも穏便な話し合いで済ませられるとの判断が下り解散し始めた。でも歌詞について感想を求められるとは思ってなくて反応に困ってしまった。宇佐木の過去が気になったというのが素直な感想。だが、そこには触れて欲しくは無いのかもと思うと言い出しづらくて2番目に思った当たり障りない素直な感想を言うことにした。


「完成された歌詞を、見たいなと思いました。」


 自分で言っておいてちょっぴり恥ずかしくなった俺は宇佐木から顔を背けるようにサバの味噌煮に視線を合わせた。


『ありがとう。』


 ノートに顔を隠しながら何故かお礼を言われた俺は彼も恥ずかしくなって顔を隠しているのだろうと思ったから、隠しきれなかった彼の表情を見た途端、箸で摘んだサバを溢してしまった。彼は瞳にいっぱいの涙を溜めて笑ってた。その顔が、ハルにそっくりだったんだ。今も昔も分からない。なんで2人とも同じ顔で俺を見るんだ?


「なんで?なんでそんな顔をしてる?」


 疑問は知らない間に口から飛び出していた。ハルはその顔をした半年後に死んだ。お前はまた俺の前から消えるのか?ペンを握る宇佐木はノートに何も書かない。重い沈黙はしばらく続き、困った表情を浮かべる彼を見て耐えられなくなった俺は質問を変えた。 


「あの歌詞ってどうするつもりだった?」


 俺の言葉に今度はペンを動かす宇佐木を見て止まっていた食事を再開した。


『趣味というか、出来心。ハルがずっと歌詞書きたいって言ってたから、書いてみたくなっただけだよ。』


 涙も引いて笑って答える宇佐木は気付いているんだろうか。今のお前の表情は明らかに嘘を言ってるのがバレバレだって。それ以降お互いに口を開く事はなく気まずいまま食事を終えた俺は食器を片付けて部屋に戻った。

 

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