第8話 4月4日

 2019年4月4日(木曜日)


 今朝の俺にもうプライドなんて呼べるものはなかった。時計は7時を指している。昨日と同じ時間に良い匂いで目が覚めた。俺は寝ていたベッドから起き上がり、枕が青く染まっている事に絶望する。リビングにはピンク頭の宇佐木。


『おはよう。』

「おはよ、なぁ、宇佐木よ。お前は本当にそれで良いのか?」


 宇佐木はなんの事か分かっていないみたいで首を横に傾げ、不思議そうに俺を見つめている。


「その髪だよ。あとハルのしてみたい事リストとか言うのも。やらせて良いのか?」

『ああ、この頭凄いよね。起きたら枕がピンクでびっくりしたけど、。リストも面白そうだよね。それよりも朝食食べる?』


 昨日の一連のやり取りをそれよりもと片付けてしまう君が怖いよ。


「食べます。」


 宇佐木の対面に座り朝食を黙々と食べていると先に食べ終わった宇佐木がキッチンへ向かおうと立ち上がった。そんな宇佐木の腕を強く掴む。


「あの、今日から一緒に登校して、ください。」


 恥もプライドも捨てました。だってこんな青い頭で1人、登校するなんて俺には出来ない。恥ずかしくて死ぬ。それならもっと目立つ宇佐木の横で半殺しぐらいで勘弁してもらいたい。少しでも隠れていたい。


『良いよ。白飛君って意外と常識人だよね。』

「え?」 


 優しく笑う宇佐木、それって俺の事を褒めてんのか貶してんのかどっちですか? 

 美味しい朝食を食べた後、自室で制服に着替え宇佐木が待つリビングへと戻った。


「おい、宇佐木。その格好はやめといた方が良いのでは?」


 ハルは中々にヤバい奴だとは思っていたけど、宇佐木もハルに劣らずヤバい奴だった。ソファーに座る宇佐木は髪をオールバックにビッチリとセットして、第3ボタンまで空いたワイシャツからはこれまたド派手なピンクのTシャツが見えている。

 首元にはどこに売ってたのか、鎖みたいな金のネックレスが巻かれていた。いわゆる不良と呼ばれるジャンルに入る格好をしていたのだ。


『ハルがピンク頭にするなら、やれるとこまで突き抜けた方がカッコいいって言ってた。』

「ハルの言う事なんて聞いちゃダメだ!今からでも遅くない。薬局行って黒染めで戻してから学校行こうぜ。」

『折角だから僕はこのまま登校するよ。白飛君だけで薬局行ってきなよ。』 


 こんな頭で1人外に出るなんて出来る訳ないじゃん!俺に残された選択は1つしかなかった。


「一緒に登校します。」


 2人して外に出るといつもより周りの雑音がハッキリ聴こえる。それもそうだろ。道行く人が俺達を見て振り返り、ヒソヒソ声でこちらを見ながら喋っているんだから。下を向いて歩く俺と、いつも通り何事も無いかの様に歩く宇佐木。

 外から見れば不良とその舎弟ぐらいにしか見えないだろう。そんな俺達に話かけてくる人間はいるはずもなく、歩く道がどんどん開いていく。言い方を訂正しよう。俺たちは確実に避けられている。


「宇佐木、まだ間に合うぞ。どうせ担任に叱られて終わりなんだから今日は学校休んで黒染めしよう。」


 ビビる俺は宇佐木に小声で話かける。そんな俺に宇佐木は持っていたノートに何か書き始めるのだが、その見た目とノートのミスマッチ感が強すぎて、ちょっと笑えて来た。


『今日から僕のことはハルカ様と呼べ!』

「調子に乗るな!」


 ノートを見せながらカッコつける宇佐木は悪い顔をしていて、不良になりきっていた。歩いて15分の通学路をいかに不良っぽく見せれるか研究していた彼は校門に着く頃、自分の中の不良の歩き方が完成したらしい。腰を丸めて靴のかかとは踏んで歩く。そんな事今までやった事が無いのだろう。外から見ると明らかにおかしな人だ。

 校門をくぐった俺達はめちゃくちゃに見られていて、浮いている。俺達の歩く道を遮る生徒はいないし、話しかけてくる生徒なんている訳がない。ヒソヒソと困惑の声と笑い声が聴こえてくる。


「ブッ、2人ともどーしたんだよ!」


 誰にも止められず教室まで着くと俺達に気づいた龍斗が声を掛けてきた。生徒から向けられる視線に居た堪れなくなっていた俺には龍斗が天使にさえ見える。


「龍斗、助けてくれ。」


 俺は初めて龍斗に助けを求めた。もう限界だ、恥ずかし過ぎて死ぬ。両手で顔を隠す俺とは逆に、宇佐木は龍斗を無視して、自分の席に座ると机に脚を上げていかにもって感じの座り方をした。

 他の生徒に話かけられないように睨みも利かせているが、元の顔がそこまで怖くないのでチワワから柴犬に変わった程度にしか感じない。


「本当に何があったんだ?ハルカに何がおきてるんだよ。」


 龍斗は俺の肩に手を置き、笑いを堪えながら喋りかけてくる。宇佐木の周りにも最初は戸惑っていた男子達も徐々に好奇心が勝って来たのだろう。ジリジリと宇佐木に近寄って行っている。


「宇佐木に、やられた。」


 正確には宇佐木の中のハルだが、間違ってはいない筈だ。廊下には噂を聞き付けたのだろう、他クラスの見物人が廊下に殺到していた。


「おい、何事だ!?」


 校内の騒ぎを聞きつけた担任が廊下に群がる生徒を掻き分けて教室に入ってきた。ああ、此処からは絶対に怒られるやつだ。もう嫌だ。


「う、宇佐木ー!どうしたんだその髪と服装。ちょっと一緒に着いて来なさい。待て待て、杜賀。お前もか!早く来なさい!」


 分かってはいた、すぐにこうなる事は!これも全部ハルのせいだ。帰ったらマジしばく。俺と宇佐木は担任に手首を捕まれ、職員室に連行された。職員室に入ると他の先生から悲鳴に近い声が次々と上がっている。俺だって叫びたい。担任は俺達2人を職員室の奥の扉の中に押し込んだ。そこはいわゆる相談室と呼ばれる教室だった。


「ハァー。とりあえず、2人とも座れ。」


 担任は大きなため息を吐くと対面式に置かれたソファーに座るように指示した。ここまでくる途中、宇佐木が何を開き直ったのか、すれ違う生徒や先生に手を振って笑い掛ける始末。もう、怖い。


「何があったんだ?いじめでも受けているんだったら先生が相談に乗るぞ。ちゃんと話して見ろ。」


 いじめとか、そんな深刻な問題じゃないんです。単純に俺の隣の人がヤバい奴ってだけなんです。正直に全て話してしまいたいが、そうするとハルの存在から説明しないといけなくなり、それは確実に信じて貰えるような話ではない。

 どう説明したら良いのか迷い、宇佐木の方を見つめる。宇佐木は俺を見つめて口をパクパクさせていた。ああ、そうか。


「先生、ペンと紙ってありますか?」

「あ、すまんかった。すぐ持ってくる。」


 担任は立ち上がり、ペンと紙を取りに職員室へ行ってしまった。2人になった相談室。沈黙が続く中、焦りと苛立ちで声を上げた。


「やっぱり!俺は言ったよな、怒られるから止めようって。どうすんだよ、ハルの話をしても絶対信じて貰えるわけないし!」

「大丈夫だ!このハル様に任せておけ!」


 宇佐木はいつの間にかハルに代わっており、恐ろしいぐらい清々しく笑っていた。しばらくするとペンとA4サイズの紙を数枚手にした担任が戻ってきてハルに渡した。ハルはそれらを受け取るとペコリと笑ってお辞儀をしてから、何かを一生懸命に書き始めた。

 笑ってお辞儀してる時点で不良には向いて無いんだよ!そう言いそうになったのを押し込めてハルが書き終えるのを待つ。


『先生は転校初日に仰いました。常に燃えろと。なので髪、燃やしてみました。』


 嘘だろ、嘘だと言ってくれよ!

 何がハル様に任せておけだ。無理がありすぎるだろ!なんでそんな真面目な顔して担任を見つめてんだよ。もう、やめて。お家帰りたい。ハルが自信満々に担任を見つめている間、俺はそっと瞳を閉じた。


「宇佐木よ、燃えろとは言ったが燃やせとは先生言ってない。それに燃やしたら髪はピンクじゃなくてパンチパーマになるんだ。」


 え、論点そこじゃねーだろ! 

 1人で頑張ってツッコミを入れている俺を無視して話は続く。 


「1度きりの青春だ。思いっきりはしゃぐのは先生、良い事だと思う。この年になったらピンク髪とか絶対出来ないからな。でもな、社会にはルールがある。学校にもそれは同じようにあって、破れば秩序が壊れる。壊れないように指導するのが先生の役目だから言うが、明日までに黒く染め直して来なさい。」


 担任は思ったより良い人だ。頭ごなしに説教されると思っていたが、ちゃんと生徒の事を考えてくれる。上から怒鳴り散らされていたら、もっと反抗的な態度をとっていたかも知れないけど、今は凄く申し訳ない気持ちが胸を満たす。


『それは出来ません。』

「おい!何でだよ!」


 こんな話を聴いた後で良く言えたな。流石に思った事が口から出ていた。頑張ってツッコミを入れている俺をさらに無視して話は続く。


『先生は僕の家の事情はご存知ですよね?黒染めを買ったら今日から一食ずつ抜いて、尚且つ、晩飯からおかずが消えます。次にお金が入る15日まで待って貰えませんか?』


 家の事情とは両親がいない事を指しているのだろう。でも、お金がないってのは初耳だ。いや、この話はそもそも本当なのだろうか?

 彼が家に住み着いた時、金には困っていないと言っていた。昨日の晩飯は国産の牛肉を使ってデミグラスシチューてのを作り、コンビニ弁当を食べる俺の前で自慢げに食べていた。今日の朝だってシチューの残りの他に2品とオレンジまであったぞ。


「そう、か。それは駄目だ。分かった、校長先生に掛け合ってみよう。でもその服装は直してくれ。ネックレスはとってワイシャツのボタンは1つか2つ閉めてくれ。いいな。」

『ありがとうございます!』

「杜賀。宇佐木1人で目立ってたら何か問題が起きるかも知れん。だからお前も15日まではその髪を許可する。くれぐれも悪さするなよ。」

「は、はい?」


 え、こんなあっさり許可って出るものなのか?今の今まで蛇に食べられる寸前だったカエルみたいに震えていた俺は、まさか蛇に逃してもらえる日が来るなんて思いもよらず固まっている。食べる寸前で「不味そう」って言われて放置された気分だ。なんとも腑に落ちない。


「もう教室戻って良いぞ。1限目始まってる廊下ではから静かにな。」


 担任は手のひらをピラピラさせて合図を送っている。ハルは担任にお辞儀すると立ち上がり、ネックレスを外してワイシャツのボタンを1つ止めた。持っていたネックレスはお土産を渡すかの様に担任へと寄贈して部屋を出て行った。そんなハルの一連の動きを口を開けたままポカンと眺めた後、慌てて立ち上がり後を追った。


「何が起きたんだ。なんで?」

「俺様に任せろって言ったろとりあえずは俺達の勝ちだな。」

「いや、勝ってはないし。むしろ罰ゲームに近いだろ。あと、金がないって本当か?」

「嘘に決まってる。ハルカには俺の遺産をちょろっとくれてやってるからな。」


 ん?今なんていった?

 職員室を出た俺達は誰もいない廊下を静かに歩き自分の教室に向かっていたのだが、俺は階段の踊り場で脚を止めた。


「え、それは初耳なんだけど。因みにどれぐらい?」

「えーっと、確か1億ぐらいだったかな?」

「1億!!」


 階段に俺の声が響く。金が無いなんて嘘も良いところだ。真逆じゃないか。俺だって3年前まで働いていて、それなりに歌に関係する職業の人間の収入は把握出来ていたが、それにしたって1億は一生掛かっても手が届かないだろう。

 それを「ちょろっと」って言ってしまえるハルはやっぱり凄い人間だったのか。アメリカで成功した人間は富と名声を手にすると言われているだけのことはあるって訳だな。


「アメリカンドリームって凄いんだな。」

「俺は世界のハル様だぞ。バンド以外にも株とかマンションとか買ったりして手広くやってたりもしたしな。」


 バカと天才は紙一重とはよく言ったものだ。才能がある部分を補う様に違う所のネジを数本無くしてしまっている。いや、むしろそれで良いのかもしれない。そうじゃなきゃ、俺は世界を愛せない。こんな意味のない壮大な想いに浸りながら教室に戻り、注目を集めながら席に着いた。


 ハルと再会したのはわずか2日前の事だと言うのに、次から次に起こる展開の早さに俺はもう、昨日食べたコンビニ弁当に入っていたおかずすら、思い出せない。4限目が終わるチャイムが鳴り昨日と同じく部室棟の屋上へと向かい宇佐木と2人歩いていた時の事だ。


「ちょっとこっち着いて来いよ。」


 俺達に話しかけて来たのは上履きの色から察するに3年生だろう。俺達を取り囲む様に3人でやって来た彼らは漫画によく出てくる出る杭を打つ的な感じで俺達を校舎裏へと連れて行った。このご時世に不良なんて流行らないって!ビクビクしながら着いていく俺と目をキラキラさせている宇佐木。


『これは、したい事リストにあった血が出るぐらいの殴り合いが出来そうだね!』


 そんな事を俺は望んでいません。校舎裏に他の生徒や先生の気配はない。あるのは校舎から聞こえて来る生徒たちの楽しそうな会話だけ。

 脚を止めた3人組は髪色は黒いが、耳には数個ピアスが付いていて、ワイシャツのボタンだってもう止める気ないのねって言いたくなるほどに空いている。そんな彼らは俺達を睨んで何も喋らない。

 沈黙が数分の間、続く。俺から喋りかけた方が良いのか、どうしようかと考えていると3人組の1人がようやく口を開いた。急に殴り掛かってきたらどうしようかと少し身構える。


「お前ら、ハッシーを言い負かしたそうじゃないか。すっげーな!どうやったんだ?俺達も2年の時、染めたんだが正論で言いくるめられたんだよ。なぁ、どうやったのか教えてくれ!」


 3人は俺達に詰め寄って来たが、なんか思っていたのじゃ無くてホッとした。俺の隣でノートにペンを走らせる宇佐木を3人組が不思議そうに見つめる。


「すいません、こいつ喋れないんです。書き終わるの待ってやって下さい。」


 俺が説明すると一瞬、手を止めた宇佐木がペコリとお辞儀をした。それを見ていた3人は「ゆっくりで良いよ」と優しく声を掛けてくれた。なんか、本当に思っていた感じと違う!


『貴方達にはガッカリしました。聴きたい事があるなら、殴り掛かって力ずくで奪い取るぐらいの力を見せなさい。』

「待て待て待て!なんでお前が喧嘩売ってんだよ。すいません、こいつ転校して来たばっかりで調子乗ってるんですよ。本当にすいません。」


 何故か堂々と腕組みして立つ宇佐木の頭を無理矢理下げようとしたが、俺より力の強い彼にそんな事が出来るわけもなく、俺が1人で頭を下げる事になった。


「か、か、かか。」


 3人組が顔を真っ赤にしている。これは流石にまずい!俺は宇佐木の腕を引っ張って逃げようと催促するが聴き入れては貰えない。近づいて来る3人組。マジで終わった。そう腹を括って瞳を閉じた。


「か、かっけーーよ。弟子にしてください!」

「ふぇ?」

『僕は弟子なんか取りません。友達になって下さい。』


 そう書いたノートの1ページを破りとって1人に渡すと宇佐木は脚を翻し部室棟へと歩いて行ってしまった。


「おお、なんていい奴なんだよ!」

「そんだな、俺達は今日からダチだ!よろしくな。」


 意味が分からず、俺はヒョロヒョロしながら宇佐木の跡を追う。背中からは3人の叫び声が聴こえていた。


『ピンク髪って凄いね。世界が僕中心に回ってるみたいだよ。』

「うん。明らかに今、宇佐木を中心に世界は回ってると思う。」


 その後は特に何も起きず、ハルも出てくる事もなく、無事ではないが帰宅した。家に着くなり自室で脚から崩れ落ちた俺は、しばらく立ち上がる事が出来なかった。仕方がないだろ。今日の1日は非常に長く感じられたんだ。

 集まる視線、ヒソヒソと聴こえる笑い声。放課後の教室ではピンク髪の宇佐木は人気者になっていた。それはスクールカースト1位の龍斗さえ抜かす程に。そんな彼とは対照的に、俺の周りには誰も近づこうとしてこない。むしろ余計に避けられて、何度泣きそうになった事か。


「トビー、ハルカが晩飯作ってくれたから一緒に食おーぜ。」 

 リビングからハルの声がする。そうだ、あまりの仕打ちに泣きそうになっていたが、これは元々ハルのせいではないか。一発殴ってやらねば!

 意を決して立ち上がり速足でリビングへ向かう。美味しそうな晩飯が並んでいてハルは既に食べ始めていた。俺の怒りは食欲の前に膝まづき、ハルの対面に用意された料理を食べ始めた。殴るのなんて食べ終わってからでもいいか、と自分に言い聞かせて。


「そう言えば、なんでハルは自殺したんだよ。」

「食事中にそれはねーだろ。」


 箸を止めたハルに普通に怒られて悲しくなった。


「じゃあ、なんでハルは俺としか喋れないんだよ。」

「だって普通、信じないだろ。10年も前に死んだ奴が違う奴の身体を借りて目の前に現れるなんて。」

「そうかも、だけど、俺の時みたいに説得すれば信じて貰えんじゃないのか?ケンだって会いたがってる筈だろ?」


 ずっと気になっていた事だ。こうしてハルに会えたのは凄く嬉しい。けど俺の他にも、もう1回ハルに会いたい奴なんて沢山いる筈なんだ。特に同じバンドを組んでいた仲間なら尚更。


「俺をよく知ってる奴は皆、良い大人だ。大人を説得するのは中々に難しいんだよ。それにトビだけは信じてくれるって最初から分かってたからな。」

「なんで、そんな事言い切れるんだ?」

「約束があったから。それと俺達は同じ仲間だったからな。」


 嘘のない笑顔をこちらに向けるハルに照れてしまう。たったこれだけの言葉で、今日ハルに振り回された事を許してしまう俺は、本当にどうしようもなく救えない。

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