第4話 4月2日(2)

2009年 4月2日 晴天


 今日はハルとの約束の日。ライブは夕方からなのに早起きをした俺と父親は相当に焦っていた。ライブチケットを貰った日から父親が【Top Runner】の楽曲を聴かせてくれた。スタジオで時々ハルが口ずさむ程度に歌っていたのは聞いた事があったが、ちゃんとしたバンド編成で歌ってるのは聴いた事がなかった。

 ホテルで聴いた曲はどれも俺の心に容赦なく入って来ては笑顔にしたり、泣かせたり俺をめちゃくちゃに掻き回す。ライブ映像の中のハルは俺の知ってるハルじゃなかった。楽器という愛犬を撫でて楽しむハルはどこにもおらず、猛獣を使って襲い掛かってくる魔王のような悪い奴見えた。

 映像には魔王に挑む勇者は何処にもいない。皆、自らの意志で魔王の傘下に加わって、ハルを崇拝している。もし、勇者がいたとしてもただの勇者では一切太刀打ち出来ないだろう。それぐらいに圧倒的、自然の異常気象みたいに何振り構わず暴れ回っているのを誰止めない。いや、止められないんだ!


 魔王は最強の仲間と共に最高の音で走り回っている。まさに自由奔放、俺の知ってるハルとバンド仲間の雰囲気は変わっていてもその言葉が1番しっくりくる。バンドに魅了された俺はハルと別れた3日間、朝から晩まで父親とホテルのテレビの前に夢中で座っていて、重要な事を忘れていた。


「白飛、大変だ。どーしよう、、。」

「お父さんのバカ!なんで出来もしない約束するんだよ。」

「だってー、ハルさんに良いとこ見せたかったんだもん。それに3日あったらなんとかなるって思ってたんだよー。白飛、助けて、、。」

「無理だよ。卵焼きなんて僕、作った事ないもん!」


 焦っている原因は卵焼き、なんだ。これはチケットを貰ったすぐ後の話。父親は貰ったチケットがどのくらいの価値があるのか、直ぐに分かった。かく言う父親も抽選で外れた内の1人だったのだから。そんな物をタダで貰う訳には行かないとハルにチケットを返そうとした。するとハルが、「じゃあ差し入れを持って来てくれ」と言った。

 父親はそんな事なら喜んでさせて貰うと快く引き受けた。が、この後のハルの一言が俺達を困らせる事となった。


「差し入れは卵焼きがいいなー。甘ったるいやつ。アレ食べたい。」


 父親は笑って頷いた。ここはニューヨークで卵焼きなんて売ってる店などない事を、自分が全く料理が出来ない事をすっかり忘れて、、。

 

「お父さん、どうすんの?夕方までに作れるの?」

「無理無理無理。父さん料理出来ないもん。白飛、どーしよっか?」


 6歳の子供に頼りきって考える事を諦めたこの男にイライラする。薄々気づいているかも知れないが、俺の父親は音楽以外の取り柄が全くないダメ男なのだ。不器用なヘタレで生活能力が無く、母さんがいないと生きていけないような人間だ。母さんになんで父さんと結婚したのか聴いた事がある。

 音楽バカでヘタレ、挙句の果てには浮気したような男のどこを好きになったのか。自分の父親ながらこんな男は好きになる要素がないと思ったから。俺の質問に母さんはたった一言。

 「音が鳴ったの。」未だにこの意味は分からない。母さん曰く、父さんと喋ってたら自分の中に音がなったらしい。母さんも音楽を奏でる人間だ、普通の感覚とは少しズレているのも知れない。とにかく父親は当てに出来ない、ライブまでは残り9時間。俺がどうにかするしかない。俺がまず行ったのは母さんに電話だ。


「白飛、久しぶりね。元気にしてるの?」

「卵焼きの作り方教えて!」

「ふぇっ?」


 事情を話すと母さんは丁寧に作り方を教えてくれた。俺はメモ帳に聴いたことを書き殴る。卵焼き用のフライパンはニューヨークに売ってるのを見つけるのは難しいから不格好になるのは承知で丸いフライパンを使いなさいと言われた。そして1番大事なこと、。


「お父さんを絶対に火元に立たせちゃダメ。何言われても信用しちゃダメよ、いいわね。」

「分かった!」


 普通の家庭なら子供を火元に近づけるなと忠告するのだろうが、家は違う。母さんはよく父さんの事をトラブルメーカーと呼んでいる。意味はそのまんま。何をやらせても問題を起こすか、余計事態を悪化させる。そんな父さんを火元に近づけたらどうなるか、最悪の場合ホテルが全焼しかねない。

 時間が限られた中、俺は父さんの妨害を凌ぎつつ卵焼きを作らなければならない。このミッションは相当な困難を極めるだろう。電話を切ると早速、近くのスーパーに買い出しへ向かった。調理器具は部屋に備え付きのがあったのでそれを使う事にする。


「白飛、卵焼きって何で出来てるの?何買えばいいの?」


 スーパーに着いた父さんの第一声はこれだ。卵焼きって言ってんだから卵に決まってるだろと言いたいのを押し殺し、父さんにカゴを持たせて材料を入れて行く。母さんに言われて材料はだいぶ多めに買った。卵焼きは難しくて最初は誰だって失敗すると思うからという的確なアドバイスのおかげだ。お金は全部お父さんが出してくれるから心配せずどんどん買いなさい。これも母さんのアドバイス。


「は、白飛。なんか材料が多くない?それに卵焼きにクッキーって使うの?」

「うん。とっても重要なんだ。」

 

 ライブまでの残り時間は7時間。ホテルに着くと早速卵焼き作りを開始した。俺達の泊まっているホテルはサービスアパートメントと呼ばれる長期滞在者が泊まるように出来ており、キッチンや洗濯機などの一般家庭にあるものが室内に揃っているホテルだった。

 キッチンまで移動する俺の後ろをソワソワした大型犬のように着いて来た父さんをテレビの前に座らせて絶対に動かないでとお願いした。


「子供だけで火を扱うなんて危険だから父さんがやってあげるよ。」

「今は僕がお父さんになるから大丈夫。子供はテレビでも観てなさい。」

「えっ?」


 再びキッチンに戻ると気合を入れて作業を開始した。始めてから2時間が経ったが母さんの言う通り上手く出来ない。小さい身体に大きなフライパン、どう考えても上手く出来ないのは目に見えていた。なんせフライパンを持ち上げるのに両手を使わないといけないんだから。

 もう20回程やっているが何回やっても卵焼きというか甘いスクランブルエッグになってしまう。そして俺の集中力を切る1番の要因はやっぱり父さん。


「白飛ー。大丈夫?怪我とかしてない?」

「大丈夫だからテレビ観てて。」

「やっぱり父さんがやろーか?」

「大丈夫だからテレビ観てて。」

「白飛、父さんお腹空いた。昼ご飯食べに行こーよ。」

「、、、。僕は今、頑張ってるんだ。お父さん、僕の邪魔しないようにゆっくり昼ご飯買って来てよ。」

「あ、ごめんなさい。でも、父さん英語出来ないから1人で外出たら多分帰ってこれないよ?」


 父さん、俺だって英語出来ないよ。それでもホテルの部屋番号ぐらい覚えられるだろと言いたかった。落ち着け自分、こんな事はいつもの事じゃないかと自分に言い聞かせ、父さんに向かって思いっきりため息を吐いた後、卵焼き作りは一次中止する事にした。

 ホテルはかなり都心に近い場所にあるが、大きな敷地を持っており、敷地内にはレストランやスーパーなんかがある。俺と父さんは基本的にこの敷地内から出ないので食事はいつも同じレストランで済ませていた。今日も変わらず同じレストランで早々と食事を済ませて帰宅して、俺はまた卵焼き作りを開始した。


 ライブまで残り5時間。気合を入れてキッチンに立った。卵焼きがなんとか形になったのは時間が残り2時間を切った頃だった。急いで容器に移し、服を着替えてライブ会場に向かった。

 タクシーで着いた会場は思っていた以上に広く、大きかった。ライブ関係者にチケットを見せるとハルが呼んでるから楽屋に来て欲しいと言われ、一般客とは別の入り口に案内された。中にはいっぱい人がいてみんな忙しなく働いているのに何処か楽しそうで会場の雰囲気は和やかでびっくりした。

 俺はライブに来るのは始めてじゃない。もっと小さい頃から父さんと母さんのライブには行っていたのでどちらかと言うとよく来ている方だ。だから余計にびっくりした。

 両親のライブの始まる前は関係者がみんなピリピリしていて、空気がもっと張っている感じがしていたから。父さんも同じことを思っていたのだろう。さっきから周りを見てずっと驚いた顔をしている。そんな通路を進むと一つの楽屋の前に案内された。


「お、トビが来た!」

「ハルーーーーー!」


 中にはハルを含めたバンド全員が揃っていた。扉を開けてハルをロックオンした俺はすぐさまハルに飛びつくと、ハルも快く俺を迎え入れ、ニコニコ笑顔で受け止めてくれた。今日はあのスタジオで会ってたいつもハルだ。でもなんか違和感を感じるのは見た目の問題だろう。

 いつもはボサボサのままにしている長髪は後ろで綺麗に結ばれており、服だってなんかテカテカしてた。それでもハルに会えた事が嬉しくて俺の顔には笑顔が咲き誇っていた。


「トビ!卵焼きちょーだい!」


 両手を突き出すハルの、この一言でそれまで咲き誇っていた笑顔は一瞬に枯れた。不思議そうに見つめてくるハルに背負っていたお気に入りのリュックの中から容器を渡した。


「トビ、どーしたん?」

「卵焼き上手く出来なかった。ごめんなさい。」

「えっ!トビが作ったのか?」

「うん。お父さん出来ないから。」

「ケン、こっち来いよ。トビが卵焼き作ってんだってよ。」


 ハルは容器を受け取ると仲間を集めて自慢し始めている。自分でも余り上手く出来なかったのが分かっている分、恥ずかしくってずっと下を向いてもじもじしていると、蓋を開けたハルは嬉しそうに片手で摘んで食べてくれた。


「うまい!見た目はへったくそだけど味はいける!ありがとな、トビ。」


 ハルが下を向いたままの俺の髪をわしゃわしゃして笑ってくれたから俺もつられて笑ってしまった。


「今度はもっと上手く作るもん!」

「お、また作ってくれんのか、楽しみにしてるぜ。」


 その後はすぐ、本番の準備をするからと楽屋から出されてしまった。でもいっぱい時間をかけて作った卵焼きを嬉しそうに食べてくれたハルに会えて満足した俺は大人しく会場でハルを待つ事にした。会場の中はなんか全部がデカくって落ち着かない。

 両親も日本ではそこそこ売れているから大きな会場にも行った事があったが、そんなとこと比べ物にならないぐらい高い天井、会場を埋め尽くす大きな人達、沢山のスポットライト。

 なんとも言えない、独特の空気と匂いは放っている。映像で見ていただけではこの感じを味わう事は絶対に出来ないだろう。その場の雰囲気に呑まれ緊張して待っていると、暗闇の中からギターの音が聴こえてきた。


「あっ、ハルのギターだ!」


 この音は良く知ってる。大好きなギターの音だ。舞台の中心にスポットライトが灯る。そこには魔王と最強の仲間達が立っていた。それを見た会場は一気に熱気に包まれる。


 【Top Runner】が、魔王が、暴れ出す!

 

 ライブは2時間、曲数は全20曲。ノンストップで音が流れ続けていく中、俺の感情はぐちゃぐちゃになっていて、何にも考えられない。それでも音が俺を連れて行く。ハルも元に連れて行く!

 見上げるハルは汗まみれ、そんな汗すらキラキラ光を放って魅せてくる。俺は会場の皆んなと全力で跳ねたりしゃがんだり思いっきり叫んだ。途中、俺の叫んだ声にハルが反応したように一瞬こっちを向いて笑った。

 会場が歓声に包まれている中、小さな少年の声がまさか届く筈がないって分かってるけど、あの一瞬、舞台の上から見下ろすハルと目があった気がした。舞台の上のハルはやっぱり魔王みたいだ。楽器が猛獣に変身して魔王の命令を待っている。命令があると猛獣は次々に人間に噛みつき強烈な攻撃をくりだす。でもそれが嫌じゃないんだ。

 中毒になるってのはきっとこの事を言うんだと思う。噛まれれば噛まれる程にハマっていく、もっともっと音を聴かせて欲しい!


 ライブも終盤に差し掛かり舞台にはハル1人がギター1本もって立っていた。


「今日は来てくれてありがとな。実は3日前に出来たばっかりの曲があって、どーしてもこのライブでやりたくなったから聞いて欲しい。カッコいいハル様をよく観てろ。」


 ハルはニコニコ笑って歌い始めた。ライブがニューヨークで行われていたってのもあるがここまでの楽曲は全て英語の歌詞だったのに、この1曲だけは全編日本語で歌われた。歌っているハルは魔王じゃなくて、一緒に過ごしたあのスタジオに居た俺の大好きなハルだ。


「聴いてくれ、リトルモンスター」

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