第3話 3月16日
これは俺の記憶。
2009年 3月16日
父親がニューヨークでレコーディングをすると言うので一度それに着いて行ったことがあった。その時の俺はまだ幼くて、何にも知らない可愛い子供だったんだ。
父親はソロ活動の他にバンドでも活躍しており、バンド名は【Split up with me】意味は自分と言う凡人に決別するなどとカッコつけて言っているがこれは表向きだ。本当は父さんが当時付き合っていた彼女、のちの俺の母さんとは別の女性と浮気をしていたのがバレて、別れを切り出された父さんが母さんに土下座して謝まると、今までの自分とは生まれ変わるから許してほしいと母親に懇願したらしい。
父さんは泣きながらしつこく言い寄り約束を取り付けると、絶対に忘れないようにとバンド名にまでしたんだと言う。我が父親ながらクズ野郎である。
おっと、話を戻そう。10年前のレコーディングはそのバンドで行われた。当時の父親のバンドは日本ではそこそこ売れており、今からレコーディングするアルバムで満を持して世界デビューを果たすと意気込んで望んだものだった。
ニューヨークに着くなり早々にスタジオに篭りっきりになってしまった父さんは俺に構う余裕なんてあるはずもなくて、俺は毎日ずっとスタジオの廊下にあったソファーで朝から晩まで父さんを待っていた。こんなことなら着いて来るんじゃなかったと後悔したのがニューヨークに着いて2日目の事だった。3日目の朝、昨日と同じ様に定位置になったソファーに座らされ暇を持て余している所に知らない男が現れた。
「おい、どこのガキだ?お前昨日もずっとここにいたよな。そんなとこ座ってないで外に遊びにでも行って来いよ。」
俺に話かけてきた男の名前はハル。長身の華奢な身体とは似つかないハスキーボイス。金色の長髪から見え隠れする耳に空いた沢山のピアス。どこにでも売ってそうなTシャツにジーンズなのにかっこよく見えるのは、顔が整っているってのもあるだろう。しかし、子供ながらに直感が働いたんだ、コイツは普通じゃない。
これは後から知ったことだか、ハルは世界で活躍するロックバンドのボーカルと務めており、いわば父さんが目指してるポジションに深々と座っている奴だった。当時、日本を飛び出して世界で活躍するロックバンドはハルの所属する【Top Runner】ぐらいで、バンドをやってる日本人はこぞって彼らに強い憧れを抱いていた。
「外に出ちゃダメってお父さんに言われてる。」
「あん?お前の父ちゃんはここで働いてんのか?」
「働いてるって言うのか分かんない。」
「なんだそれ。よく分かんねーけど暇なら俺に着いてこいよ。俺も丁度暇になっちまって遊び相手探してたんだ。」
ハルは俺に目線を合わせてニコニコ笑って油断させると俺を拉致した。嫌がる俺なんか気にもしない。着いて来いって意味が違うだろ!
ハルは他人の都合なんて一切気にしない、まさに自由奔放って言葉がよく似合う男だった。小さい俺をヒョイっと持ち上げて向かったのは父さんがレコーディングを行なっている2つ隣の部屋。その部屋は父さんがいる部屋の2倍以上の広さがあって、色んな楽器がズラっと並んでいた。
どうやらこの部屋は楽器置き場兼ハルの休憩スペースになっているようだ。俺はピカッピカの楽器に目を輝かせた。初めて見る楽器も沢山置いてあって、幼い俺にはその部屋が宝箱に見えてしょうがなかったのを覚えている。
「ガキんちょ、お前名前何てゆーの?」
「とがはくと。」
ハルの質問に持っていたリュックに書かれた自分の漢字と一緒に答えた。子供用のリュックには大きなキーホルダーがつけられていて、そこには自分の名前と日本の住所が書かれている。このリュックは俺の一番のお気に入り。どこに行くにも一緒だった。何せリュックには赤のカッコいいギターが描かれていたから。
「白飛か、はくと、しろってのはふつーだしな。とぶ、とび、トビ!お前の名前はトビだ!」
「僕ははくとだ!」
「芸名だよ。このハル様に芸名を考えて貰えるなんてお前は運がいい。大事にしろよ。」
はくとだ、と言い張る俺を無視して、そこからハルだけが俺をトビと呼ぶようになった。その後は俺の頭でひとしきりわしゃわしゃ遊んだハルがパイプ椅子に腰掛け、脚を組むと一本のギターを手にした。
なんの違和感もなかった。ハルは当たり前のようにごく自然にギターを構えるとギターが嬉しそうに音を奏で出す。実際にはハルが弾いているんだと分かってるけど、俺の知ってるギターの音とは全然違ってて、まるで生きてるみたいに感じたんだ。
俺には大好きなご主人様が帰ってきた時の愛犬が尻尾を目一杯振って嬉しいのをアピールしているように見えた。ギターで遊ぶハルを俺は口を開けたまま喋る事も忘れて食い入るように魅入ってしまった。それ程に衝撃的な光景だったんだ。
「トビはギターに興味あんのか?」
「うん。ギター弾けるもん。」
「へぇー、凄いじゃねーか。どんくらい弾けんのかハル様に見せてみな。」
ハルは持っていたギターを俺に渡した。6歳の少年には大きすぎるギターを構え、この間始めた作曲を一曲だけ披露した。6歳にしては上手く弾けた方だったと思うが大人からすれば下手くそでギターに弾かされてるように聴こえたんだろう。
ハルはポカンと口を空けて固まったまま静かに聴いて、曲が終わった途端に満面の笑みを浮かべた。まだまだって言いたいんだろ?分かってるよ。それでも、大人がどう思ってようがあの時の俺はギターで曲を作って弾くことが楽しくてしょうがなかった。でもやっぱりハルが弾いてた時みたいな音は出なくて凄く不思議に思ったのを今でも覚えてる。
なんでだろう。このギターは間違いなくハルが今さっきまで弾いていたギターなのに。まさかハルは魔法使いなのかも知れない、幼い俺は本気でそう思ってた。
「その曲、トビが作ったのか?」
「うん。ハルのギターの音聴いて作ってみた。」
質問に答えるとハルの瞳に光が入りキラキラ輝きだし、まるで宝物を見つけた子供の様な無邪気な瞳をしていた。
「ハハッ。へったくそー。」
「うるさい!」
「ギター貸してみ、曲はいいが音がダメだ。音はこうやって鳴らすんだ。」
そう言ってハルがギターの弦を撫でるように触っただけなのに俺が弾いた時には出なかった音が溢れ出す。この音をなんと表現すれば良いのか分からないけど、深くて芯があるのに軽やかに走って行くような、ハル自身のような、自由な音が脳に直接響いてくる感じがしてた。
ハルがギターは触る度に電撃が俺の身体を走り回る。どうやったらそんな音が出るのか、カッコよく弾けるのか知れたくてその日は一日中ハルにべったりくっ付いていた。
広い楽器置き場にはずっと音で溢れかえっていた。ギターの他にもベース、ドラム、キーボード。ハルはあらゆる楽器を飼っていてその全員がハルにとても懐いていた。触って貰えた楽器は皆、笑顔ではしゃぎ出す。奏でているのは一人のはずなのに俺にはオーケストラの演奏に似た圧倒的な存在感を感じていた。
目をキラキラにした俺にハルも笑って一日中付き合って色んな楽器を教えてくれた。それでも一番好きなのはギターの音で、そのギターを奏でるハルを俺が好きになるにはそう時間は掛からないってのは言わなくても分かるだろう。
好きって言ってもあれだ、子供の好きだ。恋とかではないと断言しておく。ああ、でも俺の初恋はハルの弾くギターであった事は間違いない。
事件が起きたのはその日の夕方近くになった頃の話だ。その日のレコーディングを終えた父親がスタジオから出た時、ソファーに座っているはずの俺が居ないんだ。そりゃあ親として相当焦ったのだろう。スタジオにいる人間を総動員して俺の捜索が開始されていた。そんなことは全く知らない俺はハルと2人音楽の中にいた。
俺達のいたレコーディングスタジオはニューヨークでも随一の大きさを誇っており、どの機材も最新式で全室防音、楽曲制作には持ってこいのミュージシャンには素晴らしい環境が整えられていた。今回はそれが仇になってしまった。
スタジオルームは全部で5室、それ以外にはミーティングルームが3室に機材室、楽器置き場、撮影スタジオなど敷地内に沢山の建物と部屋が集まっていた。残念な事に廊下を走り回る大人達と俺を呼ぶ声は全く届かず、俺達の奏でる音もまた大人達には届かなかった。
楽器置き場には窓がなく、外の風景が一つも入って来なかったのも俺は原因だったと思う。だって空が暗くなり始めているのがわかったら流石の俺だってそろそろ帰らなくっちゃと思えただろうが、音に夢中になってた自分達が一体何時間その部屋の中に居たのかなんて室内の照明だけじゃわかる筈がなかった。
大人達の必至の捜索は1時間にも及んでいた。流石の父親も警察に電話しようとしていた矢先、ハルのバンド仲間が事情を聞きつけて父親の元へとやって来ていた。バンド仲間は昨日ハルがソファーに座った小さな男の子をジッと見つめていた事、朝からハルに会っていない事を話し、もしかしたら一緒にいるかもと伝えてくれた。それからハルの好きな休憩スペースがこのスタジオ内にあるから一緒に行って見ないかと誘って大慌てで俺達のいる楽器置き場へ走ってきた。
「白飛!」
「あ、お父さん!」
勢いよく入ってきた父親は見たことが無い程に焦った顔に涙を溜めて俺に抱きついてきた。俺は抱きついてきた父親とその後ろに沢山の人がいた事にびっくりした。
「良かった!無事で、本当に良かった!」
「お父さん、どうしたの?」
父親がどうしてこんなにも泣きじゃくっているのか、何が起きているのかさっぱり分からない俺とハルは2人して首を傾げた。俺とハルが出会ってから気づかない内に8時間が経過していたとそのあと知った。父親がひとしきり泣いて落ち着くとすぐさま説教が開始された。普段は母親に尻に引かれている父親に怒られたのは産まれてからこの1回きりだ。
沢山の人が見ている中、俺は1人正座をさせられ、父親のくどくどした説教を受けているのを見たハルが隣で笑い声を上げた。そんなハルにバンド仲間でリーダーを務めているベースのケンがチョップを喰らわせると俺の隣に正座する様に怒鳴った。そこからハルと2人でめちゃくちゃに説教された。そんな俺達を周りの大人がクスクスと笑っていたのが恥ずかしかった。
「まさかハルさんが息子の面倒を見てくれてたなんて、ありがとうございました。」
「別に面倒なんて見てねーよ。レコーディングがズレ込んでて暇だったんで遊び相手にしてただけだ。対した事してねーよ。」
俺の父親とハルはこの日が初対面だったらしい。お互いに顔と名前は知っていたそうだが、世界をまたにかけるハルは一つ雲の上の存在で、話かける機会がなかったらしい。
思いもよらぬ所で話せた父親はずっとソワソワしているように見えた。最後にハルに向かってお辞儀をして俺にもありがとうって言いなさいと強要された。俺はペコっと頭を下げてからハルに声を掛けた。
「明日も!明日も僕と遊んでくれる?」
「こら、白飛。ハルさんは凄い人なんだ。迷惑かけちゃダメだよ。」
急に喋りだした俺を父親がすかさず宥めるように叱った。それでも今日はとっても楽しかったんだ。明日もどうせ1人ソファーに座ってるだけなら、俺はハルと一緒に居たいと思って必死にハルに遊んでくれとせがんだ。ハルはそんな俺の頭をわしゃわしゃと撫でて笑った。
「いつでも相手してやるよ。トビのギターへったくそだからなー。」
「そんな事ない!明日は上手いって言わせてやる!」
「出来るもんならやってみろ。まだまだ無理だろーけどな。ま、そう言う訳だから俺がここにいる間はトビを借りるぜ。」
「えっ、ちょっと白飛!ハルさんも本当にいいんですか?」
ハルは俺と父親に背を向けてまたなと言い残してバンド仲間と共に去って行った。その後ろ姿を俺と父親はボーッと眺めるしか出来なかった。
「最後のカッコよかったなー。あれ、父さんもどっかでやろーかな。」
「お父さんがしてもカッコ良くならないよ。諦めなよ。」
「白飛、父さんに厳しくない?」
それからはスタジオに行くのが楽しみで、父さんより早く起きて、スタジオに連れて行けとせがみ、日が落ちて夜になるまでずっとハルと過ごしていた。毎日のように一緒にいると子供の俺でも理解した。ハルは天才と言う分類に当てはまる人間だと、自他共に認められていることに。
何が凄いってギターはもちろんだが、声が凄い。ハルの声は独特で唯一無二の個性でもあった。ハルが何か一言喋るだけで周りはハルがいる事に気がつくだろう。そんな声から作られる曲は観るもの全てを魅了する。
ハルが悲しいバラードを歌えば聴いた人間は泣き始めるしハルが明るい歌を歌うと聴いた人間に笑顔の花が咲く。ハルの歌声を1度聴いてしまえば、もうハルの奴隷になってしまう。
その効き目はテレビでも取り上げられた事があり、1人の評論家はハルが死ねと歌えば死人が出るかも知れないと名言を残した程だ。本人が何処まで分かって歌っているのかは分からないがハルは1度だって死ねとか殺せとかの暗い曲を歌う事はなかったと言う。
「トビは1週間たってもあんまギター上手くなんねーな。へったくそのまーんま。」
「うるさいなー!あとちょっと練習すればハルなんてすぐ追い抜かしてやる。」
「天才のハル様を追い抜かすとはいい度胸じゃねーか。頭わしゃわしゃの刑にしてやる。」
「うわっ!やめろ、こっちくるなー!」
ハルは本当に子供より子供だった。1週間もハルとずっとにいたおかげか、俺はもう顔パスでスタジオに入る事が出来る様になっていた。言葉の通じない大人達も俺の顔を見ればいつもの楽器置き場に連れてってくれたし、お菓子だっていっぱいくれた。
ハルがスタジオに来るのはだいたい昼ご飯前だ。俺は朝一でギターのある楽器置き場に入り浸ってハルが来るのを待つ。時々、ハルのバンド仲間がやってきて俺の相手をしてくれることもあった。
バンド仲間が言うには、これは相当レアらしい。ハルは無頓着で他人にあまり興味が持てないらしい。昔から天才と言われて育ってきたせいか、周りに集まってくる人間とは一線引いてるところがある。そんなハルが子供と1日中遊んでるんだから周りの人間が俺に注目する訳だ。この日はリーダーのケンが俺の相手をしてくれていた。
「白飛はギター本当に好きだな。たまには外で遊びてーとか思わないのか?」
「全然。僕はギター弾いてるのがいいの。」
「そっか。なんかアレだな。白飛はハルに似てるな。」
「そう、なの?」
ハルに似てる、最近スタジオ内の大人にちょくちょく言われ始めている。自分ではどこがどんな風に似てるのか全く分からないけど、天才ハルに似てるって言われるのは悪い気がしない。
「負けず嫌いなとことか、雰囲気とかまあ色々だな。それよりまだ白飛のギター、俺聴いた事ないんだよな。なんか聴かせてくれよ。」
「いーよ。」
ケンのリクエストに俺は笑顔で答えた。ケンにハルと似てるって言われて機嫌がいいから明るい曲にしよう。おれがギターを鳴らし始めるとケンはハルと同じような表情を浮かべた。口をポカンと空けて固まり静かに聴いていた。俺が丁度弾き終わったタイミングで楽器置き場の扉が開き、ハルがやってきた。
「あ、ハルだ!おはよー。」
「おう、トビ。今日も元気だな。」
「待て待て待て!白飛、今の曲なんだ!?」
俺とハルの会話を遮ってケンが俺に問う。なんだかめちゃくちゃに焦っているみたいだったのを不思議に思ったが俺はケンの質問に素直に回答した。
「今作ったんだよ?変だった?」
「はい?待て待て、一旦落ち着こう。おい、ハル!あれはハルが教えたのか!」
ケンは尋常じゃないくらい焦って頭を抱えるとハルに詰め寄った。なんの事がさっぱり分からない俺は1人置き去りにされ、ポツンと立ち尽くす。
「え?なに?」
「白飛の曲だよ!あんなの6歳が即興で作れるレベルじゃねーだろ!」
「あー、ケンも聴いたんか。俺が教えたのはギターの弾き方だけ、あれは元から。トビは俺と同じ、こっち側の人間だ。あ、因みにギターだけじゃなくて楽器全部と声もだぞ。俺が言うんだから間違いない。」
「まじ、かよ。怪物ハルにそこまで言わせるってこいつは驚いた。怪物と子供怪物か、そりゃあハルが気にいる訳だ!やっと見つけたんだな、ハル。良かったな。」
子供の俺には理解出来なかったが喧嘩じゃないみたいだし、ハルが笑ってるからいっかな。昔の俺はこの程度の認識だった。ハルが死んだ後、葬式終わりにケンから聴かされた話がある。ハルはどこか孤独の中にいたらしい。バンドの楽曲は全てハルが一任しており、作られる曲はどれも高い評価を得ていたのにだ。何に苦しみ、踠き続けているのか、それは仲間内でも全てを理解してやる事は出来なかったという。
バンド活動をしている中で分かり合える同士を探していたハルは、探せば探す程に自分と同じ天才と呼ばれる人間がいない事実に絶望していった。そんな時、出会ったのが俺だったそうだ。まだ雛でしか無かったがハルは間違いなく同士を見つけたと嬉しそうにケンに漏らしていたらしい。ハルがどこまで本気でこんな事を思っていたのかは分からないが、あのスタジオのソファーで2人が会ったのは運命だったのかも知れない。
おっと、また話がだいぶ逸れてしまっていたな。
ハルが来るとハルのバンド仲間と俺とでスタジオ内にあるレストランに入って食事をするのがお決まりなのだが、問題はここから発生する。レストランには日替わりのメニューと定番があって毎日通ってる大人はいつも日替わりメニューで俺はお子様ランチを注文していた。
「うわ、今日の日替わりトマトときゅうり入ってる。卵入ってない。スープ飲みたい。トビ、お子様ランチと変えて。」
「やだよ、これは僕んだ!」
「えーー。だったら今日はお前と遊んでやんない。ケンと遊ぶー。」
「でた。お子様ハル。白飛にたかってんじゃねーよ。」
ハルに抱きつかれたバンドのリーダー、ケンはハルを無理やり引き剥がし説教を始めた。ハルは偏食で何かとお子様ランチを食べたがる。お子様ランチは6歳未満の子供しか注文出来ないのが悔しいらしい。この前なんか、俺が大好きなエビフライを大事に取って置いたらハルに強奪されてしまった。
なんで取るんだと怒ると、「開き直ったハルが取られる様なガキにエビフライを食べる資格は無い」
と意味の分からない事を言ってきた。
見た目は大人、中身は子供、まるでどっかで読んだ漫画の逆みたいな人間だ。ハルが駄々をコネ始めるとすっごい長引く。この前なんて本当に1日中機嫌が悪くて俺にギターを教えてくれなかった。またそうなるのは困るので毎日お子様ランチのおかずから一品だけハルにあげる事にしていて、今日はスクランブルエッグをハルにあげた。貰ったハルはすっごい喜んで機嫌も直ったのを見てホッとした。昼ご飯を済ませると俺はハルの手を引っ張って楽器置き場に向かう。
そんな俺達を周りの大人は温かく見守ってくれていた。「本当の家族みたい」とか、「ハルが大人に見える」とか「ハルに子もりとか無理だろ」とか色々言われてたらしい。1番多かったのは「どっちが子供か分かんない」だったそうだ。ハルはこれを言われる度に「俺が子供でトビはガキだ」と意味の分かんない答弁を繰り返していた。
楽器置き場に着くとすぐさま音が鳴り出す。ハルは楽器の鳴らし方以外に色んな事を教えてくれた。
「トビは耳がいいし、覚えも速い。まぁ俺様には敵わないがな。」
「そんな事ない!僕の方が絶対上手くなる。」
「そうだ。よく覚えとけよ、トビ。人間は皆が信用出来る訳ないんだ。トビはこれから色んないい奴と悪い奴に会うだろう。そん時に迷ったり諦めなくなるかも知れない。それでも自分だけは信じてろ。俺は間違ってない、こんなとこで終わるような人間じゃないってな。人間は自分で限界を決めた時点で腐っていく。トビはそんな人間になってくれるなよ。」
「ハルの言ってる事分かんない。」
子供の俺にはハルの言ってる意味が全然分からなかった。それでもハルの瞳がどこか悲しそうにしてたからよく覚えてる。いつも笑ってるハルの顔が曇ってたからどうにか笑わさないといけないと思ってハルに全力で笑って見せた。それが当時の俺に出来る精一杯の努力だった。そんな俺を見たハルがいつものようにニコニコ笑ったからちょっと安心したんだ。
「お子様のトビにはこの話は早過ぎたな、ごめんなー。」
「そんな事ない!分かるもん。」
「強がんなって。」
こんな調子で俺とハルの1日が終わっていく。俺は夕方になると迎えにくる父さんに引っ張られるようにして毎日下校していた。ハルのお陰でニューヨークでの毎日は楽しかった。観光とか名物を食べに行った訳でもなく、いつもホテルとスタジオの往復しかしてなかったけど、それでも16年生きてきた俺の1番楽しかった思い出は全部ハルでできてる。ニューヨークに来て2週間が経った時、ハルとの別れがやって来た。
「ハルのバカァァーーー。やだ、ハルと別れたくない!ずっと一緒にいるって言った!」
「ずっと一緒にいるなんて言ってねーよ。俺がスタジオにいる間、一緒に居てやるって言ったんだ。」
「それでもやだ!ハルについてく!」
父親がレコーディングを終え、日本に帰国する日が決まったのだ。そして今日がハルと過ごしたスタジオに来る最後の日となった。朝、父親に言われてから俺はずっとこんな調子でハルに引っ付いて泣きじゃくっていた。夕方になり、いよいよお別れの時が来たがそれでもハルと別れるのが嫌で、困り果てる父親を無視して泣き続けた。
「トビ、泣いてる男はカッコわりーぞ。男だったら常にカッコ付けてろ。」
「やだーー!悲しいの止まんないもん。」
「しゃあねーな、トビに良いもんやるよ。ほら、これで泣き止めよ。」
俺に目線を合わせて笑うハルは俺に2枚のチケットを渡した。それがなんなのか分からなくて目線を送った父親は側頭寸前だった。ハルから渡されたのは3日後にニューヨークで行われる【TopRunner】の特等席ライブチケットだった。このチケットを買うために何十万もの大金を積む人間すらいると言う。ハル達がライブを行うと発表するとチケットは数秒で完売、チケットの当選率は100倍ともいわれるんだからこのチケットがどんだけの価値が分かるだろう。俺以上に興奮した父親を見てなんか泣きやめた。
「3日後、カッコいいハル様をいっぱい見せつけてやるから絶対来いよ。それまで泣くんじゃねーぞ。」
「分かった、頑張る。」
「よし、それでこそ男だ。」
ハルは俺の頭をわしゃわしゃにしていつものようにまたなとだけ言うと背中を向けて去って行ってしまった。バンド仲間と楽しそうに笑って喋りながら去っていく。普段は子供なのに別れ際のハルの背中は凄く大きく感じる。
いつか俺もハルみたいに楽しく笑い会える仲間と音を奏でてみたい。幼い俺に夢が出来たのはその時が最初だったんだと今にして思う。
けれどその夢は8年後、儚くも粉々に破り捨ててしまう事になる。
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