第2話 4月2日(1)

 2019年4月2日(火曜日) 


 いつものように今日で地球が終わると宣告られたみたいな絶望感で目が覚める。リビングから見える窓からは太陽の光が絶え間なく入ってきているが、今から俺が向かうのは嵐の中だ。

 声という自然災害が容赦なく俺に襲いかかる。それが分かっていて笑顔になる奴はいないだろう。俺にとっては地球が終わる絶望感は学校に向かう時の気持ちと同じなのだ。

 朝は特に嫌い。子供の叫び声、寝坊したサラリーマンの走る音、等間隔でやってくる電車の踏切の音、鬱陶しくてまらない。俺は荒れ狂う波の中を掻き分けて学校に向かう。

 学校に着いたのは授業開始の30秒前。既に生徒は席に座っており、担任も来ていた。教室のドアを開けた俺に視線が集まる。担任が、「もう少し早く来るように」と言っているのを背中にして席に座った。

 そして退屈な一日が始まる。今日から授業が本格的に始まり、一日目からハードな時間割りになっている。


 一限目から国語、英語、体育、音楽。昼飯を挟んで数学、ホームルーム。体育の後に音楽なんか持って来るなよと言いたい。心の中は不満たらたらのまま、一限目が始まった。黒板に叩きつけられるチョークの音、先生の声、ペンが走る音、教科書をめぐる音。

 いつも通りの日常に一つの違和感が挟まっている。二限目に入ってからもそれは変わらない。違和感の正体は転校生だ。彼はなぜか俺を見ている?

 一限目の間はさすがに自意識過剰だと思ったが、二限目に入ってからも送られる視線は確かに、俺に注がれている。大方、昨日クラスの奴に俺の事を聞いたんだろう。大きなため息を吐いた。視線に応えるつもりは微塵もないので授業の間、無視を貫いた。二限目が終わると生徒は一斉に椅子を立ち上がった。床を椅子が引っ掻く音で充満した教室に耳が痛くなる。


「ハルカ、男子更衣室まで案内してやるよ。」


 龍斗が転校生に話掛けている。あいつら昨日の今日でどんだけ仲良くなってんだよ。さすが、コミュ力高男だ。転校生は小さく頷くと龍斗とその取り巻きについて行った。それに続いて他の生徒も教室から出て行く。

 この学校で俺に話掛けるのは龍斗だけだ。従って俺に声を掛けて来る奴もいない。別にそれで構わないと思っている。むしろ誰も居なくなった教室で束の間の静寂を楽しめるので嬉しい。次の授業まで残り5分。そろそろ移動しなくては。俺も体操着を持って教室を出た。


 2年のクラスがあるのは二階、体育館までは中央の階段を降りて校舎出た先の渡し廊下を歩く。5分もあれば余裕で着く。あ、着替える時間忘れてた。

 更衣室は体育館の裏手にあって一クラスくらいの人数が着替えるのには十分な広さだ。俺は慌てて着替えを済ませて更衣室の扉を開けた。

 体育館に入ると同時にチャイムが鳴り、授業が始まった。今日はドッジボールだそうだ。高2になってまでドッジボールって、いい加減にも程があるだろう。俺は早々に向かってくるボールに脚を当てて体育館の壁と同化を始める。

 生徒の声、靴が摩擦する音、先生がホイッスルを鳴らす音。大雨でも降っているかの如くうるさい。壁と一体化し俺の存在なんて忘れ去られた頃、俺の横に近づいて座った奴がいた。転校生だ。何がしたいんだ、こいつは。イライラを顔に張り付けて転校生を睨んだ。


『杜賀君って作曲家だよね?』


 転校生は喋らない代わりにノートとペンを持参していて、俺に向かって見せて来た。体育館まで持ってくるか、と思ったがそんな事はどうでもいい。

 あー、やっぱりそれか。転校生に分かるように大きなため息をした。俺は3年前まで作曲家をしていた。


「元、だ。今は普通の一般人。」


 俺の父親は天才と呼ばれるミュージシャンで母親はシンガーソングライター。いわゆる音楽一家なのだ。毎日家には音楽で溢れていた。そんな俺も音楽に目覚めるのはそう大した事じゃないだろう。

 5歳でギターを使って作曲を始めた。そこから8年、作曲をし続けた。というか、それが当たり前だと思ってたんだ。

 両親は俺が産まれてからも音楽を続けて、家では新しいサウンドが毎日のように出来上がって行くのをずっと間近で見た来たんだからな。俺が10歳になった頃、父親が俺の作った曲に歌詞を乗せて世間に発表した。

 親バカだった父は曲は息子が書いたと電波に漏らしたんだ。それを受信した各局の大人達は一斉に俺を「天才作曲家」として世に伝え、音楽関係の大人達はこぞって俺の書いた曲が欲しいと家にまで流れ込んだ。

 俺は一時期、テレビに引っ張りだこにされ、名前も顔も世間にバレてしまった。それに加えて杜賀という変わった苗字も相まって、今でもこう言って俺を覚えている奴がいる。せっかく地元から遠い高校に入ったというのにまあり意味がなかったのが非常に悔しい。


『どうして、今はやってないの?』


 転校生は純真無垢な瞳で俺の心臓に尖った刃物を突き立てた。何にも知らない悲劇のヒロインは何をしても許されるのか。喉まできた毒の塊を無理やし胃に戻して立ち上がった。


「お前に何故、説明しなきゃいけない?喋れないからって誰でも優しくしてくれると思うなよ。」


 胃に戻しきれなかった毒を転校生に浴びせ、先生の元へと脚を向けた。気分が悪いと先生に伝えて保健室へ行く許可を貰った。俺を追いかけ転校生が何かノートに書いていたが、そんなもんを待ってやる筋合いはない。俺は体操着を着たまま校舎の一階、中央階段の隣にある保健室へ歩いた。

 授業中の保健室はまさに楽園。保険医の姿も見えないので勝手にベッドを使わせてもらう事にした。まだ午前中だと言うのにやけに疲れを感じるのは転校生のせいだろう。二時間じっくり監視され、挙げ句の果てに刃物で刺された。


 音楽なんて亡くなってしまえばいい。汚い汚い汚い欲に塗れた音なんて要らない。


 ベッドに横たわった俺は、深呼吸を何度か繰り返し目を閉じた。無音の世界は安心する。何も聞こえないから感情を左右されずに済む。もう二度と、音楽なんかに手を付けない。もう二度と、あんな思いはしたくない。


「クソッ!」


 込み上げてくる涙を両手で拭い、ベッドを力任せに叩く。軋む鉄パイプの音が保健室に響き渡るのを聴きながら深い深い海に堕ちるように眠りに着いた。

 

「い、おーい。起きろよ。」


 なんだ?誰かの声がするような。懐かしい声に似てる。少しかすれたハスキーボイス、スキップでもしているみたいに軽やかに耳へ入ってくる。聴いていて心地が良い、この声を俺は知っている気がする。何処で聴いたんだろう?思い出せない。


「起きろって。いつまで寝てんだよ。トビ。」


 その声に一瞬で飛び起きた。俺はこの声を知ってる!俺をトビって呼ぶのはたった1人だけ。簡易ベッドから上半身を一気に起こした俺の目に映ったのは転校生だった。


「やっと起きた。久しぶりだな、トビ。」

「お前、誰だ。」

「ハルに決まってんだろ。他に誰がいんだ?」


 椅子に座わり、ふてぶてしく笑ってこっちを見つめているのは間違い無く転校生だ。だが、雰囲気があまりにも違いすぎる。体育館にいた時までの子犬感は一切なく、今は獰猛な狼みたいだ。

というか、こいつ喋れてるじゃねーか!


「お前、喋れんのかよ。それより、何でお前が俺をトビって呼ぶんだ。」

「ひっでーな、トビ。俺を忘れてちまったのかよ。」


 宇佐木春樺と名乗る転校生の態度が、喋り方が声が、俺のよく知ってるハルを連想させる。でもあり得ない。そんな訳がないんだ。


「お前と10年前に約束したろ。お前の曲に俺が歌詞を書いて歌ってやるって。それを果たしに来た。こう言えば思い出して貰えるか?」

「なんで、あり得ない。なんでお前がその約束を知ってるんだ。誰から聴いたのか言え。ハルは10年も前に死んだ!それにお前は昨日、学校に転校してきたばかりだろ!」

「あー、そうだった。今はハルカだった。でも中身はハルだ。」

「意味分かんねーよ!」

「だから、トビと約束してたの思い出したから、こうして会いに来てやったんだ。感謝しろよ。」


 飄々と笑う転校生をベッドから飛び上がって胸ぐらを掴んだ。俺は10年前にハルという男と約束をした。でも約束をした半年後にハルは死んだ。だから、あり得ない。それに容姿だって俺の知るハルとは違う。

 雰囲気は似ていなくもない気がするが、10年前の記憶と照らし合わせるんだ。俺の記憶だってぼんやりしててはっきり分かる訳もない。でも一つ言えるのはハルはこんなに若くなかった!


「分かりきった嘘をつくな。ハルは俺より年上だったし、もっとイカつかった。白いワイシャツが似合うようなタイプじゃない!」

「あー、それは俺も思う。この学校の制服やべーよな。もっと着崩して着ないとカッコわりー。ハルカはファッションセンスねーんだよ。」

「いや、そこじゃねーよ!」


 高校の指定制服は黒の学ラン。着方はわりかし自由でカーディガンの色も自由。生徒は思い思いのファッションセンスを輝かせている。俺はまだワイシャツだけでは肌寒いから、黒いカーディガンを着て学ランは家に留守番させている。今の時期、これが無難だと思う。

 目の前に座る転校生はワイシャツをズボンにきっちり入れた真面目スタイルをとっているが、華奢な身体と長い手足のせいでそこまでダサく見えない。


「ハルとハルカ、名前が似てたから。このハルカって男に身体貸して貰ってんの。こいつ普段は喋れねーけど、喋ってみたいってゆーからギブアンドテイクみたいな?感じで。でも俺が喋れんのはトビと二人っきりの時だけなんだけどな。」


 名前が似てた?ギブアンドテイク?そんな理由で現実に非現実が挟み込まれたなんて許されてたまるか!

 ハルを名乗る転校生はヘラヘラ笑って俺を見ている。挙げ句の果てには俺の頭をわしゃわしゃして遊び始めた。


「それにしても、トビも大きくなったなー。俺と会った時はまだガキんちょだったのに、人の成長ってのは怖いもんだ。」

「はな、せよ!身体貸して貰ってとか、意味わかんないこと俺が信じるとでも思ってんのか。漫画じゃあるまいし。」

「だって俺、死んじゃったもん。10年も経った自分の身体なんて骨すらもう残ってねーんだ。しゃあないだろ。幽霊のままだと誰にも気付いて貰えなくてさ、大変だったんだぞ。寺に駆け込んでみたら、坊さんに塩撒かれるし、トビの実家行ってみたけど誰も居ないし。もう諦めようと何回思った事か。」


 ハルを名乗る転校生は両手で顔を隠して泣き真似を繰り広げている。本当にお坊さんの塩って効くんだーって違うだろ!こんな作り話を信じる訳あるか。


「そんな事より早く曲作れよ。ヘッタクソだったギターは上手くなったんだろーな。」

「待て、1人で話を進めるな。」


 喋り方、声、やっぱりハルに似てる。とりあえず、ここまでの状況を整理してみよう。まずは被告人の宇佐木春樺の証言だ。彼は昨日付けてこの高校に転校して来た。喋る事が出来ない為、辛い過去を過ごしたのかも知れない。そんな時、幽霊で10年も前に死んだハルの魂がやって来て、声を出させてやる代わりに身体を貸せ、というドラマみたいな取り引きに応じた訳か。


 いや、あり得なくね?

 ここがドラマかアニメの世界なら主人公は何故かこのあり得ない設定をすんなり受け入れる所なんだろうが現実的に、あり得なくね?疑問しかないよね?


「なぁ、俺の事を何処で知ったのか知らないけどさ、その、イタい。イタすぎるよ。中二病拗らせるにしてもさ、他人を巻き込まないでくれ。」

「だーかーらー、俺はハルだって。本物です。どうしたら信じてくれんだよ。」

「逆にどうして信じて貰えると思ったのか不思議で仕方ないわ!」


 あり得ないだろ。10年も前に死んだ人間が今頃、約束を果たすために会いに来るとかタチの悪い冗談だろ。今日一日こいつのせいでイライラしてたってのもあるがこれは笑えない。俺をおちょくるのもいい加減にしろよ。こいつはどこかで俺とハルの約束を聴いたに違いない。


「ふざけんのもいい加減にしろよ。お前がハルのはずないだろ。二度と俺に話かけてくんな。」

「おい、トビ!どこ行くんだ。曲つくんねーの?」 


 背中の方で声が鳴ってるのを無視して保健室の扉を勢いよく開けた。丁度そこに保険医が戻って来たので体調が悪いから早退すると伝えて学校を後にした。

 一度死んだ人間が帰ってくる筈がない。そんなのあり得ない。ここは物語でもなく、異世界でもないただの日常だ。でもハルとした約束は誰にも言った事はないし、あの喋り方、独特な声。他人があそこまで似てるものか?

 俺は目の前で起きた非現実な現実をぐるぐる考えながら家に脚を急がせる。転校生の身体にハルの魂が入り込んだ?そんな訳ないだろ。きっとアイツは俺をおちょくって笑ってるだけなんだ。学校から家に着く15分で導き出した俺の結論はこれだ。だってこれしか考えられないだろ。しかし、俺は相当に動揺していたらしい。それは家に入ってから気がついた。


「あ、俺、体操服のまんまだ。」


 そうなのだ。体操服のまま、上履きを履き替える事もせず、制服も鞄も全部学校に忘れて、身一つで帰宅してしまった事にここで初めて気がついた。脱力感が降りかかって来た。今から学校に取りに帰る気にはなれないけど、取りにいかなければ明日着て行く制服がない。

 朝から体操服で登校するなんて恥ずかしい真似もしたくない。大きなため息を漏らしてから俺は脳のシャッターを下げた。考えるのは一旦止めよう。自分に言い聞かせソファーにダイブを決め目を閉じた。

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