時の振り子

みきちゃ

第1話

代わり映えのしない日々に、退屈にうんざりしていた。

いつもと同じ毎日を繰り返して生きる。

今年もまた同じ暑い夏がやってきた。

世界は変わっていくけど私の退屈は今日も変わらないまま世界は変わっていく。


【時の振り子】


傘を差しながら駅までの道を歩いていた。

少し外を歩くだけで汗が吹きでる。

まだやむ様子のない雨と高い湿度に恨めしくなってくすんだ色の空をにらみつけたら、気持ちの悪い熱気がアスファルトから立ち上った。


雨にも関わらず賑やかな駅に到着して、額の汗を拭きながらスマホを開くと待ち合わせていた友人からメッセージが来ていて、電車の遅延で遅れるようだ。

確かに電光掲示板には雨の影響と表示されてある。


30分程だろうか。

この雨の中外では30分と、とても過ごせそうにないからどこかで時間を潰そうと深い水たまりを避けながら駅の中のカフェを見渡せば、同じような雨宿り客で賑わっていた。この喧騒はあまり好きじゃないから静けさと屋根を求めて裏通りへと歩みを進めた。


表通りの賑やかさとは対照的に、静けさが際立つ裏通りは、違う世界のようなそんな不思議な感覚に飲み込まれる。


そんな中で一際目立つ、それこそ違う世界、いや、年代と言えばいいのだろうか。

一際古めかしい、この2020年の時代にはあまりにもミスマッチなカフェが佇んでいた。

オシャレなアンティーク調ではなく、ともすれば廃屋のような佇まい。

辛うじて看板が出ていて開店している事は分かるのだが、店全体が蔦に囲われていて中の様子が伺えない。

それでも雨と湿度の鬱陶しさに負けて店の入口を開いた。

店内は想像した通りにやっぱり古くて、薄暗い中で店主と思しき初老の男性がこちらを一瞥して声をかけてきた。


「いらっしゃいませ」


「あ、あの1人…です」


「カウンターでよろしいですかな?」


「は、はい…」


7席ほどのカウンターに腰掛け隣の席へカバンと畳んだ折りたたみ傘をかける。

店内を見渡すと、壁際には4人がけのボックス席がふたつあった。

そのうちのひとつは荷物が積まれていて長く使われていない様子が伺えた。


「ご注文は?」


「え、あ、アイスコーヒーで!」


突然の声に頓狂な声を上げながら反射的に答えた。

メニューも特に見てはいないがただの雨宿り兼時間つぶしだ。

値段も気にする程じゃないだろう。

再び店内を見渡せば大きな振り子時計が目に入った。

カチッカチッと耳触りのいい規則的な音が聞こえてくる。

振り子に目を凝らせば2つの歯車があしらわれていて、目を離せない不思議な魅力があった。


「お待たせしました」


「あ、ありがとうございます」


声がかけられて時計から目を離しアイスコーヒーにミルクとシロップを入れてかき混ぜる。

口をつけながらもう一度振り子時計を見ると

やっぱり変化はなくて同じ時を刻み続けていた。


「気になりますかな?」


「え、あぁ。素敵な時計ですね」


「あの時計は人を引き寄せる。あなたのような人を」


「え?」


どういう事だろう。招き猫のような願掛けなのか、それとも新手の詐欺かナンパか。


「どういう事です?」


「そのままの意味ですよ。あの時計は求める人を引き寄せる」


「求めるって…何をです?」


「変化を」


さらに謎が深まった気がするが、気になることを言われているのも事実だ。

変化、そう変化。

毎日同じ事の繰り返しで代わり映えのない日々。

たまの休日に友人と遊ぶ事すら定型化された日々に過ぎない。

そんな日々に退屈を募らせていたのは事実だった。


「変化とは、望む望まないに関わらず起こっていくものです」


「そう、ですね」


「振り子の等時性はご存知ですかな?」


「…いえ」


「かの有名なガリレオが発見した振り子時計の原理です。2つの歯車が噛み合わさって振り子と連動して同じ時を刻み続ける。次の1秒を変化のない1秒へ」


「それは…変化を食い止めているんですか?…あの時計が…」


「そうとも言えますな」


グラスを拭きながらにっこりと人の良い笑みをこちらへ向けてくる。

手持ち無沙汰になってアイスコーヒーに口を付けると、カチッカチッと振り子の音がやけに大きく聞こえる。


「私があの時計に引き寄せられてるって…」


「はい」


「それはつまり…私が変化を求めているって事ですか?」


「さぁ?私には分かりません。私はあなたを知りませんから。あなたを一番良く知っているのはあなたです」


「なんですか…それ…」


「単なる言葉遊びですよ」


相変わらず人の良い笑みを浮かべながら確信めいた言葉を言ってくる。

確かに私は変化を求めている。

退屈にはもう飽きた。


「しかしですな」


「はい?」


「振り子もただ揺られて変化をくい止めている訳では無いのです」


「はぁ」


「2つの歯車、と言いましたようにそれぞれが噛み合わさなければ同じ時を刻めないのです。歯車が狂えば次の1秒も狂ってしまう」


もう顔には笑みを浮かべず、振り子時計の方を向きながら目を細めていた。


「それは…ちょっと怖いですね」


「ええ、変化とは怖いものです。しかし、それもまた一興。次の1秒は変化した1秒を過ごすのでしょう」


「…私は、変えたい」


「ご随意に。あの振り子の歯車を引き離せば時は変わります。たとえあなたが変えようとも、変化とは望む望まないに関わらず起こっていくものです」


カチッカチッと規則的な音が耳の奥で聞こえる気がする。

涼しい店内で汗は引いたはずなのに背中がじっとりと汗ばんで気持ち悪い。

そっと席を立って振り子のそばまで歩く。

汗ばんだ背中からぞわぞわと悪寒が迫ってきて、それに後押しされるかのように歯車を引き離した。


振り子から手を離すと再び振れ初めて何事も無かったかのように時を刻み出した。

席に戻って落ち着きを取り戻すように少し温まったココアを飲んだ。


「いかがですか?」


「これといってなにも…」


「そうでしょう、変化とはそういうものです。望む望まないに関わらず変化していく。そして変化とは存外気づかないものです」


何だか騙された気分だ。もちろん突然世界が変わるなんてそんな夢物語考えていたわけじゃないけど、それでもこうも何も無いとは。

いや、これは気持ちの問題なのか。

この店主は変化を望む私に自分から変えていく気持ちが大事だと教えようとしてくれたのかと深く考えようにも、もう面倒くさくなって考えるのをやめた。

ついに冷めてしまったココアを飲み干してスマホを開くと店に入ってからそろそろ30分が経過しようとしていた。


「追加はよろしいですかな?」


「あ、はい。そろそろ待ち合わせに行かないと」


「そうですか、どうか良い一日を」


「ありがとうございます。お会計よろしくお願いします」


振り子時計を一瞥しながら隣の席にかけたカバンを手に取って立ち上がり、レジの方へと歩みを進めた。


「アイスティーおひとつで390円でございます」


「ごちそうさまでした」


「あなたは今日から新たな変化を目にしていくのでしょうな」


「なんだか分からないけど気分は晴れました。ありがとうございました」


扉を開けてもう一度だけ振り子時計を見ると変わらず振り子は振れていたけど、少しだけズレたカチッ、カチッという音に違和感を持ちながら外へ出た。


涼しかった店内とは真逆に太陽の光がさんさんと降り注いできて、引いていたはずの汗がまたぶり返してきた。

駅に着く頃には額に珠のような汗が浮かんでいて拭いながら駅をのぞいた。

もう電車は通常ダイヤに戻っているようで電光掲示板には特に遅延情報は流れていない。

友人に連絡をするためカバンのスマホを取り出そうとした時、ハッと顔を上げた。


「あ、傘忘れた!…ていうか雨やんでたんだ…」


あのカフェに傘を忘れてしまった事に気がついたが、それ以上に違和感があった。


「水たまりが、ない…?」


駅前にあったあの深い水たまりはたった30分そこらで乾くようなものじゃないはず。

時間を見誤ったのかと再びスマホを取り出そうとカバンをのぞき込んだ。


「あ、れ?傘、が…ある。え?なんで、隣の席にかけて忘れてたはず…」


茹だるような暑さなのに体の奥から底冷えするような、暑さのせいではない嫌な汗が頬を伝ってくる。


「よっす!」


「うわぁっ!」


「ええっ!そんなに驚かなくても…」


「びっくりしたぁ…」


後ろからかけられた声に心底驚いて友人の顔を見た。


「なんか顔面蒼白だけど大丈夫?熱中症?」


「あ、いや、傘を忘れて、傘、が…」


「傘?なんで、今日雨降らないよ?」


「…え?だって、電車、雨で遅れてるって…」


「なにそれ?私が遅れたのは財布忘れて取りに帰ったからじゃん。言い訳せずにちゃんとメッセージ送ったよ?」


友人と話が噛み合わなくて、違和感だけがハッキリと頭の中で渦巻いている。

足元からぞわぞわと悪寒が登ってきて上手く息が出来なくて震える手でスマホを開いた。


「う、そ…」


「ほらー!ちゃんと送ってるじゃん!」


「なに…これ…」


「それよりさ、30分も待たせてごめん!待ってる間どうしてた?」


「どう、って…カフェで…」


「あちゃー!もう一杯付き合ってよ!駅のカフェ美味しそうなアイスティーあったんだよね!」


私…は、カフェで何を注文したっけ…?

コーヒー…飲んでたよね…?

何を飲んでいた?

会計の時、何の代金を払ったんだっけ…?

まだ友人は何かを話していたが、もう耳には入らなかった。



カチッ、カチッと不規則な振り子の音が嫌にはっきりと頭の中で鳴り響いていた。

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